5章 1年〜1000年

■80年

ローマのコロッセオ

イタリアのローマのコロッセオは、約5万人収容の円形闘技場。

コロッセオにも切込み接(は)ぎの石積みが見られ、地上・地下両方にある。ローマ神話に登場するローマ建国者ロームルスも、無という結論だった。


ローマン・コンクリート

コロッセオの建築材料はローマン・コンクリートと言われる。1900年代のコンクリート寿命は約50年から100年程度の中、ローマン・コンクリートは2000年以上の耐久性がある。

ローマン・コンクリートが使用されている建物は次の通り。カラカラ浴場、マクセンティウスのバシリカ、トラヤヌスの市場、ローマ水道の水道橋や導水渠(どうすいきょ)、分水施設(カステルム・アクアエ)、アウレリアヌス城壁(ローマ市街地を取り囲む防御壁)、パンテオン。これらの中には切込み接(は)ぎの石積みが見られるものもある。

パンテオンもサバジオスの浮き彫りと同じ建築デザイン。


ティトゥス浴場の黄金比

80年、第10代ローマ皇帝ティトゥスの時代のティトゥス浴場。ここも2つの黄金比の比率でできている。また建設がコロッセオと同年。


■90年頃

ローマ帝国の像

ローマ帝国の第11代皇帝ドミティアヌスの時代に作られたアイオーンの像。

両足の左右に2匹の蛇が見られる。

アイオーンと同一神は、1匹の蛇が巻きついた杖を持つローマ神話のメルクリウス(マーキュリー)、2匹の蛇の杖を持つギリシャ神話のヘルメスとエジプトのトート神が融合した錬金術師ヘルメス・トリスメギストスなど。

■192年

ベトナムの象牙の塔

ベトナムのチャンパ王国(192年-1832年)の象牙の塔(Dương Long)にも、切込み接(は)ぎの石積みがある。


■212年

ローマのカラカラ浴場の黄金比

カラカラ浴場は、212年から216年にかけてカラカラ帝の治世に造営された。

建物は長さ225m、幅185m、高さ38.5mほど。2000から3000の浴槽を設置できた。カラカラ浴場もローマン・コンクリートで建てられ、黄金比の比率で設計されている。

カラカラ浴場は古代ローマのセントラルヒーティングシステム「ハイポコースト」によって加熱されていた。これは床面を柱で持ち上げ空間を作り、炉(ろ)からの熱気と煙を床下や壁に送り込み、屋根付近の送管で排気する。現代のセントラルヒーティングの先駆け。


■275年

ローマのアウレリアヌス城壁(じょうへき)

アウレリアヌス城壁(じょうへき)は271年から275年に、ローマ皇帝アウレリアヌスとプロブスの治世にローマに建設された。全周19km。29.6mごとに塔がある。壁はローマン・コンクリートをレンガで覆う形。この城壁のサン・セバスティアーノ門やティブルティーナ門にも、切込み接(は)ぎの石積みが見られる。


前方後円墳の誕生

日本に250年から600年頃、前方後円墳が現れ始める。全国に4800基以上ある。大阪府の仁徳天皇陵古墳は、全長約486mで日本最大。

この古墳をよく見ると、台形の部分に腕のような造り出しがある。これと同じ形が、共通のシンボルのタニト。また前方後円墳が段々に盛り上がっているのも、タニトの枠に見られるシンボル。

京都府の恵解山(いげのやま)古墳にも造り出しが見られる。

次の左の広島県の三ツ城(みつじょう)古墳にも造り出しが見られる。右の奈良県の箸墓(はしはか)古墳のように、造り出しがない場合もある。

四角形の前方後方墳も日本に200基以上存在する。福島県の大安場1号墳は全長約83m。

静岡県の前方後方墳の小銚子塚(こちょうしづか)古墳は全長46mで、前方後円墳と共に並ぶ。
小銚子塚(こちょうしづか)古墳

この前方後方墳の形も、太陽と三日月があるタニトに見られる。また前方後方墳も段々になっているる。つまりすべてシンボル。

前方後円墳の内部には巨石の石室がある。この石室はドルメンのように巨石を天井石として置いている。

円墳も古墳時代に作られている。

円や二重丸も共通のシンボルとして、エジプトの装飾品などで見られた。

同時代、八角形の八角墳(はっかくふん)も作られている。

八角形のシンボルも、紀元前1120年頃のバビロニアの石の左上に星の形で見られた。

数は少ないながら六角墳も作られている。

六角形のシンボルは、インドのインダス文明の出土品に見られる。各地の女神が両手で蛇などを持つポーズが、次のインドの出土品にも見られる。その上下に六芒星とゾウが彫刻されていて、六角形、六芒星も共通のシンボルということ。

他にも帆立貝式(ほたてがいしき)古墳、双円墳(そうえんふん)、双方中円墳、双方中方墳なども見られる。これらも今まで見てきたシンボルの組み合わせで作られている。

720年に編纂された日本書紀では、奈良県の箸墓(はしはか)古墳について、「この墓は、昼は人が造り、夜は神が造った(是人者、日也人作、夜也神作)」とある。


埴輪

長野県の森将軍塚古墳は全長100メートルの前方後円墳で、埴輪(はにわ)も見られる。埴輪とは埴(はに)で作った円筒、人形、動物などの像で、墓の周囲に埋められている。

次の左の画像の森将軍塚古墳の合子(ごうす)形埴輪の側面は、ジグザグ模様で囲まれていて、そのため三角形の穴が無数に空いている。ジグザグ模様はトルコのギョベクリ・テペの石柱にも見られた。つまりこの埴輪も共通のシンボルでデザインされていて、それが古墳全体にいくつも飾られている。

600年頃の茨城県の前方後円墳である黄金塚(こがねづか)古墳からは、「乳飲み児を抱く女性埴輪」が出土している。授乳する女神像は、世界各地の女神像と共通するシンボル。

古代より見られる各国の授乳する女神像。

埴輪には色々なデザインがあり、共通のシンボルが見つけ出しにくいものもある。

銅鏡も日本全国の古墳より出土している。下の画像は群馬県の蟹沢(かにさわ)古墳の鏡で、これにも周囲にジグザグ模様が見られる。

このように前方後円墳はタニトのデザインで、ドルメンである巨石の石室があり、埴輪のジグザグ模様や銅鏡が見られ、全て共通のシンボルによって作られている。


土師氏(はじうじ)

