心眼、ホルスの目、ゾーン、一なるもの

松果体(しょうかたい)を意識的に観察すると無思考の状態になり、よって無欲の状態になり、それを継続すれば常時無欲を維持できる。この松果体に意識を向けた無心状態で日常の物事を見ることを、内なる目や心の目、つまり心眼で見ると表現できる。つまり思考がないので、偏見を持たない子供と同じ純粋な目で見ているということ。よって本質を見極められる。また物作りやスポーツなどで無心で体が勝手に動き、質の高いパフォーマンスを発揮する集中状態が継続することをフローやゾーンというが、その時もこの心眼で見ている。こういう状態の時は、自分の心の中の声と会話している状態にもなり、意識は内面を見ている。時には周囲がスローモーションで動いているように見えたりもする。つまり両目で見ているようで、実は心眼で見ている割合が多い。思考しなければ体は動かないのではなく、無思考でも体は動き、無思考の時は最大能力が発揮される。なぜなら直感に逆らわず身を任せて行うためである。 自我(エゴ)を取り除き無思考になると、脳内には意識だけが残る。この意識をアートマンと言い、真我(しんが)とも言う。古代インドでは、アートマンは宇宙を支配する原理ブラフマンと同一で、それを梵我一如(ぼんがいちにょ)と言う。つまりブラフマンもアートマンも「一なるもの」と同一。よって無思考になっている瞬間に人間は「一なるのものとして在(あ)る」ということを意味する。これは「一なるもの」を新たに得たのではなく、人間そのものが「一なるもの」で、それに気づき、その状態に在るということ。宗教的な言い回しで言えば、「人間は神そのもの」。直感に身を任せ、フローやゾーンのように高いパフォーマンスを発揮する瞬間も、「一なる神の意志として行動している」と言える。そのため人間は最大能力が発揮される。また直感とは、この「一なるもの」からやってくるものということでもある。 古代エジプトのシンボルのホルスの目は、この脳の断面図の松果体(しょうかたい)を表している。別名では月の象徴のウジャトの目、太陽の象徴のラーの目とも呼ばれる。これらも全てニンギシュジッダのシンボルという結論だった。つまりホルスの目、松果体(しょうかたい)、心眼は「一なるもの」の目であり、それと同一存在のニンギシュジッダの目でもある。それを表したのがホルスの目で、つまり「神の目」ということ。人間は誰もがこの「一なるもの」の目を松果体(しょうかたい)の位置に持っていて、無思考状態でその状態に在ることができる。 ホルスの目の左目はウアジェトの目とも呼ばれ、全てを見通す知恵と呼ばれる。またキリスト教やフリーメイソンでは、神の全能の目としてプロビデンスの目というものがある。紀元前3000年頃のイランのジーロフト文化のハンドバックにも、ニンギシュジッダの目のシンボルが見られた。つまりこれら目はニンギシュジッダの目であり、「一なるもの」の目でもあって、万物を見通す目のことを指す。

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