宇宙の起源

続日本記(しょくにほんぎ)と実在した天皇について

■797年

712年に完成した古事記と、720年に完成した日本書紀に登場する天照大神(あまてらすおおかみ)、イザナギ、イザナミは、ニンギシュジッダという結論だった。さらに内容も他国の神話と共通点があり、古事記も日本書紀もニンギシュジッダによる作り話という結論だった。つまり古事記の神代から628年の推古天皇までと、日本書紀の神代から697年の持統天皇までは作り話で、存在しなかったということになる。

また797年に菅野真道(すがののまみち)によって完成する続日本紀(しょくにほんぎ)は、697年の文武(もんむ)天皇から、806年までの桓武(かんむ)天皇の歴史を扱っている。ここには鑑真(がんじん)などの伝記も記載されている。鑑真(がんじん)は奈良県の唐招提寺(とうしょうだいじ)を創建した人物とされ、そこには黄金比、多角形の石積み、エンタシスの柱が見られた。つまり鑑真もニンギシュジッダという結論だった。そして続日本紀(しょくにほんぎ)もニンギシュジッダによる作り話という結論になる。

この続日本紀(しょくにほんぎ)に登場する桓武(かんむ)天皇によって、794年に京都の平安京が日本の首都となる。平安京にも黄金比が見られ、ニンギシュジッダによって作られた都市という結論だった。桓武天皇から二代先の嵯峨(さが)天皇は、823年に空海へ平安京にあった東寺(とうじ)を与えたとされる。空海もニンギシュジッダなので実在しなかったという結論だった。日本後紀では平城(へいぜい)天皇、嵯峨(さが)天皇、淳和(じゅんな)天皇の治世を記す。空海が実在しなかったため嵯峨天皇が登場する日本後紀もニンギシュジッダによる作り話という結論で、次の淳和天皇も実在しなかったということになる。この次の833年の仁明(にんみょう)天皇からが実在した可能性がある。これを記したのが続日本後紀(しょくにほんこうき)で、天皇による政治から摂関政治へうつる時代の史料。日本の国家によって王朝の歴史が記された六国史(りっこくし)は次の通り。

日本書紀     神代から持統天皇まで      - 697年
続日本紀     文武天皇から桓武天皇まで 697年 – 791年
日本後紀     桓武天皇から淳和天皇まで 792年 – 833年
(ここからが実在の可能性)
続日本後紀    仁明天皇の代        833年 – 850年
日本文徳天皇実録 文徳天皇の代        850年 – 858年
日本三代実録   清和天皇から光孝天皇まで  858年 – 887年

その後、この平安京にあった京都御所では、1869年に明治天皇と明治政府が東京に拠点を移すまで歴代天皇が居住し、儀式、公務を執り行う。つまり平安京の仁明(にんみょう)天皇から明治天皇までの間に、ニンギシュジッダにより日本人の中から天皇が選ばれたという可能性がある。

その天皇のシンボルは16枚の花弁がある菊花紋(きっかもん)で、メソポタミアのハンドバックを持つ神(=ニンギシュジッダ)の腕の16枚の花弁(はなびら)のシンボルと同じ。つまり天皇のシンボルもニンギシュジッダから与えられたものという結論。


 

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