土師氏(はじうじ)は出雲(島根県辺り)から大和(奈良県)までの、400年頃から550年までの古墳造営や葬送(そうそう)儀礼に関った氏族とされている。土師氏(はじうじ)の祖は野見宿禰(のみのすくね)で、彼は垂仁(すいにん)天皇の命により、当麻蹴速(たいまのけはや)と角力(“すもう”=相撲)をとり、それに勝ち、土師臣(はじのおみ)の姓を与えられ、埴輪も発明したと伝えられている。
野見宿禰(のみのすくね)や土師氏(はじうじ)の名が出てくる日本書紀の創成神話では、「無」を鶏(にわとり)の卵のような混沌と表していて、各国の創成神話と類似していた。つまり日本書紀も存在Xによる架空の物語という結論。よって土師氏(はじうじ)、野見宿禰(のみのすくね)、古墳、埴輪、角力(“すもう”=相撲)も共通のシンボル。

古墳の石室の石材を加工する際に使われるノミという道具は、野見宿禰(のみのすくね)の野見と関連があるとされている。

1573年からの安土桃山時代には穴太衆(あのうしゅう)と呼ばれる石工(いしく)の集団が、寺院や城郭などの石垣を作り、古墳築造などを行っていた石工の末裔とされている。織田信長や豊臣秀吉らによって城郭の石垣構築にも携わるようになった。日本の城の石垣には次の画像のように、左から野面積み(のづらづみ)、打込み接ぎ(うちこみはぎ)、切込み接ぎ(きりこみはぎ)という3つの特徴的な組み方が見られる。これら石の加工にはノミを使う。
金沢城
石垣

また大阪城の巨石は修羅(しゅら)と呼ばれるソリを使って運んだという話だったが、修羅は大阪府藤井寺市の三ツ塚古墳(みつづかこふん)から見つかっている。


神籠石(こうごいし)

日本には年代、建造者が不明な神籠石(こうごいし)があり、切込み接(は)ぎが見られるものもある。


■315年

コンスタンティヌスの凱旋門

コンスタンティヌスの凱旋門はイタリアのローマにあり、コロッセオの隣に位置している。その大きさは黄金比2つ分となっている。

この凱旋門は黄金比で設計され、切込み接(は)ぎの石積みもあり、細かな装飾も見られる。


■395年

東ローマ帝国の国章の双頭の鷲(わし)

ローマ帝国が、西ローマ帝国と東ローマ帝国(ビザンツ帝国)に分裂。
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東ローマ帝国の国章は双頭(そうとう)の鷲(わし)となった。双頭の鷲は、紀元前3000年のイランのジーロフト文化より出土しており、共通のシンボルだった。

1800年代にはフリーメイソンの高級結社スコティッシュ・ライトで、双頭の鷲が使用されている。


■400年頃

インドのエローラ石窟群

インドにあるエローラ石窟群は、400年から1000年の間に造られた。仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教の石窟(せっくつ)寺院などがある。34の石窟が垂直な崖に掘られている。ここにも共通のシンボルが数多く見られる。

第29窟のデゥマル・レーナの入口の2頭の獅子像。

彫刻されている仏陀。

カイラーサナータ寺院の切込み接(は)ぎの石畳。

このエローラ石窟群の16花弁、8花弁のシンボル。

獅子とゾウも共通のシンボルという結論だった。

エローラ石窟群。


莫高窟(ばっこうくつ)

中国の莫高窟(ばっこうくつ)は600ほどの洞窟群。断崖(だんがい)に南北1600mに渡って掘られ、355年に作られ始めたとされる。その中に2400余りの仏像が安置されている。ここには岩山をくり抜いた中に巨大な仏陀の石像がある。下の左の龍門石窟の仏像は毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)と言い、奈良の大仏と同じ。これも無を表すという結論だった。右は雲崗石窟(うんこうせっくつ)の仏像。

雲崗石窟(うんこうせっくつ)は如来像で、2つある像の頭の後ろには光背のシンボルが見られる。また小さい像の手のひらを見せるポーズは、タニトの浮き彫り、仏陀の浮き彫り、インドのシヴァにも見られる。また、不動明王は大日如来(だいにちにょらい)の化身とも言われる。

こちらはスリランカのポロンナルワの、同じく岩山をくり抜いた中の仏陀の石像。ポロンナルワにも切込み接(は)ぎの石積みがある。

莫高窟(ばっこうくつ)の一部には、日本の神社と同じ木組みの建物も見られる。この第96窟の九層楼(きゅうそうろう)は高さ43m、中に莫高窟最大の33mの仏像が納められている。


神社の狛犬と世界中の獅子像

紀元前710年頃のアッシリアの守護神ラマッソスは、三重冠をかぶっている。

三重冠も共通のシンボルとしてメソポタミアで見られた。

イランのペルセポリスでは、三重冠のラマッソスが2体で入り口に立っている。つまり2体で門の左右に並ぶ形態もシンボル。

アイオーンのようなライオン顔が2体1組として、神社の狛犬、沖縄のシーサー、韓国のヘテ、中国の紫禁城の獅子像として見られる。
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トルコのネムルト山にも2体のライオン像があり、山がピラミッドとなっている。神像には、ゼウス-オロマズデス(ゼウスとアフラ・マズダが同一視された神)、アポロ-ミトラス、ヘラクレス、テュケ(ギリシャ神話の女神でコンマゲネ王国の守護神)などが含まれている。
この山にある神像のゼウス、アポロ(1匹の蛇を持つ)、ミトラス、ヘラクレス、鷲(わし)、ライオンは無という結論だった。
紀元前1450年頃のギリシャのミケーネ文明にも、2匹の獅子が描かれた獅子門と切込み接(は)ぎの石積みが見られる。
インド南東の島国スリランカのポロンナルワの獅子(ライオン)像。
インドネシアのジャワ島のボロブドゥル寺院。ここにも獅子像と切込み接(は)ぎの石積み。
カンボジアとタイの国境付近にあるプレアヴィヒア寺院の獅子像。
カンボジアにあるアンコール・ワットの獅子像。

しめ飾り

日本の正月のしめ飾りに使われるしめ縄は、2匹の蛇が絡み合った共通のシンボルという結論だった。しめ縄から垂れ下がる藁(わら)は雨を表し、これらもシンボル。

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白いジグザグの紙垂(しで)は雷のシンボルを表し、トルコのギョベクリ・テペなどでもジグザグのシンボルが見られた。

