奈良県の法隆寺と聖徳太子

■607年

法隆寺は607年に聖徳太子によって創建されたとされる。

法隆寺は別名が斑鳩宮(いかるがのみや)と言う。聖徳太子が住んだ斑鳩宮(いかるがのみや)と飛鳥京(あすかきょう)を結ぶ太子道、法隆寺近くの道、若草伽藍(わかくさがらん)は、北から北北西に20度傾いている。これは紀元前520年頃のニンギシュジッダが作った古代ペルシャの都市ペルセポリスと同じ傾き。ペルセポリスにも多角形の石積みがある。

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下の右側がペルセポリス。

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法隆寺の若草伽藍(わかくさがらん)などからは、黄金比の装飾がある軒平瓦(のきひらがわら)も出土している。

 法隆寺の金堂の縦横の比率は黄金比。五重塔の塔身(とうしん)も断面図では黄金比となっている。また金堂の屋根の高さや幅が、2つの黄金比を重ねた時にできる比率に設計されている。

法隆寺の金堂や中門(ちゅうもん)は、人間目線で見れば黄金比の比率。その位置から見える黄金比に屋根の高さが設定されている。しかし立面図では黄金比ではない。つまり人間の目の高さから見れば黄金比に見えるように設計されている。

  

 法隆寺の中門(ちゅうもん)の内側の柱は、下の方が太く、上に行くにしたがって細くなっている。これはエンタシスの柱と呼ばれ、ギリシャのパルテノン神殿でも見られる。

パルテノン神殿もサバジオスの浮き彫りと同じ建築デザイン。つまりエンタシスの柱もニンギシュジッダ作。

法隆寺敷地内にも多角形の石積みが見られる。

法隆寺の金堂には、釈迦三尊像(しゃかさんぞんぞう)、薬師如来像(やくしにょらいぞう)、阿弥陀三尊像(あみださんぞんぞう)の3組が安置されている。これらにも黄金比、光背、手のひらを見せるポーズが見られ、ニンギシュジッダのシンボルという結論だった。これらは人間の手作業ではなく、ニンギシュジッダによって地球外の3Dプリンタのような技術で作られたという結論。

タニトなどの手のひらを見せるシンボル。

東院伽藍(とういんがらん)の夢殿(ゆめどの)は八角堂。八芒星もシンボルとしてメソポタミアで見られる。

夢殿(ゆめどの)の救世観音(くせかんのん)立像の渦模様も黄金比となっており、その数は膨大。
この救世観音(くせかんのん)や、金堂の釈迦三尊の左右にいる脇侍(きょうじ)の頭上には、三日月と太陽のシンボルが見られる。これはタニトにも見られた。
法隆寺の四騎獅子狩文錦(しきししかりもんきん)は、ペルシャ風の四人の騎士が有翼(ゆうよく)の馬に乗り、飛びかかる獅子を射ようとしている。獅子も弓矢もニンギシュジッダのシンボルだった。また騎士の頭上にも三日月と太陽が見られる。周囲の植物も黄金比の曲線。つまりニンギシュジッダ作。

法隆寺の五重塔には、侍者像(じしゃぞう)という像があり、馬頭形(ばとうぎょう)、鳥頭形(ちょうとうぎょう)、鼠頭形(そとうぎょう)という3つの像がある。顔がシュメールの爬虫類人に似ているが、細かく見比べるとくちばしや服装のパターンが奈良県の興福寺(こうふくじ)の迦楼羅像(かるらぞう)と同じ。楼羅(かるら)も烏(からす)天狗やアイオーンと共通点があり、ニンギシュジッダを表すという結論だった。興福寺の迦楼羅像(かるらぞう)にも黄金比の装飾が施されている。奈良県の興福寺の創建は669年、法隆寺の創建は607年とされ、年代も場所もほぼ同じ。

迦楼羅像

ニンギシュジッダのシンボルが溢れている法隆寺を作ったのは聖徳太子。つまり聖徳太子とはニンギシュジッダのこと。そして如来像、木組み、石積みなどもニンギシュジッダ作。他にも共通点がある。これまでクリシュナ、キリスト、仏陀はニンギシュジッダという結論だった。その物語と聖徳太子には類似点がある。

「誕生場所」
・クリシュナは牢獄で生まれた。
・イエス・キリストは家畜小屋で生まれた。
・聖徳太子は家畜を飼う厩戸(きゅうしゃ)前で生まれた。別名は厩戸皇子(うまやどのおうじ)。

「妊娠」
・釈迦(仏陀)の生母マーヤーは、ヴァイシャーカ月に6本の牙を持つ白い象が胎内に入る夢を見てシッダッタを懐妊した。
・聖徳太子の母の間人皇女(はしひとのひめみこ)は、西方の救世観音菩薩が皇女の口から胎内に入り、厩戸(うまやど)を身籠(みご)もった。

このように聖徳太子はニンギシュジッダのことで、その歴史もニンギシュジッダによる作り話。

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