6章 1000年〜1800年

■1010年

インドの双頭の鷲(わし)

ニンギシュジッダのシンボルの双頭の鷲(わし)は、ヒンドゥー神話ではガンダベルンダという名で登場する。1010年に完成したブリハディーシュヴァラ寺院では、ガンダベルンダの絵が見られる。ここもピラミッド型ということもありニンギシュジッダ作。

ラーメーシュワラム寺院では彫刻として見られる。


イランの民族叙事詩のシャー・ナーメ(王書)

1010年に編纂(へんさん)されたイラン最大の民族叙事詩のシャー・ナーメ(王書)には、両肩に2匹の蛇を生やしたザッハーク王が登場する。

また英雄フェリドゥーンは、赤子の時に母と共に、暴君(ぼうくん)ザッハークの虐殺から逃れるためエルブルズ山に行き、母はフェリドゥーンを牛飼いに預けた。つまり2匹の蛇や他神話との類似から、イランのシャー・ナーメ(王書)もニンギシュジッダによる作り話という結論。


■1017年

スリランカのポロンナルワの遺跡群

ポロンナルワにも多角形の石積み、獅子像、岸壁をくり抜いた中の仏像が見られる。

上の画像の釈迦(しゃか、仏陀)が横になって寝ている涅槃像(ねはんぞう)も、ニンギシュジッダのシンボル。これはサバジオスの手の下部に彫刻されていたり、地中海のマルタ島の女神像でも見られた。涅槃(ねはん)とは仏教において、煩悩を滅して悟りの智慧(ちえ)を完成した境地のこと。


■1029年

グルジアのスブティツコベリ大聖堂

スブティツコベリ大聖堂の多角形の石積み、十字、黄金比。

スブティツコベリ大聖堂の立面図や平面図の黄金比。

スブティツコベリ大聖堂のフレスコ画のキリストの磔刑(たっけい)。十字架の左右に、クラゲのような物体が描かれ、中に人の顔。キリストの磔刑の絵は、フリーメイソンのトレーシングボードと同じく、ニンギシュジッダのシンボル図という結論だった。

■1053年

京都の平等院

平等院(びょうどういん)鳳凰堂(ほうおうどう)も立面図では黄金比にならないが、人間目線で見れば黄金比になり、階段の幅も黄金比のよって決められている。鳳凰もニンギシュジッダという結論だった。

鳳凰堂の中堂(ちゅうどう)の入り口も黄金比でできている。

鳳凰堂の阿弥陀如来坐像(あみだにょらいざぞう)の黄金比の渦模様。また、光背も描かれている。

鳳凰堂の阿弥陀如来坐像(あみだにょらいざぞう)の周囲の壁には、52体の雲中供養菩薩像(うんちゅうくようぼさつぞう)が飾られ、雲部分の渦模様が黄金比になっている。つまりこれらもニンギシュジッダ作。


■1100年代

カンボジアのアンコール・ワット

アンコール・ワットにも、多角形の石積み、獅子(ライオン)像、黄金比が見られる。


■1121年

イランのジャーメ・モスクの黄金比

ジャーメ・モスクにも黄金比が見られる。イスラム教もニンギシュジッダ作という結論だった。

ジャーメ・モスクの中央の広場は黄金比を2つ並べた大きさ。中央の道幅も黄金比の比率。

イーワーンも黄金比の比率。

イスラム教のシンボルマークには三日月も見られる。
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■1200年頃

沖縄県の勝連城

勝連城(かつれんじょう)の多角形の石積み。


ゴシック建築の大聖堂

ドイツのケルン大聖堂は高さ157m。エジプトのピラミッドは高さ146.6m。

このゴシック様式以前のロマネスク様式は壁が厚く、そのため聖堂内は真っ暗だった。この方法でしか高い建物は作れなかった。

しかしゴシック建築は薄い壁、薄いステンドグラスが建物を支えている。通常なら薄い壁はその重さに耐えられない。

この薄い壁を支える技術が、上部が尖(とが)った尖塔(せんとう)アーチと飛び梁(はり)。尖塔アーチが上部からの重さを左右に分散し、それを建物横の飛び梁が支える。この尖塔アーチはインドのクトゥブ・ミナールやタージ・マハルにも見られ、どちらにも多角形の石積みがある。つまりニンギシュジッダ由来の技術。

ヨーロッパ全土にゴシック建築の大聖堂が建設された。それらに飛び梁があり、大聖堂自体が十字架の形をしている。つまり大聖堂を建てたのもニンギシュジッダ。

十字もニンギシュジッダのシンボル。


インドのクトゥブ・ミナール

クトゥブ・ミナールにも、多角形の石積み、16花弁の紋章、尖塔(せんとう)アーチが見られる。

クトゥブ・ミナールの細かな装飾。4907a-225e3258225af25e32583258825e3258225a525e32583259525e32582259925e3258325bb25e32583259f25e32583258a25e3258325bc25e3258325ab25e3258125ae25e3258225a225e3258325

イルトゥトゥミシュの廟(びょう)の多角形の石積み、16花弁の紋章、尖塔(せんとう)アーチ。

クトゥブ・ミナール内の「錆びないデリーの鉄柱」は、古代インドの商業都市の毘舎離(びしゃり)にある獅子像が乗った石柱と同じデザイン。そしてクトゥブ・ミナールの敷地内にあることから、この錆びない鉄柱もニンギシュジッダ作。


南米のクスコ王国

クスコ王国はインカ帝国より引き継がれた。インカ神話の創造神ビラコチャはニンギシュジッダという結論だった。ここにも多角形の石積みがある。

■1202年

三重県の新大仏寺

三重県の新大仏寺にも多角形の石積み、黄金比が見られる。

大仏の体部は江戸時代の補作で、頭部は仏師の快慶(かいけい)の作とされる。

大仏の石造基壇(きだん)は造像当時のもので、多角形の石積みが見られる。

大仏殿の裏手にある岩屋不動は岩をくり抜いた場所に立っている。

新大仏寺に祀られている不動の顔の頭部にも、黄金比の渦模様が見られる。

この新大仏寺は、重源(ちょうげん)が創建されたと伝えられる。重源(ちょうげん)は鎌倉時代に東大寺大仏と大仏殿の復興事業を指揮した僧として知られる。つまり重源(ちょうげん)もニンギシュジッダということ。
重源

■1215年頃

アルメニア共和国のゲガルド修道院

ゲガルド修道院にも多角形の石積みがある。

ゲガルド修道院の門のアーチは、奈良県のキトラ古墳の石室の石組みと同じ。キトラ古墳もニンギシュジッダ作だった。
ニンギシュジッダのシンボルの十字架もたくさん彫られている。
フラワーオブライフの彫り込み。これもタニトと共に見られるニンギシュジッダのシンボル。十字架も見られる。