しめ縄を丸く結び、その上部左右に藁(わら)が横たわっているしめ飾りの形は、他国の宗教でもシンボルとして見られる。

バビロニアの女神の手に、輪と2本のヒモのシンボル。

エジプトのウラエウスの右隣に、輪と2本のヒモのシンボル。

古代ペルシアのゾロアスター教の主神アフラ・アズダーも、王権の象徴の笏(しゃく)と丸い輪に2本のヒモがついた王冠を持っている。つまりしめ飾りの形も共通のシンボル。

日本のしめ飾りの場合、2匹の蛇が絡み合いながら輪を作っていることになる。さらに1匹の蛇や竜が輪を作り、自分の尻尾を加えているウロボロスという図もある。エジプトのツタンカーメンの石棺には、1匹の蛇が自分の尻尾をくわえるウロボロスが見られる。

ヒンドゥー教での自分の尾をくわえる竜(もしくは蛇)。ここに見られる亀や象も共通のシンボルという結論だった。
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メキシコのソチカルコ遺跡の神殿にも、ケツァルコアトルのウロボロスが見られる。ケツァルコアトルは羽毛の生えた竜で、これも無という結論だった。


茅(ち)の輪(わ)

多くの神社では茅の輪潜り(ちのわくぐり)が行われる。茅の輪はチガヤや藁(わら)で作られた大きな輪。チガヤも藁(わら)もイネ科の植物で、しめ縄も稲や麻などの藁(わら)が使用され、2匹の蛇を表していた。つまり茅の輪はしめ縄と同じ植物を使用しているので、1匹の蛇が輪になった日本のウロボロスと考えられる。


綱引き

日本の一般的な綱引きとは、2つのチームが1本の綱を引きあって勝敗を決めるもの。その歴史は日本では1500年頃より見られ、神事や占いとして正月などに行われてきた。この場合、藁(わら)やカヤを使った縄を使用した。しめ縄も藁(わら)などを使用し、それは共通のシンボルでもあった。

つまり綱引きとは無を表す蛇を引きあっている構図ということ。この神事の意味はヒンドゥー教に見出せる。ヒンドゥー教のマハーバーラタの天地創造神話に、乳海攪拌(にゅうかいかくはん)という話がある。「ヴィシュヌは多種多様の植物や種を乳海に入れ、次に化身の巨大亀クールマとなって海に入り、その背に大マンダラ山を乗せた。この山に竜王ヴァースキを絡ませて、神々はヴァースキの尾を、アスラはヴァースキの頭を持ち、互いに引っ張りあうことで山を回転させると、海がかき混ぜられた。攪拌(かくはん)は1000年間続き、乳海からは太陽、月、象、馬、女神など様々なものが生まれた。」

神々が引っ張り合ったのは蛇の姿のヴァースキ。ヴァースキは、インド神話に登場する蛇神の諸王ナーガラージャでもあり、ナーガラージャは2匹の蛇が絡み合った姿。つまり日本のしめ縄、綱引きの綱と同じ。つまり綱引きが表しているのは天地創造(ビッグバン)。


■477年頃

スリランカのヤーパフアとシーギリア

スリランカのヤーパフアには2体の獅子像、切込み接(は)ぎの石積み、巨石の山が見られる。

シーギリアには、ライオン像の前足、巨大な巨石、巨石の山が存在する。


■500年頃

熊本県のチブサン古墳

熊本県のチブサン古墳は前方後円墳。後円部分に石室があり、絵が描かれている。

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ここには7つの丸、二重丸、菱形模様が見られる。これらは共通のシンボルだった。

ここに見られる3本の角のある両手を上げた人物は、タニトにシンボルを見出せる。下の左のタニトも両手を上げている。右側はタニトと両手の手のひらを見せている。

十字も共通のシンボルだったが、下の浮き彫りの人物は手のひらを見せながら両手を上げている。つまりチブサン古墳の人物は、手のひらを見せながら両手を上げる共通のシンボルポーズをしている。

両手を上げるポーズは次の左の画像のバビロニアのイシュタルを表す女神像や、右側の紀元前1800年頃のイシュタルと壺でも見られる。

7つ星はメソポタミアの三日月や有翼円盤がある円筒印章や、ライオンが持つシンボル表の右上に見られた。

菱形模様はギョベクリ・テペや仏陀の浮き彫りに見られた。

エジプトの装飾品の二重丸。

このようにチブサン古墳も共通のシンボルで作られているという結論。

熊本県の井寺古墳(いでらこふん)

熊本県の井寺古墳(いでらこふん)は円墳。内部に切込み接(は)ぎの石積みがある。500年頃の築造と推定され、チブサン古墳とは年代も距離も近い。


熊本県の大戸鼻(おおとはな)古墳群

大戸鼻(おおとはな)古墳群も500年頃で、チブサン古墳や井寺古墳と年代も距離も近い。南一号古墳はドルメン。

南2号古墳の石室の内部に描かれている円の周辺には、ジグザグ模様が描かれているが、これも銅鏡やギョベクリ・テペの石柱で見られたシンボル。


■540年頃

エチオピアのアクスムとラリベラ

100年頃から940年頃までエチオピア東北部では、アクスム王国が栄えた。

アクスムにあるラムハイ王と家族の地下墓の入り口にも、切込み接(は)ぎの石積みが見られる。

この切込み接(は)ぎの石積みがある上部に、長方形の段々の彫刻が見られる。これはタニトの段々と同じデザイン。

アクスムにはオベリスクがあり、ここでもタニトと同じ段々の彫刻が見られる。

このオベリスクは重さ500トンもある巨石。

カレブ王の地下墳墓にも切込み接(は)ぎの石積みが見られる。

アクスムの南の街ラリベラ。ここには石をくり貫いて作ったエチオピア正教会の教会堂群がある。ギオルギス教会の十字の形もタニトに見られる。

タニトと十字。
この建物の扉周りデザインがアクスムやタニトの段々と同じ。

世界中の巨石遺跡で見られるT字の締(し)め金

アクスムにあるラムハイ王の地下墓には、石と石を連結させるH型(2つのT字)の締(し)め金が見られる。これもトルコのギョベクリ・テペの石柱にシンボルとしてあった。下記の場所はそのH型の締(し)め金が見られる遺跡。

・エチオピアのアクスムのラムハイ王の地下墓とカレブ王の地下墳墓
・ボリビアのティワナク、プマプンク
・チュニジアのドゥッガ
・エジプトのデンデラ神殿、カルナック神殿、ルクソール
・イタリアのサルデーニャ島のタロス
・ギリシャのアテネのアクロポリス、パルテノン神殿
・イランのキュロスの墓
・カンボジアのアンコール遺跡群のタ・プローム
・インドのサーンチーの仏教遺跡
・日本の江戸城の本丸中之門石垣