■1225年

フランスのノートルダム大聖堂

ノートルダム大聖堂(アミアン大聖堂)はゴシック建築を代表する建物。ここにも多角形の石積みが見られる。


■1238年

スペインのアルハンブラ宮殿

アルハンブラ宮殿にもニンギシュジッダのシンボルが見られる。。

アラヤネスの中庭のアーチ周辺の装飾には、コーランの章句が彫られている。

このコーランの章句のデザインパターンは、インドのタージ・マハルやクトゥブ・ミナールにも見られる。この2か所はニンギシュジッダが建造した場所だった。

カルロス5世宮殿の多角形の石積み。

カルロス5世宮殿の壁の黄金比の渦巻き模様。


■1248年

ゴシック建築のケルン大聖堂

ドイツのケルン大聖堂にも、多角形の石積み、黄金比の渦模様が見られる。


■1252年

神奈川県の鎌倉の大仏

鎌倉の大仏にも、多角形の石積み、黄金比がある。この大仏は阿弥陀如来(あみだにょらい)で、ニンギシュジッダという結論だった。

大仏の背面側の台座の多角形の石積み。同じパターンはエジプトのメンカウラー王のピラミッドにも見られる。

大仏の頭の渦模様も黄金比。これは中国の楽山大仏(らくさんだいぶつ)と同じ。

大仏の耳の形も黄金比。

大仏の台座は八角形。八芒星はメソポタミアにも見られた。


■1300年頃

中国の紫禁城(しきんじょう)

紫禁城(しきんじょう)は、中国の歴代王朝の明(みん)の1368年から、清(しん)の1912年までの旧王宮。

紫禁城の敷地は2つの黄金比の大きさ。黄金比を縦横に並べたときに現れる線の位置に、建物や橋が配置されている。

正面から見た太和殿(たいわでん)に2つの黄金比を配置すると、前方にある階段の幅と位置が黄金比の比率の位置になる。

多角形の石積みも見られる。

階段の壁や手すりの黄金比の渦模様。

太和門の両側にいる獅子像。その髪の渦模様も黄金比。渦模様の中に、さらに細かい線が見られる。これは手作業ではなく、3Dプリンタのような科学技術で作られたと考えられる。

紫禁城の獅子像は前足で球体を掴んでいる。球体は宇宙卵(うちゅうらん)を表す。

この球体の模様はフラワーオブライフという模様。これは紀元前645年のイラクのアッシュールバニパルの神殿や、エジプトのオシリス神殿でも見られる。

このフラワーオブライフの一部分の6枚花びらの模様も、タニトと共に見られる。つまりフラワーオブライフもニンギシュジッダのシンボル。

紫禁城内の亀の像やその他の建物にも、黄金比の渦模様が彫刻されている。亀もニンギシュジッダのシンボル。

紫禁城を作ったのもニンギシュジッダで、ここまで中国の歴史はずっとニンギシュジッダによるものという結論。

中国神話の竜とはニンギシュジッダのこと

各国の虹蛇はニンギシュジッダを表すという結論だった。それはオーストラリアのアボリジニ、フィジー諸島、西アフリカで見られ、雷雲、雨が象徴。虹は古代中国では竜の化身とされた。虹の虫偏(むしへん)は本来、爬虫類を意味する漢字。虫偏を使った竜には、蛟(みずち)、蛟龍(こうりゅう)、虹蜺(こうげい)などがある。虹蜺(こうげい)は、雄(おす)を虹、雌(めす)を蜺(げい)と呼び、雌雄の蛇、又は竜とした。つまり虹、蛇、竜はニンギシュジッダのこと。

ニンギシュジッダであるインド神話の蛇神ナーガも仏教では竜となり、アステカ神話のケツァルコアトルも空飛ぶ蛇で竜。これはヨーロッパでドラゴンにもつながる。

中国神話には無数の竜が存在する。帝王である黄帝(こうてい)の竜を応竜(おうりゅう)という。応竜は水を蓄えて雨を降らせる能力がある。つまりニンギシュジッダの雷雲と雨と同一。

中国の短編小説集の述異記(じゅついき)には、「泥水で育った蝮(まむし)は五百年にして蛟(みずち”雨竜”)となり、蛟(みずち)は千年にして竜(成竜”せいりゅう”)となり、竜は五百年にして角竜(かくりゅう)となり、角竜は千年にして応竜(おうりゅう)になり、年老いた応竜は黄竜(こうりゅう)と呼ばれる」とある。つまり黄竜と応竜は同じで、どちらもニンギシュジッダ。

黄竜は皇帝の権威を象徴する竜とされたが、後に麒麟(きりん)と置き換えられたり、同一視された。

紫禁城の慈寧門前に二体の麒麟(きりん)が置かれている。ニンギシュジッダである黄竜(こうりゅう)と同一視される麒麟(きりん)が慈寧門前に二体並んでいるということは、ニンギシュジッダが二体いるということ。日本の神社で言えば、二体の獅子像である狛犬(こまいぬ)と同じ。そして紫禁城の太和殿にある獅子像も、当然ニンギシュジッダのこと。


インド、中国、日本の竜

ナーガラージャはインドにおける蛇神(じゃしん)の諸王で、仏教では八大竜王をはじめ様々な竜神として取り入れられた。難陀(ナンダ)、跋難陀(ウパナンダ)、娑伽羅(サーガラ)、和修吉(ヴァースキ)、徳叉迦(タクシャカ)、阿那婆達多(アナヴァタプタ)、摩那斯(マナスヴィン)、優鉢羅(ウッパラカ)といった八大竜王はナーガラージャのこと。

ナーガラージャは下半身が蛇で上半身が人間として描かれていて、それが二体絡まっている。中国の伏羲(ふっき)と女媧(じょか)と同じデザイン。つまりナーガラージャと八大竜王は全てニンギシュジッダを表す。

中国の四海竜王は竜の姿で、海を統治し、雲と雨を操り、竜宮城(りゅうぐうじょう)でエビやカニたちに守られている。つまり日本人が知っている浦島太郎の物語に出てくる竜宮城とは、ニンギシュジッダの住処(すみか)ということ。浦島太郎が乗る亀もニンギシュジッダのシンボルで、サバジオスの手に見られる。

日本各地には八大龍王の神社があり、雨乞いの神様として祀られている。つまりニンギシュジッダを祀っている。例えば、宮崎県の八大竜王水神社や、埼玉県の秩父今宮神社(ちちぶいまみやじんじゃ)は八大龍王宮(はちだいりゅうおうぐう)とも称される。

八大竜王の和修吉(ヴァースキ)は日本へ伝来後、九頭龍大神(くずりゅうおおかみ)となった。密教において九頭竜は雨乞いをつかさどる神で、雷雲の象徴のニンギシュジッダと同一。九頭竜(くずりゅう)信仰は、神社、霊泉、霊水、水神など水にまつわる話が多い。長野県の戸隠山(とがくしやま)の九頭龍(くずりゅう)信仰の源は、戸隠神社の九頭龍大神。神奈川県の箱根には九頭龍神社がある。

石川県、福井県、岐阜県の白山信仰(はくさんしんこう)で、白山開山の起源は十一面観音の化身である九頭竜王が泰澄(たいちょう)の前に現れたことによる。次の画像の両白山地(りょうはくさんち)は、岐阜県、富山県、石川県、福井県及び滋賀県にまたがる山域。

両白山地

室堂から望む白山奥宮と御前峰。

室堂から望む白山奥宮と御前峰

白山(はくさん)は水源とする九頭竜川(くずりゅうがわ)、手取川(てどりがわ)、長良川(ながらがわ)流域を中心に崇められていた。つまり白山信仰はニンギシュジッダを崇めている。

日本神話のヤマタノオロチ(八岐大蛇)もニンギシュジッダのこと。これは8つの頭と8本の尾を持った巨大な怪物で、本来は山神または水神であり、八岐大蛇を祀る民間信仰もある。つまり八大竜王であるニンギシュジッダとつながり、水神であることも共通点。

また、日本武尊(ヤマトタケル)が帯びた剣は草薙剣(くさなぎのつるぎ)といわれる。出雲でスサノオ尊(みこと)がヤマタノオロチを倒した際にその尾から出てきたもので、天照大神(あまてらすおおみかみ)に献上され、天孫降臨(てんそんこうりん)に伴い三種の神器の一つとして、再び地上に戻ってきたもの。天照大神(あまてらすおおみかみ)はニンギシュジッダという結論だったが、スサノオ含めこの両者は、これもニンギシュジッダという結論だったイザナギ、イザナミから生まれた。つまり日本神話すべてがニンギシュジッダを表したもの。

三種の神器には鏡・玉・剣があり、日本の歴代天皇が継承してきた三種の宝物のこととされている。つまり天皇の三種の神器の一つは、ヤマタノオロチであるニンギシュジッダからのものと解釈できるが、実在するかは不明。


このようにインド、中国、日本でニンギシュジッダは、様々な竜として崇められている。


 雅楽(ががく)の竜

舞楽面(ぶがくめん)は天狗、烏天狗(からすてんぐ)、アイオーンとつながり、ニンギシュジッダを表すという結論だった。

雅楽(ががく)の曲目の陵王(りょうおう)の装束(しょうぞく)には、胸と腰に丸く竜の刺繍(ししゅう)がされている。つまり、この舞楽面(ぶがくめん)と装束(しょうぞく)もニンギシュジッダを表している。つまり踊りや雅楽の楽器も含め、ニンギシュジッダによって伝えられた文化ということ。


竜、9、皇帝の権力、四神、烏龍茶

数字の9は中国で天の数。中国の九龍壁(きゅうりゅうへき)は、異なる9つの竜が描写された壁。
紫禁城の九龍壁

9は皇帝の数で、最高位の官吏(かんり)が9つの竜がある上着を着た。1735年から1796年の清の第6代皇帝の乾隆帝(けんりゅうてい)も竜の服を着ていた。竜は清の国旗にも使用された。

また中国神話に四神(しじん)がいる。東の青龍(せいりゅう)・北の玄武(げんぶ)・南の朱雀(すざく)・西の白虎(びゃっこ)。この青龍もニンギシュジッダということ。玄武(げんぶ)は亀と蛇なので、これもニンギシュジッダの象徴。亀と蛇はサバジオスの手にも見られる。

朱雀(すざく)は奈良県の平城京の朱雀門に黄金比のシンボルが見られることから、ニンギシュジッダを表す。

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白狐(びゃっこ)もニンギシュジッダ。中国では青龍と白虎を一対と捉えていた。風水でも外から玄関に入ったとき、右側を青龍の方向、左を白虎の方向とする。入り口の左右に配置する構図は狛犬などと同じで、ニンギシュジッダのシンボルだった。この配置は京都の平安神宮の手水舎(ちょうずや)にも見られる。

またニンギシュジッダである伏犠(ふっき)が生みの親の易経(えききょう)に、「雲従竜風従虎」という言葉が出てくる。この読み方は「雲は竜に従い、風は虎に従う」で、意味は「竜が雲を従え、虎が風を従えるように、天子に徳があれば、必ず賢臣が現れ、互いの能力を発揮できる」というもの。竜はニンギシュジッダだった。南米のアステカ神話のケツァルコアトルも風の神。こういったことから、白虎もニンギシュジッダという結論。つまり四神は全てニンギシュジッダを表す。四神は奈良県のキトラ古墳の壁画や平城京でも見られた。

日本人にも馴染みのある烏龍茶(ウーロンちゃ)の祖は、鳳凰山周辺で生産された鳳凰單欉(ほうおうたんそう)と言われている。鳳凰(ほうおう)も平城京の鬼瓦に見られ、そこに黄金比のシンボルが見られた。烏(からす)という字も、烏天狗はアイオーン由来だった。烏龍茶には龍の字も使われていることから、ニンギシュジッダ山のニンギシュジッダ茶という意味になる。

このように中国の文学や神話では多くの竜が語られ、100以上の竜が登場するが、全てニンギシュジッダという結論。中国文明はニンギシュジッダが生みの親。日本の竜もまた同じ。


中国の古代の竜

竜はニンギシュジッダという結論で、紀元前5000年頃の土器に描かれた龍もニンギシュジッダ由来とわかる。ここの鹿龍、猪(いのしし)龍、鳥龍も、ニンギシュジッダのシンボル。
趙宝溝文化の龍

紀元前4400年頃の西水坡遺跡(せいすいはいせき)の、龍虎(りゅうこ)のレリーフ。四神に見られたこの龍と虎もニンギシュジッダのシンボルということ。

紀元前4700年頃から紀元前2900年頃の紅山(こうさん)文化の、竜を象った玉竜。これもニンギシュジッダを表す物という結論。中国では紀元前6000年頃に胸を触るニンギシュジッダの女神像が出土していたが、その時よりニンギシュジッダが中国の人々に文明を与えていた。


中国の三皇五帝

三皇について

中国で紀元前1900年頃からの夏(か)王朝より以前に存在した三皇五帝(さんこうごてい)の神話がある。三皇は神、五帝は聖人としての性格を持つとされ、理想の君主とされた。三皇については諸説あるが、以下のような5説がよく知られている。

①伏羲・神農・女媧
②伏羲・神農・燧人(すいじん)
③伏羲・神農・祝融(しゅくゆう)
④伏羲・神農・黄帝
⑤天皇・地皇・人皇(泰皇)

①春秋緯運斗枢
②礼緯含文嘉
③後漢(ごかん)・班固(はんこ)『白虎通(びゃっこつうぎ)』号篇
④西晋(せいしん)・皇甫謐(こうほひつ)『帝王世紀』
⑤前漢・司馬遷(しばせん)『史記』秦始皇本紀

伏羲(ふっき)と女媧(じょか)は二匹の蛇なので、ニンギシュジッダを表すという結論だった。

神農(しんのう)は紀元前200年頃の漢代に五行説が流行するとともに、南の方角を示す炎帝(えんてい)と同一視されるようになる。五行説の南には、火、紅(赤)、朱雀(すざく)が要素としてあるのでニンギシュジッダになる。また神農は、人々に医療と農耕の術を教えた医薬と農業を司る神ともされている。ギリシャ神話のアスクレピオスは医神で、手に持つ杖は1匹の蛇が絡まったアスクレピオスの杖。これもニンギシュジッダという結論だった。つまり神農(しんのう)と炎帝(えんてい)はニンギシュジッダ。

燧人(すいじん)は火打石で火を得て、食物を調理することを人々に教えたとある。五行説の火で判断すればニンギシュジッダ。

祝融(しゅくゆう)は中国神話の火の神で、南の神でもあり、その姿は獣面人身とされている。五行説の火と南の神なのでニンギシュジッダ。

黄帝(こうてい)と伏羲(ふっき)は龍体を持つと言われているので、黄帝(こうてい)もニンギシュジッダとなる。

1607年の三才図会(さんさいずえ)の想像図で、天皇(てんこう)は人間で、体は魚の鱗(うろこ)のよう。地皇(ちこう)は手は鳥、人皇(じんこう)は画像がないが蛇として描かれるとされている。魚、鳥、蛇はニンギシュジッダのシンボルなので、この3人もニンギシュジッダと考えられる。

こういったことからもう一度、三皇に当てはめてみると次のようになる。
①伏羲(ニンギシュジッダ)・神農(ニンギシュジッダ)・女媧(ニンギシュジッダ)
②伏羲(ニンギシュジッダ)・神農(ニンギシュジッダ)・燧人(ニンギシュジッダ)
③伏羲(ニンギシュジッダ)・神農(ニンギシュジッダ)・祝融(ニンギシュジッダ)
④伏羲(ニンギシュジッダ)・神農(ニンギシュジッダ)・黄帝(ニンギシュジッダ)
⑤天皇(ニンギシュジッダ)・地皇(ニンギシュジッダ)・人皇(ニンギシュジッダ)