・ペルーのオリャンタイタンボ

紀元前1万年頃のギョベクリ・テペの石柱に、H型のシンボル。


■574年頃

飛鳥寺の黄金比

創建時の飛鳥寺の講堂はちょうど黄金比の形。


■590年頃

イラン西部の遺跡ターク・イ・ブスタン

イランのササン朝ペルシャ時代の遺跡ターク・イ・ブスタンの浮き彫り。

石窟内の中央の人物の頭頂には、三日月と太陽。手には2本のヒモがついた王冠。3人とも太陽が頭頂にある。

この石窟横に彫刻された植物の曲線は黄金比。石窟上部には三日月のシンボル。


■593年頃

チベット初の統一王国

ソンツェン・ガンポがチベット初の統一王国の吐蕃(とばん)を樹立し、チベットに初めて仏教を導入したとされる。チベット仏教の14世紀の王統明鏡史(おうとうめいきょうし)では、創成神話として「無」をただ際限のない空虚な空間と表現している。そこに十方(じっぽう)から風が起こり交錯(こうさく)しあって、十字の風といわれる風輪ができ、様々なものができていく。


曼荼羅(マンダラ)

チベットやインド含め、大乗仏教の中の密教では曼荼羅(まんだら)が描かれている。曼荼羅は本来「本質を得る」という意味。これは最高の悟りを得ることであり、この真理を表現したのが曼荼羅で、円輪(えんりん)のように過不足なく充実した境地であるため、円輪具足(えんりんぐそく)とも訳される。曼荼羅には宇宙の真理を表す方法として、仏、如来、菩薩(ぼさつ)、守護尊(しゅごそん)などを体系的に配列して描いている。また多くの曼荼羅は四角と円で表され、四つのT字型の門が描かれている。

この上の曼荼羅にも見られる向かい合ったT字のシンボルは、ボリビアのプマプンクで見られた。ここでは2つのT字が向かい合わせになってH型になる。

仏、如来、菩薩などは全て無を表しているという結論だったが、それが曼荼羅で描かれている。さらに悟りの状態は無心の状態で、それは無として在るということ。つまり曼荼羅というのは無を表したシンボル図ということ。

須弥山(しゅみせん)

チベット仏教の創成神話では、空虚な空間から世界ができていく様子が述べられている。その中にできる金輪(こんりん)の中央に、様々な宝石からなる須弥山(しゅみせん)が水車の車軸のように自然にできあがったとある。次の図はその説明を表したもの。
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この須弥山を真上から見た模様は、曼荼羅(マンダラ)と同じ構図となっている。

曼荼羅(マンダラ)は「無」を表したシンボルという結論だった。つまり須弥山も「無」を表している。仏教寺院では仏像等を置くために一段高く設けられた場所のことを須弥壇(しゅみだん)というが、須弥山に由来する。その上に置かれた仏像は無という結論だったので、つまり像も台も全てが無をシンボル的に表したものということ。


カイラス山

チベット高原に位置するカイラス山の標高は6656m。
カイラス山(赤字)の地図

この山をヒンドゥー教ではリンガ(男根)として崇拝し、チベット仏教では須弥山(しゅみせん)と同一視される聖地。リンガ(男根)はシヴァ神の象徴で、どちらも無を表すという結論だった。次の画像ではリンガのシンボルと共に、片手をあげるポーズや三日月の共通のシンボルも見られる。


■600年頃

イースター島

モアイ像があるイースター島にも、切込み接(は)ぎの石積みが見られる。

イギリスの大英博物館に展示されているイースター島のモアイ像。その胸に黄金比の渦模様。つまりモアイ像も存在X由来。このモアイ像は1000年〜1200年の像とされている。

地中にはモアイの胴体が埋もれていた。重量100トンほど。


茨城県大平古墳群

600年頃の茨城県大平(おおだいら)古墳群の中の最大の前方後円墳である黄金塚(こがねづか)古墳からは「乳飲み児を抱く女性埴輪」が出土している。

子供に授乳している女神像のシンボルは、サバジオスの手の下部に見られた。

この茨城県ひたちなか市の前方後円墳の虎塚古墳(とらづかこふん)の装飾壁画にも、共通のシンボルが見られる。次の画像は実物大の模型。壁画の上部にはジグザグ模様、正面には2つの二重丸のシンボルが見られる。

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虎塚古墳(とらづかこふん)からは武具・馬具の類も出土している。
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600年から1500年頃まで見られる鬼瓦

神社仏閣の屋根の鬼瓦(おにがわら)に、黄金比の渦模様が見られる。これは800年前後まで続く。

600年〜800年までの鬼瓦は黄金比の渦模様がある。

次の鬼瓦の輪郭にジグザグ模様も見られる。

同じ時代、朝鮮半島でも黄金比がある鬼瓦が見られる。次の2つの鬼瓦の周囲には、二重丸のシンボルも見られる。

900年代のものには黄金比がなかったり、デザイン性も装飾も質の低いものもある。

1400年代の鬼瓦。立体的で作り込まれたものがある。中には黄金比が見られるものもある。

■607年

奈良県の法隆寺と聖徳太子

法隆寺は607年に聖徳太子によって創建されたとされる。

法隆寺は別名が斑鳩宮(いかるがのみや)と言う。聖徳太子が住んだ斑鳩宮(いかるがのみや)と飛鳥京(あすかきょう)を結ぶ太子道、法隆寺近くの道、若草伽藍(わかくさがらん)は、北から北北西に20度傾いている。これは紀元前520年頃の古代ペルシャの都市ペルセポリスと同じ傾き。ペルセポリスでは切込み接(は)ぎの石積みも見られた。

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下の右側がペルセポリス。

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法隆寺の若草伽藍(わかくさがらん)などからは、黄金比の装飾がある軒平瓦(のきひらがわら)も出土している。

法隆寺の金堂や中門(ちゅうもん)は、人間目線で見れば黄金比の比率。その位置から見える黄金比に屋根の高さが設定されている。しかし立面図では黄金比ではない。つまり人間の目の高さから見れば黄金比に見えるように設計されている可能性がある。

  

 法隆寺の中門(ちゅうもん)の内側の柱は、下の方が太く、上に行くにしたがって細くなっている。これはエンタシスの柱と呼ばれ、ギリシャのパルテノン神殿でも見られる。

パルテノン神殿もサバジオスの浮き彫りと同じ建築デザイン。

法隆寺の金堂には、釈迦三尊像(しゃかさんぞんぞう)、薬師如来像(やくしにょらいぞう)、阿弥陀三尊像(あみださんぞんぞう)の3組が安置されている。これらにも黄金比、光背、手のひらを見せるポーズが見られ、共通のシンボルという結論だった。