①春秋緯運斗枢
②礼緯含文嘉
③後漢(ごかん)・班固(はんこ)『白虎通(びゃっこつうぎ)』号篇
④西晋(せいしん)・皇甫謐(こうほひつ)『帝王世紀』
⑤前漢・司馬遷(しばせん)『史記』秦始皇本紀

五帝について

三皇五帝(さんこうごてい)のうち、誰をもって五帝となすかは下の表に示してあるように様々であり、その話の内容に付いても様々な前後矛盾がある。しかしこれらの多くがニンギシュジッダという結論。

伏羲
ニンギシュジッダ
神農
ニンギシュジッダ
太昊
ニンギシュジッダ
炎帝
ニンギシュジッダ
黄帝
ニンギシュジッダ
少昊
ニンギシュジッダ
顓頊
不明

不明

不明

不明

ニンギシュジッダ

不明
出典
1 2 3 4 5
大載礼記・史記
1 2 3 4 5
戦国策・易経
1 2 3 4 5
礼記・淮南子
1 2 3 4 5
世経
1 2 3 4 5
三統経
1 2 3 4 5
資治通鑑外記

表の左から順に見ると、伏羲(ふっき)も神農もニンギシュジッダだった。太昊(たいこう)は伏羲(ふっき)とも呼ばれるのでニンギシュジッダ。炎帝(えんてい)は神農(しんのう)と同一なのでニンギシュジッダ。黄帝(おうてい)は龍体を持つのでニンギシュジッダ。少昊(しょうこう)は鳳鳥(ほうおう)氏とも称されるのでニンギシュジッダ。顓頊(せんぎょく)、嚳(こく)、堯(ぎょう)、舜(しゅん)は不明。禹(う)も竜の象形文字なのでニンギシュジッダという結論。湯(とう)は不明。

このように、古代中国の神話伝説時代の8人の帝王とは、ほとんどがニンギシュジッダのことを指す。


風神、雷神、イザナギ、イザナミ

雷も風もニンギシュジッダのシンボルだった。つまり日本神話の風神(ふうじん)、雷神(らいじん)もニンギシュジッダ。
風神雷神図(建仁寺蔵)

京都の三十三間堂(1165年創建)の木造の風神・雷神像は鎌倉時代の作で国宝。

雷鳴を神鳴(かみな)りと言うが、雷は神(ニンギシュジッダ)の力とされた。稲妻(いなずま)の字の通り、雷は稲と関連づけられている。雷は田に水を与え天に帰る神。雷は漢字で「雨」と「田」と書き、関連性が見られる。

また雷は、いかずちとも読まれ、荒々しく厳(おごそ)かな霊の意味。「いか」は、荒々しい、立派などの意味の「厳し(いかし)」から。「ず(づ)」は助詞の「つ」で、「〜の」を表す古語。「ち」は「みずち(水霊)」や「おろち(大蛇)」の「ち」と同じ、霊的な力を持つものを表す言葉。よって「いかずち」は「厳(いか)つ霊(ち)」で、蛇とも関係する名称。

つまり雷とはニンギシュジッダを表す文字であり、こういった深い意味がある漢字も、ニンギシュジッダが作り出したということ。

雷神は古事記の中でも見られる。イザナミが火の神であるカグツチを産んだことで陰部に火傷を負い、亡くなる。イザナギは、イザナミを追って黄泉国(よみのくに=死後の世界)まで逢いに行く。そこで「覗いてはいけない」と言ったイザナミとの約束を破り見てしまう。するとイザナミは腐敗して蛆(うじ)がわき、八雷神(やくさのいかづちがみ)である火雷大神(ほのいかづちのおおかみ)に囲まれていた。その姿に恐れ、イザナギは地上へ逃げ出した。地上に戻ったイザナギは黄泉国の穢れを落とすために禊を行なうと、様々な神が生まれた。最後に、左眼からアマテラス(天照大神)、右眼からツクヨミ(月夜見尊月読命)、鼻からスサノオ(建素戔嗚尊速)の三貴子が生まれた。イザナギはそれぞれ高天原・夜・海原の統治を委任した。

つまりイザナミに雷神である火雷大神(ほのいかづちのおおかみ)が生じていたということは、イザナミはニンギシュジッダということになる。また火雷大神(ほのいかづちのおおかみ)は雷神、水の神、雨乞(あまご)い、稲作の守護神なので、これもニンギシュジッダのシンボルと共通する。また中国の伏犠(ふっき)と女媧(じょか)、インドのナーガラージャは男女で一対だが、イザナミとイザナギもともに生まれた。イザナギが死後の世界である黄泉国(よみのくに)に行って帰ってくる「死と再生」の話も、ニンギシュジッダであるオシリス、ヒラム・アビフ、バアル、ペルセポネ、ケツァルコアトルとショロトル、キリストでも見られた。そしてイザナギ、イザナミは日本列島を生み、山・海など森羅万象の神々を生んだが、万物に神が宿るアニミズムの思想もニンギシュジッダ由来という結論だった。つまりイザナギ、イザナミはニンギシュジッダを表す。そこから生まれた天照大神も大日如来と同一しされるのでニンギシュジッダ。つまり日本神話もニンギシュジッダが主神で、日本書紀や古事記もニンギシュジッダが創作したという結論。


アイオーン、天狗、烏天狗、ガルダ、雷公、迦楼羅天、雷神の共通点

風神は日本以外でも見られる。
・左、ギリシャの風神、ガンダーラ美術、ハッダ、100年代
・中、中国のキジル石窟の風神、タリム盆地、600年代
・右、日本の風神、1600年代
WindGods

北西インドで風袋を掲げる風神を描いたコインが作られている。左の人物はカニシカ王、右が風神と周囲はマント。

中国の莫高窟(ばっこうくつ)の壁画では、右上に風袋を掲げた風神、左上にリング状に太鼓を並べた雷神の姿形が見える。岩山をくり抜いた莫高窟(ばっこうくつ)もニンギシュジッダ作。

中国では雷神を雷公(らいこう)、雷師、雷祖などとも呼ばれ、羽やクチバシがある。下の画像の雷公は片手にハンマーを持っている。ニンギシュジッダであるアイオーンもハンマーのシンボルが足元に描かれている。

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ニンギシュジッダのシンボルで表されたフリーメイソンのトレーシングボードでも、ハンマーが見られる。

1542年の明(みん)の時代に描かれた雷公の左手には、デザイン的には少し異なるがメソポタミアやジーロフト文化で見られるようなハンドバックを持っている。つまり雷神=雷公=ニンギシュジッダ=ハンドバックというシンボルでつながる。

羽やクチバシがある雷公は、烏天狗(からすてんぐ)と似ている。烏天狗、インドのガルダ、仏教の迦楼羅天(かるらてん)はアイオーンという結論だった。つまりアイオーン、天狗、烏天狗(からすてんぐ)、ガルダ、迦楼羅天(かるらてん)、雷公、雷神はすべてニンギシュジッダを表している。
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中国の洪水伝説では、雷公が洪水を起こして攻めたために伏羲(ふっき)と女媧(じょか)の兄弟2人を残して人類は滅亡したとある。兄妹は雷公を助けた時に彼からもらった種を植えて、そこから生った巨大な瓢箪(ひょうたん)の中に避難して助かり、その後、陸地に降り立った2人は結婚した。

類似の洪水伝説は旧約聖書のノアの箱舟など世界中で見られ、そこに見られる神は全てニンギシュジッダという結論だった。


■1386年

イタリアのミラノ大聖堂

ミラノ大聖堂にも多角形の石積み、黄金比が見られる。


■1400年頃

ブードゥー教、マクンバ、カンドンブレ、サンテリア

オーストラリアのアボリジニのヨルング族に伝わる虹蛇を同じように神として崇めているのが、ブードゥー教という黒魔術。ブードゥー教は、西アフリカのベナンやカリブ海の島国ハイチやアメリカ南部のニューオーリンズなどで信仰されている。ハイチや西アフリカではヴォドゥンと呼び習わされ、西アフリアのベナンでは国教となっている。この黒魔術もニンギシュジッダ由来という結論。

ハイチのブードゥー教の最高神は肥沃(ひよく)の蛇神ダンバラーウェイドで、その妻が虹蛇の女神アイダ・ウェッド。この二つの神は、中国の伏義(ふっぎ)と女媧(じょか)のように2匹の蛇で描かれる。2匹の蛇はニンギシュジッダのシンボルで、ギリシャ神話の神ヘルメスの杖カドゥケウスにも見られた。

1400年代から約400年の間、ヨーロッパ人による奴隷貿易により約1500万人のアフリカ人がヨーロッパや南北アメリカ、カリブ海諸島に奴隷として連れて来られた。そのときに、彼等の信仰であるブードゥー教も持ち込まれ、ハイチで独自に発展した。さらにアメリカ南部のニューオーリンズにもブードゥー教は定着し、ブラジルではマクンバやカンドンブレ、キューバやベネズエラではサンテリアとして発展する。

ブードゥー教では、動物の死骸や血、酒などのお供えと交換で悪魔に願いを叶えてもらうもので呪いの儀式を行う。日本ではコックリさんが近しい。ブラジルでは自分を裏切った恋人を不幸にするためなど、恨みを晴らすものとして市民が日常的にマクンバを使用することもある。


■1429年

琉球王国成立と首里城

尚巴志(しょうはし)が琉球王国を成立させ、首里城を王家の居城とした。首里城の正殿も人間目線で黄金比の比率に設計されている。また多角形の石積みも見られる。

首里城に見られる石垣は復元されたものもあるが、多角形の石積みが見られる。
琉球神話の創生神アマミキヨや、その他の呼び名のアマミク、アマミコ、アマンチュなどはニンギシュジッダのことを指している。はるか昔、天から下界に降りてきたアマミキヨは太陽神に命じられ、何もなかった大海原に島を生み、ウタキをこしらえ、人を作り、五穀と稲をもたらし、そうして人々の世を作り上げたとされる。稲妻、雷、稲、雨、田もニンギシュジッダを表す。また距離的に近い場所で神の名が異なっている例から、各地の方言もニンギシュジッダによるものという結論になる。
琉球王国は1429年から1879年の450年間、琉球諸島を中心に存在した。つまり国王の居城の首里城を建てたニンギシュジッダより沖縄統治を任されたのが、初代の琉球国王の尚巴志(しょうはし)辺りの王で、そこから最後の琉球国王の尚泰王(しょうたいおう)まで続いたということになる。


台湾のパイワン族

沖縄に近い台湾にも、2匹の蛇のシンボルが見られる。台湾南部に住むパイワン族は台湾原住民の一種族。2000年の調査ではパイワン本族は7万331人で、台湾原住民の17.7%にあたり、台湾原住民で三番目に人口の多い民族集団。


パイワン族は世襲貴族制で、貴族、準貴族、平民の三階級からなる。貴族は貢税(ぐぜい)や土地支配権を持ち、服飾、紋飾に至るまで特権を得ていた。その中の貴族の頭目家は支配権を持ち、そのシンボルは百歩蛇(ひゃっぽだ)という蛇。家紋として人体像、家屋の入り口、柱、軒に彫刻し、衣服に刺繍してきた。

このパイワン族の創世記は、太陽と百歩蛇(ひゃっぽだ)という蛇にまつわるもの。この物語は複数存在するが、下記はその一例。

「昔、太陽はツァカパウクヌ山の頂に赤・白の卵を一個ずつ生みおとし、百歩蛇のブーロンに、それを保護するよう命じた。そこで百歩蛇はこの卵の孵化(ふか)につとめ、その結果やがてこの二個の卵から男女二神が生まれた。この二神の後裔(こうえい)がパイワン族の貴族の祖先となった。平民の祖先はリーライと呼ばれる青蛇から孵化したもの。パイワン族の服飾や芸術彫刻品のなかに、多くの蛇模様が見られるのはまさにこの為である。」(高淵源著、台湾高山族、1977年2月刊より要約)

このパイワン族の祭祀用土器の浮き彫りに、2匹の百歩蛇(ひゃっぽだ)の浮き彫りが見られる。
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また次の画像左側の木彫板では頭に2匹の百歩蛇が見られ、両手を上げ手のひらを見せている。これもニンギシュジッダのシンボルポーズという結論でタニトなどに見られた。また右の木彫板では2匹の百歩蛇の上に祖先の人面が刻まれている。その百歩蛇の体には、ジグザグ模様で描かれた菱形のニンギシュジッダのシンボルも見られる。つまり2匹の蛇で表された台湾のパイワン族の文化も、全てニンギシュジッダが由来という結論。
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下の画像はタニト、両手を上げるポーズ、十字のシンボル。

またパイワン族の針磨きという木彫の渦巻き部分にもジグザグ模様が見られ、上部先端には十字も見られる。どちらもニンギシュジッダのシンボルという結論だった。トグロの中心部には三角紋を頭につけた祖先神の顔の彫刻。
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台湾先住民にはY染色体ハプログループO1a系統が66.3%〜89.6%の高頻度で観察されている。つまり人類はアフリカからイラン付近へ行き、そのあたりでニンギシュジッダの遺伝子操作により人種を変えられて広がり、紀元前3万3000年頃に台湾にやってきた。
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そしてここまで見てきたパイワン族の伝統文化がニンギシュジッダによって与えられた時期は、推測だが800年頃〜1500年頃が一つの目安と考えられる。理由は日本、中国、東南アジアの遺跡の建造の年代がこの時期に多く見られ、そこに王など支配権力を置くこともあった。これらの遺跡の間にある台湾のパイワン族にも貴族という支配階級が存在したというのが理由。

794年、日本の平安京
890年頃、カンボジアのプレアヴィヒア寺院
1100年頃、カンボジアのアンコール・ワット
1300年頃、中国の紫禁城(しきんじょう)
1429年頃、沖縄首里城


■1438年

マチュ・ピチュ

マチュ・ピチュはインカ帝国の遺跡で標高2430mにある。ここにも多角形の石積みが見られ、ニンギシュジッダ作という結論。

インカ帝国(クスコ、マチュピチュ、サクサイワマン、マルカワシ高原など)の国旗も、2匹の蛇、虹、重し(ウェイト)の絵柄となっている。この3つもニンギシュジッダのシンボルという結論だった。


■1475年

イングランドのウィンザー城内の聖ジョージ礼拝堂

聖ジョージ礼拝堂にも黄金比、尖塔(せんとう)アーチが見られる。

聖ジョージ礼拝堂もゴシック建築。平面図には黄金比の比率も見られる。
聖ジョージ礼拝堂はイギリス王室のウィンザー城の場内にあり、イングランドの都市ウィンザーに位置する。ウィンザー城は、女王エリザベス2世が週末に過ごす場所でもある。