タニトなどの手のひらを見せるシンボル。

東院伽藍(とういんがらん)の夢殿(ゆめどの)は八角堂。八芒星もシンボルとしてメソポタミアで見られた。

夢殿(ゆめどの)の救世観音(くせかんのん)立像の渦模様も黄金比となっており、その数は膨大。
この救世観音(くせかんのん)や、金堂の釈迦三尊の左右にいる脇侍(きょうじ)の頭上には、三日月と太陽のシンボルが見られる。これもタニトに見られた。
法隆寺の四騎獅子狩文錦(しきししかりもんきん)は、ペルシャ風の四人の騎士が有翼(ゆうよく)の馬に乗り、飛びかかる獅子を射ようとしている。獅子も弓矢も共通のシンボルだった。また騎士の頭上にも三日月と太陽が見られる。周囲の植物も黄金比の曲線。

法隆寺の五重塔には、侍者像(じしゃぞう)という像があり、馬頭形(ばとうぎょう)、鳥頭形(ちょうとうぎょう)、鼠頭形(そとうぎょう)という3つの像がある。顔がシュメールの爬虫類人に似ているが、細かく見比べるとくちばしや服装のパターンが奈良県の興福寺(こうふくじ)の迦楼羅像(かるらぞう)と同じ。奈良県の興福寺の創建は669年、法隆寺の創建は607年とされ、年代も場所もほぼ同じ。

迦楼羅像


 秦河勝(はたのかわかつ)

秦河勝(はたのかわかつ)は聖徳太子の側近として働いたとされる人物。秦河勝が赤子時代に壺の中に入れられ、川に流されて誰かに拾われる話は、他国の神話でも見られる。たとえばモーゼ、ゼウス、ローマのロームルスは無という結論だったが、これらも川に流される話に登場し、話が類似している。
秦河勝(前賢故実)

・日本神話の秦河勝
欽明(きんめい)天皇の時代、奈良県の大和川(やまとがわ)の上流部の泊瀬川(はせがわ)が洪水になった。そのとき川上から一つの壷が流れ下ってきたのを、三輪神社の鳥居のあたりで拾う者があった。壷の中には玉のように美しい幼児がいた。これは天から降ってきた人だということでさっそく内裏にこのことを報告しておいたところ、その夜の天皇の夢に、「私は秦の始皇帝の再誕である」というお告げがあった。そこでその幼児を内裏に迎え、殿上人として育てることにした。成長するにつれて大変な才能を発揮するようになったために、十五歳になったとき「秦」姓を与えてこれを「ハダ」と読ませ、秦河勝と呼んで重用することになった。

・旧約聖書のモーゼ
モーゼは出生後しばらく隠して育てられたが、やがて隠し切れなくなり、パピルスのかごに乗せてナイル川に流された。たまたま水浴びしていたファラオの王女が彼を拾い、水からひきあげたのでマーシャー(ヘブライ語で「引き上げる」)にちなんで「モーゼ」と名づけた。そして宮廷で王家の子として育てられた。

・アッカド神話のサルゴン
サルゴンを生んだ母親は、秘密裏にサルゴンを籠(かご)もしくは灯心草(とうしんそう)の船に入れて川に流した。運良く灌漑(かんがい)者アッキに拾われ、庭師として育てられる。やがてイシュタルに愛され、覇道(はどう)を歩み、ディルムンを征服した。

・ローマ神話のロームルス(王政ローマ建国の初代王)
神殿に軟禁されたシルウィアと軍神マールスに、双子の子供ロームルスとレムスが生まれる。しかし叔父(おじ)アムーリウスは、王位を継ぎうる双子の子を殺すように兵士に命じる。だが兵士は幼い双子を哀れんで、彼らを籠に入れて密かに川へと流す。ティベリス川の精霊ティベリーヌスは川を流れる双子を救い上げ、川の畔(ほとり)に住む雌狼(めすおおかみ)に預ける。やがて羊飼いファウストゥルスが双子を見つけると、妻アッカ・ラーレンティアと相談して引き取ることにした。彼の妻であるアッカ・ラーレンティアの正体は女神ケレースだった。

・ギリシャ神話のペルセウス
ゼウスが黄金の雨に身を変えて忍び込み、ダナエーはペルセウスを産んだ。これを知った夫でアルゴス王のアクリシオスは、娘とその子を手にかけることができず、二人を箱に閉じこめて川に流した。ダナエー親子はセリーポス島に流れ着き、漁師ディクテュスによって救出された。

・ギリシア神話のアドニス(これは川に流された話ではないが類似した話)
神々は、ミュラーをミルラ(没薬)の木に変えた。やがて、その木に猪(いのしし)がぶつかり、木は裂け、その中からアドニスが生まれた。そのアドニスにアプロディーテーが恋をした。やがてアプロディーテーは赤ん坊のアドニスを箱の中に入れると、冥府の女王のペルセポネーの所に預けた。こうしてアドニスはしばらくペルセポネーが養育することになった。

・ギリシア神話のオイディプス(これも川に流された話ではないが類似した話)

テーバイ王ライオスは神託(しんたく)によって、今度新たに生まれた息子が成長すれば、自分の王位と生命に危険があると言われた。そのためライオスは牧者に頼んで殺させようとした。しかし牧者は赤ん坊を殺すのがかわいそうになり、子供の足をくくって、樹木にぶら下げたまま捨てた。その赤ん坊をある百姓が見つけ、自分の主人夫婦の所に連れて行き、そこでオイディプスと名づけ養うこととなった。

このように秦河勝も無を表した人物で、実在しなかったという結論。秦河勝は猿楽(さるがく)の始祖とされる。猿楽が発展したものが明治以降は、能楽(のうがく)や狂言(きょうげん)となる。


■650年頃

埼玉県の八幡山古墳

八幡山古墳の石室にも切込み接(は)ぎの石積みがありドルメン。


■680年

奈良県の薬師寺

680年創建の南都七大寺のひとつ、薬師寺にも黄金比の渦模様が数多く見られる。
人間目線で見た場合、薬師寺の金堂も黄金比の比率。その位置から見た場合の黄金比の比率に、柱の間隔などが設定されている。立面図で見た場合は黄金比にならないが、左右の幅合わせで黄金比を置くと、左右の階段位置が黄金比の比率になる。