■1536年

南米ペルーのオリャンタイタンボ遺跡

ペルーのオリャンタイタンボ遺跡にも、多角形の石積みがある。


■1546年

金沢城

金沢城にも多角形の石積み、黄金比が見られる。

この異なった石積みの精度から見ると、下の一番右側の綺麗な多角形の石積みがニンギシュジッダ作で、一番左側と中央は人間によるものとも考えられる。つまりニンギシュジッダが人間に技術を教えながら作っていた可能性がある。

巨石の石垣。

■1557年

トルコのスレイマニエ・モスク

スレイマニエ・モスクにも、黄金比、多角形の石積みが見られる。


■1583年

大坂城

大坂城は豊臣秀吉によって1583年に築城されたとされる。

1583年の豊臣秀吉の大坂城と、1626年頃の徳川家康による大坂城にも黄金比の比率を見ることができる。これらは少なくとも2つの大きさの黄金比が組み合わされて設計されている。ただこの2種類の大阪城の立面図がどこまで正確かは現時点では不明。

この大坂城には2種類の石積みが見られる。

大坂城の石垣の中でも比較的新しい白っぽい石は、形はそのままに現代に入り修復された部分。多角形の石積みが見られる。

桜門枡形の蛸石(さくらもんますがた のたこいし)は大坂城内第1位の巨石で、重量は約130トンと推定されている。

1 約130トン 桜門枡形の蛸石
2 約120トン 京橋門枡形の肥後石
3 約120トン 桜門枡形の振袖石


■1591年

インドのチャール・ミナール

4つの光塔をもつチャール・ミナールも黄金比、尖頭(せんとう)アーチがある。


■1609年

名古屋城

名古屋城にも黄金比の比率が見られる。


■1626年

バチカンのサン・ピエトロ大聖堂

1626年にバチカン市国にあるカトリック教会の総本山、サン・ピエトロ大聖堂が完成する。このデザイン的要素もサバジオスの浮き彫りと同じで、三角屋根と柱。

バチカン美術館の松ぼっくりのシンボル。左右には孔雀(くじゃく)。中国の紫禁城には鳳凰(ほうおう)がいるが、鳳凰の尾は孔雀。さらにその下の左右にはライオンがいる。キリストもニンギシュジッダという結論だった。つまりこれら全てはニンギシュジッダのシンボルでつながっている。

バチカン美術館の1932年に作られた二重らせん階段。上りと下りの専用になっている。これに渦模様も加わり、ニンギシュジッダのシンボルと共通する。


■1627年

江戸城

江戸城にも黄金比、隙間なく密着して積まれた巨石、多角形の石積みが見られる。

江戸城内には石室もあり、そこでも多角形の石積みが見られる。

またニンギシュジッダのシンボルのH型(2つのT字)の締め金も、江戸城の中之門で見られる。

ギョベクリ・テペの石柱の上部右端のハンドバックの右下の「H」を横にした図柄。


■1640年

パキスタンのマクリの丘

マクリの丘の遺跡にも、黄金比や多角形の石積みが見られる。

ジャム・ニザムディン廟(びょう)の細かな彫刻。これも手作業ではなく、ニンギシュジッダの科学技術で彫られたという結論。

■1648年

フランスの代用貨幣(だいようかへい)の宇宙船

1648年〜1680年のフランスの代用貨幣(だいようかへい)に、宇宙船の絵が見られる。フランスでの代用貨幣は民間企業、団体あるいは個人により発行される場合と、地方銀行が発行する場合があった。この代用貨幣の宇宙船の下部の花弁模様の数がそれぞれ異なることから、3種類の宇宙船を見ることができる。

この代用貨幣の宇宙船の中心からは、尖ったものが少し出ている。これは1523年頃のシギショアラの教会の壁に描かれた宇宙船と似たデザイン。

この宇宙船の絵を盾(たて)を描いたものとする意見もあるが、この代用貨幣にもニンギシュジッダの共通点を見ることができる。次の画像の代用貨幣の宇宙船の花弁模様は16枚となっている。裏側にはシュメールの円筒印章の生命の樹を思わせる植物が描かれている。その上の雨雲と雨もニンギシュジッダのシンボル。


■1653年

インドのタージ・マハル

タージ・マハルにも黄金比と渦模様、多角形の石積み、尖塔(せんとう)アーチが見られる。また壁にコーランの章句が刻まれていることが、ニンギシュジッダが作ったクトゥブ・ミナールのデザインと同じ。

タージ・マハルを正面から見た場合、黄金比の比率でデザインされている。

タージ・マハルのメインの敷地は3つの黄金比を並べた大きさとなっており、建物や道は黄金比の比率を取り入れた配置となっている。

ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンの皇妃(こうひ)ムムターズ・マハル(1595年〜1631年)の肖像画にも黄金比の模様が見られ、8芒星のシンボルも描かれている。

この皇妃(こうひ)ムムターズ・マハルの夫で、ムガル帝国の第5代君主シャー・ジャハーンの絵には光背が見られる。つまりシャー・ジャハーンもニンギシュジッダで、これらの歴史は作り話という結論。


■1673年

パキスタンのバードシャーヒー・モスク

バードシャーヒー・モスクは、ムガル帝国の第6代君主アウラングゼーブの命によってラホールに建設されたモスク。この敷地にも黄金比の比率が見られる。

この時代以降、黄金比、多角形の石積みなど、ニンギシュジッダのシンボルのある建築物は見られなくなる。

■1717年頃

ロンドン・グランド・ロッジの設立

フリーメーソンは長い地下組織の歴史に終止符を打ち、近代フリーメイソンの歴史が始まる。


フリーメイソンのロッジ

世界中にあるフリーメイソンのメソニック・ロッジのデザインはニンギシュジッダ由来。三角屋根と柱のサバジオスの浮き彫りと同じ。


イスラエルのフリーメイソンの紋章

イスラエルのフリーメイソン・グランドロッジの、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教、フリーメイソンが合わさった特殊な紋章。これらの宗教はニンギシュジッダが作ったという結論だった。さらに直角定規とコンパス、六芒星、三日月、十字架も全てニンギシュジッダのシンボル。
グランドロッジ


■1776年頃

産業革命が起こる

イギリスの発明家ジェームズ・ワットが蒸気機関を改良し、能力を大幅に増大させた。それが革命的な動力源となる。その後、工場制機械工業の成立、蒸気船や鉄道に使用され交通革命も起こる。


■結論

①宇宙のあらゆるものはニンギシュジッダ作

ここまで黄金比や多角形の石積みなど、物的証拠とともに地球外生命体ニンギシュジッダの足取りを追ってきた。すると1700年頃まで、地球上のあらゆる大陸で文明を築いていたという結論になった。古代からの世界中のシンボルはニンギシュジッダを表し、それは同時に存在の全てである「一なるもの」を指すという結論だったが、それにより見えてくることがもう一つある。

まず、各国の創成神話の共通点として「一なるもの」である無からニンギシュジッダが誕生し、天地万物を作り出したという物語が見られた。

そして、その宇宙に存在する巨大な銀河から小さな植物まで、自然の中には黄金比がデザインの共通パターンとして見られる。つまり宇宙が作り出された当初から、意図的に万物のデザインの共通パターンが決められていた。つまりニンギシュジッダが全ての大元を設計した。

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次に、ギザの三大ピラミッドにも黄金比や多角形の石積みが見られ、その配置がオリオン座であった。つまりオリオン座もニンギシュジッダのシンボルということ。
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オリオン座はギリシャ神話に登場する狩人(かりゅうど)オリオンの図柄となっている。ギリシャ神話もニンギシュジッダ作という結論だった。この狩人オリオンが死後に天に昇ってオリオン座となり、宿敵のさそり座と共に夜空を永遠に廻っているとされている。つまりオリオン座の創造にもニンギシュジッダが関係したことが見えてくる。

そのさそり座がある黄道十二星座(こうどうじゅうにせいざ)や星占いに使用される12の星座、そしてへびつかい座も含め全てニンギシュジッダのシンボルという結論だった。
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夜空に見える光の帯を日本では天の川(あまのがわ)と呼ぶが、ギリシャ神話ではこれを乳と見ている。それにより英語圏ではミルキーウェイと呼ばれ、ギリシャ語では「乳の環」と表されている。ギリシャ神話では次のように述べられている。

「ゼウスは女神ヘラに眠り薬を飲ませ、ヘラが眠っている間に別の女性との息子ヘラクレスに母乳を飲ませた。この時ヘラが目覚め、ヘラクレスが自分の乳を飲んでいることに驚き、払いのけた際にヘラの母乳が流れ出した。これが天のミルク(乳)の環になった。」

つまり天の川の無数の星々の創造とニンギシュジッダの関係が見られる。

また、月は地球にいつも同じ面を向けていて、月の裏側を地球から見ることはできない。その理由は、月が地球を一周する間に月も1回転しているため。月は約27.3日で地球を一周し、月の自転周期も約27.3日でちょうどとなっている。自転と公転の周期が同じ理由については、科学的にはっきりと説明されていない。

この月と兎(うさぎ)に関する伝承は日本や中国で見られる。日本では餅をついている姿、中国では不老不死の薬の材料を手杵(てぎね)で打って粉にしているとされている。1700年代の中国の清朝皇帝の服にある図柄では、月の兎が仙薬を作っている。古代中国の秦(しん)という漢字から、稲、臼(うす)、杵(きね)=アイオーンが持つ金剛杵(こんごうしょ)、餅つきもニンギシュジッダのシンボルという結論だった。

タイの伝説でも月に兎が住んでいるとされ、チャンタブリー県の県章の月の中には兎がデザインされている。

月の兎の物語はインドの仏教説話ジャータカにも見られる。

「猿、狐、兎の3匹が、山の中で力尽きて倒れているみすぼらしい老人に出逢った。3匹は老人を助けようと考えた。猿は木の実を集め、狐は川から魚を捕り、それぞれ老人に食料として与えた。しかし兎だけは、どんなに苦労しても何も採ってくることができなかった。自分の非力さを嘆いた兎は、何とか老人を助けたいと考えた挙句、猿と狐に頼んで火を焚いてもらい、自らの身を食料として捧げるべく、火の中へ飛び込んだ。その姿を見た老人は、帝釈天としての正体を現し、兎の捨て身の慈悲行を後世まで伝えるため、兎を月へと昇らせた。月に見える兎の姿の周囲に煙状の影が見えるのは、兎が自らの身を焼いた際の煙だという。」

インド、タイ、中国、日本で「月の兎」が見られるのは、同じアジア内で人の移動と共に広まった可能性も考えられる。しかしメキシコでも月の模様は兎と考えられていた。アステカの伝説では、地上で人間として生きていたケツァルコアトル神が旅に出て、長い間歩いたために飢えと疲れに襲われた。周囲に食物も水もなかったため、死にそうになっていた。そのとき近くで草を食べていた兎がケツァルコアトルを救うために自分自身を食物として差し出した。ケツァルコアトルは兎の高貴な贈り物に感じ、兎を月に上げた後、地上に降ろし、「お前はただの兎にすぎないが、光の中にお前の姿があるので誰でもいつでもそれを見てお前のことを思いだすだろう」と言った。これはインドのジャータカと類似した物語。ケツァルコアトルもニンギシュジッダという結論で、その像や神殿にも黄金比や多角形の石積みが見られた。つまり「月の兎」の話もニンギシュジッダ由来ということで、月の創造とニンギシュジッダの関係性が見えてくる。
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またメキシコ周辺の別の伝説では、第5の太陽の創造においてナナワツィン神が勇敢にも自分自身を火の中に投じて新しい太陽になった。しかしテクシステカトルの方は火の中に身を投じるまで4回ためらい、5回めにようやく自らを犠牲にして月になった。テクシステカトルが臆病であったため、神々は月が太陽より暗くなければならないと考え、神々のひとりが月に兎を投げつけて光を減らした。あるいは、テクシステカトル自身が兎の姿で自らを犠牲にして月になり、その姿が投影されているともいう。つまりアジアとメキシコの兎の神話の中に、太陽と月の創造とニンギシュジッダの関係性が見られる。


北米のネイティブ・アメリカンのクリーにも「月と兎」の伝説がある。鶴だけが兎を運ぶことができたが、重い兎が鶴につかまっていたために鶴の脚は今見るように長く伸びてしまった。月に到着したときに兎が鶴の頭に血のついた脚で触ったため、鶴の頭には赤い模様が残ってしまった。この伝説によれば、晴れた夜には月の中に兎が乗っているのが今も見えるという。

日本では天照大神に代表されるように、世界各地の神話に太陽神が存在する。つまり太陽もシンボルの一つということになる。ここまで見てきたように神が、星座、太陽、月となる物語が世界各地にある。そしてオーストラリアのエアーズロックに関する蛇クニヤとリルという2匹の蛇の伝承や、北米のホピ族の石板の2匹の蛇はコロラド川とリオ・グランデ川を象徴していたように、地球の山や川などの造形もニンギシュジッダが行ったという結論だった。そのホピ族の神話ではトクペラ(無限宇宙)がソツクナング(ニンギシュジッダ)を創造し、ソツクナングはトクペラの指示通りに宇宙を秩序正しく整え、水、風、生命を作った。類似の宇宙創生の話は各宗教でも見られた。そして小さな植物から渦巻き銀河にまで見られたように、宇宙全体がニンギシュジッダの黄金比という共通のデザインパターンで設計されているという証拠も見てきた。つまり宇宙創生の物語は宗教ごとに表現を変えて事実を説明しており、ニンギシュジッダがこの宇宙全てをデザインしたという結論が見えてくる。

銀河や台風や植物に見られたように、全てのものは自然に黄金比を描くよう素粒子などのレベルに設計が組み込まれていて、自動的にそれを形作る。星形成の過程は科学的に完全に解明されたわけではないが、星々の間の分子雲(ぶんしうん)が、自らの重力で収縮して新しい星となり、その周囲に惑星系が作られると説明されている。人間や植物が自己生成していくように、星も自己生成し、超新星(ちょうしんせい)爆発などで最後を迎える。この過程もニンギシュジッダが設計したものという結論となる。そして例えば地球のようにある程度、星形成が落ち着いた星に新しい生命を育む計画をニンギシュジッダが立て、太陽や月を作り、星々の配置や環境を整え、地球上の自然環境も整える。そこに植物、生物、原人、人間を移植して、別次元から霊体や魂をこの物質的次元の肉体に宿れるようにする。そうして人間は輪廻転生を繰り返す中で経験値が増え、精神的に成長する。やがて自我(エゴ)が克服され執着心がなくなり、それと同時に「一なるもの」として在るようになると、肉体を持った人間の期間は卒業となる。