薬師寺の金堂の平面図はちょうど黄金比の大きさ。その中にできる4個目の黄金比の大きさに階段幅が設定されている。

薬師寺の大講堂にも2つの黄金比の比率に収まる位置がある。その黄金比にあわせて屋根の高さが設定されている。

金堂の日光菩薩の光背(こうはい)にも、黄金比の渦模様が見られる。

薬師寺創建当初の700年代の鬼瓦。そこに黄金比の渦模様。

1336年の室町時代から1868年の江戸時代末までの鬼瓦で、黄金比が見られないものもある。

薬師如来の台座に描かれている人物の頭部の装飾は、細かい渦模様となっている。


■681年

奈良県の大野寺(おおのでら)

大野寺(おおのでら)は役小角(えん の おづの)が建立したと伝えられている。

ここには、岩壁に弥勒仏立像(みろくぶつりゅうぞう)を線で表した弥勒磨崖仏(みろくまがいぶつ)がある。この顔の右側部分と腰部分に、切込み接(は)ぎの彫り込みがある。


山伏(やまぶし)、ユダヤ教、雅楽(ががく)、伎楽(ぎがく)、天狗の共通点

日本の伝説上の生き物とされる天狗が頭に付けている黒い小さな箱は兜巾(ときん)で、ユダヤ教徒はヒラクティリーという黒い箱を頭に乗せている。中に戒律(ティフリン)が入っている。日本では山中で修行をする修験道の行者の山伏(やまぶし)が兜巾(ときん)を頭につけ法螺貝(ほらがい)を吹くが、ユダヤの祭事ではヒラクティリー(黒い小箱)を頭につけ、ショーファーという羊の角の楽器を吹く。
ヒンドゥー教の神ヴィシュヌは、その手に法螺貝(ほらがい)を持つ。つまりこれもシンボル。ショーファーの羊もサバジオスの手に見られるシンボル。

兜巾(ときん)は天狗(てんぐ)も付けている。一般的に天狗は山伏(やまぶし)の服装で、赤ら顔で鼻が高く、翼があり空中を飛翔するとされる。

さらに山伏(やまぶし)は「虎の巻」を、ユダヤ人は「トーラースクロール(トーラーの巻物)」を持っている。虎の巻は、門外不出の秘伝が書かれている書。トーラースクロールはユダヤ教の唯一神ヤハウェが預言者モーゼに語った天啓の書(モーゼ五書)で、ユダヤ教の根源となる最重要の経典。ヤハウェもモーゼも無という結論だった。

モーゼ五書は旧約聖書の最初の5つの書。この5つとは創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記。モーゼも1匹の蛇が巻きついた杖を持つことから無という結論だった。

天狗は鼻が高く描かれることが多い。古事記や日本書紀の天孫降臨で登場する猿田彦(サルタヒコ)も天狗の姿。
兵庫県の大避(おおさけ)神社にある舞楽面(ぶがくめん)も鼻が高い。舞楽面は雅楽(ががく)で使用される。
東京国立博物館に保存されている鎌倉時代の舞楽面(ぶがくめん)も鼻が高く、頭に鳥獣のような生き物が乗っている。

山伏(やまぶし)、ユダヤ教徒、舞楽面(ぶがくめん)、これらに共通する額の上の兜巾(ときん)やヒラクティリーや鳥獣。そして天狗と舞楽面(ぶがくめん)に共通するのは鼻が高いということ。また天狗には羽がある。これらと共通する像が、90年頃の古代ローマのアイオーンの像。アイオーンにも羽があり、額に蛇が乗っていてヒラクティリーの原型。姿は天狗と似ている。旧約聖書の『創世記』のアダムとイヴの話では、エデンの園でイヴに知恵の樹の実を食べさせたのは蛇。つまり無である蛇=知恵で、兜巾(ときん)やヒラクリティーはアイオーンの額の蛇=無、をシンボルとして表している。

アイオーンは長い杖を手にしている。山伏(やまぶし)も金剛杖(こんごうづえ)という長い棒を手にしている。
金剛杖(こんごうづえ)は金剛杵(こんごうしょ)と同じとされ、執金剛神(しゅこんごうしん)が持っている。金剛杵はアイオーンの胸にも見られた。

古代日本の伎楽面(ぎがくめん)も、天狗のように鼻が高く、顔が赤い。伎楽(ぎがく)は612年に百済人味摩之(みまし)によって中国の呉(ご、222年〜280年)から伝えられたとされる。

また烏天狗(からすてんぐ)という鳥の顔をした天狗もいる。これはインド神話のガルダを前身とする仏教の守護神の迦楼羅天(かるらてん)が由来。
これらをまとめると、ユダヤ教徒、山伏(やまぶし)、伎楽(ぎがく)と伎楽面、雅楽(ががく)、猿田彦、天狗、烏天狗(からすてんぐ)、迦楼羅天(かるらてん)、ガルダはアイオーンとつながり、全て共通のシンボルという結論。

月の兎

月と兎(うさぎ)に関する伝承は日本や中国で見られる。日本では餅をついている姿、中国では不老不死の薬の材料を手杵(てぎね)で打って粉にしているとされている。1700年代の中国の清朝皇帝の服にある図柄では、月の兎が仙薬を作っている。古代中国の秦(しん)という漢字から、稲、臼(うす)、杵(きね)=アイオーンが持つ金剛杵(こんごうしょ)、餅つきも共通のシンボルという結論だった。

タイの伝説でも月に兎が住んでいるとされ、チャンタブリー県の県章の月の中には兎がデザインされている。

月の兎の物語はインドの仏教説話ジャータカにも見られる。

「猿、狐、兎の3匹が、山の中で力尽きて倒れているみすぼらしい老人に出逢った。3匹は老人を助けようと考えた。猿は木の実を集め、狐は川から魚を捕り、それぞれ老人に食料として与えた。しかし兎だけは、どんなに苦労しても何も採ってくることができなかった。自分の非力さを嘆いた兎は、何とか老人を助けたいと考えた挙句、猿と狐に頼んで火を焚いてもらい、自らの身を食料として捧げるべく、火の中へ飛び込んだ。その姿を見た老人は、帝釈天としての正体を現し、兎の捨て身の慈悲行を後世まで伝えるため、兎を月へと昇らせた。月に見える兎の姿の周囲に煙状の影が見えるのは、兎が自らの身を焼いた際の煙だという。」