このように宇宙、生命など全てのものは「一なるもの」の意思により、その代理人ニンギシュジッダによって計算されて作られたというのが結論となる。


②ニンギシュジッダが多様な文化を人間に与えた理由

地球という一つの星の中に、どうして様々な言語、宗教、文化をニンギシュジッダは与えてきたのか。それにより人間は争い、支配し、異質な文化を排除もしてきた。これについてまず一つ考えられる答えは植物の多様性に見出せる。仮に地球上に一つの植物しかなかった場合、環境の変化が起これば簡単に全滅する。しかし多様性があれば滅ぶものあるが、耐える植物もあり、全体として生き永らえる。人間においても同じで文化に多様性があれば、気候などの変化があっても、滅びる種もあればうまく対応する種が出てくる可能性が高くなる。

そしてもう一つの答えは、自我(エゴ)の性質に見出せる。自我の性質は、恐れ、他者を否定し、攻撃的で、傲慢(ごうまん)など人間として器が小さい性質に当てはまる。先にあげた多様性を認めないのが自我である。その対極にあるのが「一なるもの」の性質。つまり自我を克服していない人間に多様な文化を与えることで、人間は時代とともに異質な文化に出会い、刺激され、受け入れたり排除したりする。否定的な行動の根底には恐れがあるが、それを繰り返す中で、やがて人間は全てを受け入れることしかうまくいく道がないことを知る。つまり争ってばかりでは疲れ、苦しいだけということを学ぶ。つまり多様性は、人間が自我から「一なるもの」の性質へ向かうために必要な成長の要素ということ。

さらにもう一つ見えてくる答えがある。多様な文化が出会うことで、人間は刺激を受け、考え始め、理解し、新しい物を創造し、それによって知性を伸ばしてきた。例えばニンギシュジッダによるギリシア神話で、音楽、詩作、言語など文芸を司る女神たちをムーサと呼ぶ。ムーサ(Musa)という言葉はヨーロッパの多くの言語で、音楽と美術館や博物館を意味する語となっている。音楽は英語でMusic(ミュージック)、ドイツ語でMusik、フランス語でMusique、イタリア語でMusica、ラテン語でMusica。美術館や博物館は英語でMuseum(ミュージアム)、ドイツ語でMuseum、フランス語でMusée、イタリア語でMuseo、ラテン語でMuseum。これらの言語もニンギシュジッダによって作られたという結論で、音楽もまたニンギシュジッダ由来の文化ということでもある。

このギリシア神話には、山羊のような角をもつ牧神パンが登場する。キリスト教の悪魔バフォメットも山羊の頭で、腹にカドゥケウスを持っていた。つまりパンもニンギシュジッダを表すシンボルということ。

このパンが吹いた笛がパンパイプで、異なる数本の管(くだ)を長さの順に束ねた縦笛。このパンパイプが紀元前264年にギリシャで水オルガンとなり、後にパイプオルガンやオルガンとなる。つまり音楽や楽器のルーツもニンギシュジッダということ。

 

ニンギシュジッダ作のキリスト教では、最初期から楽器のない無伴奏(むばんそう)で神を讃(たた)える聖歌が歌われていた。そこから500年代には単旋律音楽のグレゴリオ聖歌や中世西洋音楽が生まれ、800年代に多声音楽へと発展し、パイプオルガンも使用され始める。そして1400年代にはルネサンス音楽へと発展し、1600年頃にはバロック音楽と呼ばれ、同時期に古代ギリシャの演劇を復興しようとオペラも生み出される。ルネサンス音楽から1900年頃までの音楽はクラシック音楽とも呼ばれている。1600年頃からイギリスの白人による北アメリカ大陸への植民が始まり、キリスト教が持ち込まれる。同時にアフリカの黒人が奴隷としてアメリカに連れてこられる。これにより白人のキリスト教の宗教歌とアフリカの黒人の音楽的感性が混ざり、1800年頃にはアメリカで黒人霊歌(れいか)が誕生する。これがその後ブラックミュージックや黒人音楽と呼ばれるようになる。これが発展して1900年頃にブルースやジャズ、1930年代の黒人のゴスペル、1940年代にR&B、1950年代のソウル、1960年代にファンク、1970年代にヒップホップといった音楽へ発展する。1950年代にはアメリカの黒人音楽であるロックンロールやブルース、カントリーミュージックがロックへと発展する。1960年代にはアフリカ系アメリカ人などによりファンク、ソウルミュージック、R&Bからディスコが誕生する。1977年にもアメリカで、ディスコ、R&B、フィラデルフィア・ソウルからハウスが生まれる。アメリカのシカゴではシカゴ・ハウスも誕生し、1980年代にはそこからアメリカのデトロイトでテクノに発展する。その後ハウスやテクノからトランスへも発展し、様々なダンスミュージックへと枝分かれする。1990年代にはディスコがクラブと言われる。2000年中頃にはEDMが誕生する。2020年代には人間が作り出した人工知能がこれまでの音楽を分析し、新たな音楽を作る。

このように現代人が聞くあらゆる音楽のルーツもニンギシュジッダにあり、宗教音楽が発展していったもの。また各文化が混ざり合って人間が発展させてきた流れでもある。ニンギシュジッダが多様な文化を人間に与えた結論としては、色々な変化に対応して種を存続させ、経験を通じて人間の知性、感性、共感力、精神性を伸ばし、自我を克服し、種として「一なるもの」へ帰っていくよう促してきたというのが結論。


③宇宙から見た人間の立ち位置

人間の歴史にも別の側面が見えてくる。ホモ・サピエンスと呼ばれる人間は宇宙の年数から見れば、30万年ほどと若い種族。その人間に知識、教養、文化を伝え、文明を築かせてきたのがニンギシュジッダ。それが紀元前30万年から1700年頃まで続いた。つまりニンギシュジッダは人間を自立させるために干渉してきた。

この宇宙のあらゆることを産み出してきたニンギシュジッダが、人間という若い種族の世話をするというのは、つまり新たな生命の創造というのは神聖な行為で、ニンギシュジッダにのみ与えられた権利ということが見えてくる。人間の意識は「一なるもの」という結論だった。つまり生命をゼロから作り出すというのは、体に「一なるもの」である意識を宿す行為であり、それができるのは「一なるもの」と、その代理人であるニンギシュジッダのみということ。そもそも幻想である作られた生命や人間が、本体である「一なるもの」を創り出すということ自体ができない話。

そして夕日や自然の景色が美しかったり、川の流れる音が心地よかったり、動物が可愛かったりするのも、全てニンギシュジッダによってデザインされたため完璧な美が表現されているというのが理由となる。

そして1700年頃からニンギシュジッダの痕跡が見られなくなった。つまり人間が一人立ちした種族として生きていくために、親であるニンギシュジッダが手を引いた時期と言える。そこから産業革命が起こり、300年ほどで地球が滅びる寸前にまでしてしまったのが人間でもある。つまり人間はまだ成熟した大人の仲間入りができていない段階。

こういった人間が他の星の種族と交流すれば何かしらの害を与えることは、環境破壊や戦争が存在する地球の状況をみれば予測がつく。つまり人間が宇宙の中で孤独な種に見えているのは、まだ未熟な段階のため隔離されているからとも言える。惑星間交流が開かれるのは、地球の人間が社会問題を全て解決した後になるだろう。


【宇宙の起源】
久保田 啓敬 (著) www.kubotahiloyuki.com