インド、タイ、中国、日本で「月の兎」が見られるのは、同じアジア内で人と宗教の移動と共に広まった可能性も考えられる。しかしメキシコでも月の模様は兎と考えられていた。アステカの伝説では、地上で人間として生きていたケツァルコアトル神が旅に出て、長い間歩いたために飢えと疲れに襲われた。周囲に食物も水もなかったため、死にそうになっていた。そのとき近くで草を食べていた兎がケツァルコアトルを救うために自分自身を食物として差し出した。ケツァルコアトルは兎の高貴な贈り物に感じ、兎を月に上げた後、地上に降ろし、「お前はただの兎にすぎないが、光の中にお前の姿があるので誰でもいつでもそれを見てお前のことを思いだすだろう」と言った。これはインドのジャータカと類似した物語。ケツァルコアトルその像や神殿にも、黄金比や切込み接(は)ぎの石積みが見られた。
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またメキシコ周辺の別の伝説では、第5の太陽の創造においてナナワツィン神が勇敢にも自分自身を火の中に投じて新しい太陽になった。しかしテクシステカトルの方は火の中に身を投じるまで4回ためらい、5回目にようやく自らを犠牲にして月になった。テクシステカトルが臆病であったため、神々は月が太陽より暗くなければならないと考え、神々のひとりが月に兎を投げつけて光を減らした。あるいは、テクシステカトル自身が兎の姿で自らを犠牲にして月になり、その姿が投影されているともいう。

メキシコのマヤ文明の月の女神イシュ・チェルも、兎を手にした姿で描かれ、三日月に乗る姿も見られる。

北米のネイティブ・アメリカンのクリーにも「月と兎」の伝説がある。鶴だけが兎を運ぶことができたが、重い兎が鶴につかまっていたために鶴の脚は今見るように長く伸びてしまった。月に到着したときに兎が鶴の頭に血のついた脚で触ったため、鶴の頭には赤い模様が残ってしまった。この伝説によれば、晴れた夜には月の中に兎が乗っているのが今も見えるという。


■705年

シリアのウマイヤド・モスク

ウマイヤド・モスクは、シリアの首都ダマスカスに建築された現存する世界最古のモスク。ここにも黄金比が見られる。


奈良県明日香村

明日香村の石舞台古墳は700年頃の遺跡。この巨石の石積みもドルメンと同じになっている。

明日香村の岩屋山古墳にも切込み接(は)ぎのような石積みが見られる。

岩屋山古墳の入り口側面の巨石では、上の石の形に合わせて下の石が彫られている。

明日香村のキトラ古墳と高松塚古墳の壁面にも、切込み接(は)ぎのような多角形の石組みが見られる。

この二つの石室内には中国の神話の四神、玄武(げんぶ)・青龍(せいりゅう)・朱雀(すざく)・白虎(びゃっこ)が描かれている。

玄武の亀と蛇は共通のシンボルだった。

龍も共通のシンボルだった。

奈良県明日香村にある都塚古墳(みやこづかこふん)は階段ピラミッド。

このように明日香村も巨石、ドルメン、切り込み接ぎ、ピラミッドと、世界各地の遺跡と共通している。そしてこの明日香村には、他にも益田岩船(ますだのいわふね)と言われる最も大きな巨石や、酒船石(さかふねいし)、亀石、鬼の雪隠(おにのせっちん)と呼ばれる巨石も存在している。

酒船石(さかふねいし)。

亀石と鬼の雪隠(おにのせっちん)。


貨幣制度

奈良県明日香村の飛鳥京跡より富本銭(ふほんせん)が33点発掘され、明日香村と同じ地域の藤原京跡からも富本銭が出土している。この遺跡は飛鳥時代なので592年から710年の間となる。

富本銭の材質は主に銅で、共通のシンボルに見られる七つの丸が見られる。

メソポタミアの円筒印章(えんとういんしょう)の七つの星。

紀元前3000年頃、メソポタミアのシェケルという通貨と重さの単位が始まる。
メソポタミア
紀元前1500年頃、中国の殷(いん)や、紀元前1100年の周(しゅう)では貝殻を貨幣としていた。

紀元前700年頃、アナトリア半島のリュディアで初の硬貨であるエレクトロン貨が作られる。ライオンは共通のシンボルだった。

紀元前483年、ギリシャ共和国の首都アテネの古名アテナイで銀貨発行。ギリシャ神話に登場する表面(左)のアテーナーと、裏面(右)のフクロウも共通のシンボル。ギリシャ神話にも巨神族の一人プロメテウスが天から持って下った火によって、人間は武器や道具を作り、貨幣鋳造(ちゅうぞう)、商売、取引きの方法まで習得したという記述が見られる。

紀元前400年頃、マウリヤ朝でインド初の硬貨と言われるパナ銀貨とマーシャカ銅貨が発行。

紀元前280年頃、共和政ローマが初の硬貨アスを発行。

700年頃、日本で富本銭(ふほんせん)が発行。


■710年

奈良県の平城宮

710年に平城京が日本の首都になる。

平城京の中にある平城宮(へいじょうきゅう)にも、黄金比の渦模様の鬼瓦がある。平城宮とは大内裏(だいだいり)のことで、天皇の住まいである内裏(だいり)即ち内廷(ないてい)と、儀式を行う朝堂院(ちょうどういん)などからなる。また平城宮(へいじょうきゅう)東端には東院庭園がおかれ、宴などが催された。

次の鳳凰の鬼瓦にも黄金比がある。つまり鳳凰も共通のシンボル。欧米ではフェニックスという名。

平城京の朱雀門(すざくもん)の朱雀とは、中国の神獣の鳥。その朱雀門(すざくもん)にも黄金比が見られるということは、朱雀も共通のシンボル。朱雀門の縦横の比率も、人間目線で黄金比になる。太極殿の場合は人間目線で2つの黄金比を大外合わせで重ねると、真ん中に階段の幅の比率が見えてくる。

しかし朱雀門も太極殿も立面図では黄金比にならない。

朱雀門と太極殿の屋根と地面の高さにあわせて黄金比を重ねてみる。左の朱雀門の黄金比の中3個目に小さな黄金比の幅に、階段幅が設計されている。また柱の間隔も、その黄金比の幅になっていて、それが5つ並んでいる。朱雀門と太極殿の石の土台の高さも、この黄金比の中の比率になっている。

中国神話の四神である朱雀(すざく)も無を表したシンボル。平城京は中国の長安城にも似ており、長安城にも朱雀門がある。その長安は現在は西安と呼ばれ、少なくとも29個のピラミッドが存在していた。

また、平城京の第一次大極殿には、天皇の即位式を行う高御座(たかみくら)が飾られている。この高御座上部の黄金の渦巻きも黄金比。その上には共通のシンボルである鳳凰(ほうおう)が乗っている。また高御座は上から見ると八角形になっていて、それもシンボルとしてメソポタミアなどで見られた。

高御座の上には大小の鏡が装飾されている。鏡も無を表すシンボルということは後述している。
鏡

香川県の善通寺

善通寺は空海の父が創建し、東院と空海生誕地とされる西院に分かれている。善通寺にも切込み接(は)ぎの石積みが見られる。

空海誕生の地である善通寺に切込み接(は)ぎの石積みが見られ、空海の人物画では手に金剛杵(こんごうしょ)を手に持っている。これらも共通のシンボルだった。

共通点は他にもある。空海は修行中、明けの明星が大きくなって彼の口に飛び込んでくるような神秘体験をした。キリスト、ルシファー、ケツァルコアトルも明けの明星のこと。釈迦(しゃか)は明けの明星が輝く頃に悟りを開いた。イスラム教のアラーの娘アル・ウッザーは、シリアで明けの明星と同一視された。明けの明星も共通のシンボル。この共通点から空海も架空の人物の可能性がある。


■713年

中国の楽山大仏(らくさんだいぶつ)

楽山大仏(らくさんだいぶつ)は高さ60m。岩山を71mもくり抜いた中にある。この大仏の頭の渦模様は黄金比。


■720年

日本書紀と鏡

日本に伝存する最古の正史(せいし)で、六国史(りっこくし)の第一にあたる日本書紀が完成する。

日本書紀の創成神話では「無」を鶏(にわとり)の卵のような混沌と表していた。その時、天地の中に一つの神、国常立尊(くにのとこたちのみこと)が生まれる。

この日本書紀では八咫鏡(やたのかがみ)が登場する。これは天孫降臨(てんそんこうりん)の際、天照大御神(あまてらすおおみかみ)から邇邇芸命(ににぎのみこと)に授けられ、この鏡を天照大御神自身だと思って祀るようにとの神勅(しんちょく)が下されたとある。これは宝鏡奉斎(ほうきょうほうさい)の神勅と呼ばれている。そして八咫鏡(やたのかがみ)は神宮と皇居で保管され、皇居のものは神宮の物の複製とされている。こういったこともあり、日本の神社や神棚でも神鏡として祀るなど鏡を神聖なものとして扱ってきた。

一般公開されず、誰も見たことのない八咫鏡(やたのかがみ)は、銅鏡と同じようなデザインと考えられている。中国や日本の銅鏡にはジグザグ模様や黄金比の渦模様が見られ、共通をシンボルで表したものという結論だった。次の銅鏡は方格規矩四神鏡(ほうかくきくししんきょう)と呼ばれ、T字のデザインが4つ見られる。これは曼荼羅(マンダラ)と同じデザイン。曼荼羅は無を表したものという結論だった。つまり銅鏡も無を表した鏡ということ。つまり鏡自体が無を表している。日本書紀で天照大御神(あまてらすおおみかみ)が、「この鏡を天照大御神自身だと思って祀るように」と言った記述も、天照大御神が無を表したシンボル的存在だからというのが結論。

次の前漢の1世紀の時代の方格規矩四神鏡(ほうかくきくししんきょう)には、鏡架(きょうか)という鏡を置く台があり、神社の神鏡と似たデザインとなっている。このように天照大御神、八咫鏡(やたのかがみ)、神鏡、銅鏡、鏡架(きょうか)、鏡は無を表しているという結論。


日本庭園

日本書紀には庭園と須弥山(しゅみせん)に関する記事がいくつかみられる。古墳時代の庭園は、古代から仏教世界の中心とされてきた須弥山を表す石の山のまわりに営まれているとされる。600年代前半の推古天皇も宮の南に須弥山と呉橋(くれはし、屋根と欄干”らんかん”付きの橋)のある庭を持っていたこと(日本書紀では「仍りて須弥山の形及び呉橋を南庭に構けと令す」)や、600年代後半の斉明(さいめい)天皇も池の畔(ほとり)に須弥山と呉橋(くれはし)を築いたとされる。こうして日本庭園には、須弥山形式や九山八海(くせんはっかい)を表したものが見られる。この2つは同じもので、どちらも須弥山となる石を中心とし、その周りに8つの山を模した岩が並べられる。

次の山口県の漢陽寺と島根県の万福寺の庭園に見られる山の頂上の岩が須弥山。その周りに8つの岩が置かれる九山八海(くせんはっかい)。

京都の龍源院(りょうげんいん)の龍吟庭(りょうぎんてい)。真ん中の縦に長い岩が須弥山。

曼荼羅(マンダラ)と同じ構図の須弥山は「無」を表すという結論だった。つまり日本庭園の須弥山形式や九山八海(くせんはっかい)も、「無」を表したものという結論。


■752年

奈良の東大寺

奈良県の東大寺でも共通のシンボルが見られる。創建から2度にわたって焼失し、鎌倉と江戸時代に再建された。

大仏がある金堂は再建されたもので、創建当時と大きさが違う。

金堂の前の左右の敷地は創建当時の大きさとされ、黄金比の大きさとなっている。
東大寺の鬼瓦の黄金比の曲線。額にはジグザグ模様のシンボルも見られる。

奈良の大仏。光背(こうはい)、黄金比の渦模様、手のひらを見せるポーズが見られる。この大仏も無を表すという結論だった。

大仏の頭の渦模様も黄金比。

奈良の大仏の隣にある虚空蔵菩薩像(こくうぞうぼさつぞう)。ここにも光背(こうはい)、黄金比の渦模様、手のひらを見せるポーズ。

東大寺の金堂の多聞天像(たもんてんぞう)や広目天像(こうもくてんぞう)にも、黄金比の渦模様が見られる。入り口の両側に立ち、黄金比があり、三叉槍(さんさそう)を持つこの像も共通のシンボルでできている。

大仏殿の前にある金銅八角燈籠(こんどうはっかくとうろう)にも、黄金比が見られる。


奈良の大仏、大日如来、天照大神

鎌倉の大仏は阿弥陀如来(あみだにょらい)で、仏教の五大明王の一角を占める大威徳明王(だいいとくみょうおう)と同一神。金剛杵(こんごうしょ)を持つ。金剛杵(こんごうしょ)はアイオーンの胸に垂れ下がっている。つまり鎌倉の大仏は無ということであった。

奈良の大仏は毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)と言い、密教では大日如来(だいにちにょらい)と同じ。大日如来の化身の不動明王も金剛杵(こんごうしょ)を持っている。つまり鎌倉も奈良も、どちらの大仏も無を表すということ。

大日如来(だいにちにょらい)は一切の諸仏菩薩(しょぶつぼさつ)の本体とされ、天照大神(あまてらすおおみかみ)と同一視される。つまりあらゆる仏教の神は無のことを指す。天照大神は日本神話に登場する神。皇室が神として祭る神で、日本国民が共同で祀る神道の神。神社としては伊勢神宮が有名。