5章 1年〜1000年

■80年

ローマのコロッセオ

イタリアのローマのコロッセオは、約5万人収容の円形闘技場。

コロッセオにも多角形の石積みが見られ、地上・地下両方にある。ローマ神話に登場するローマ建国者ロームルスも、ニンギシュジッダという結論だった。


ローマン・コンクリート

この建築材料はローマン・コンクリートと言われる。1900年代のコンクリート寿命は約50年から100年程度の中、ローマン・コンクリートは2000年以上の耐久性がある。

ローマン・コンクリートが使用されている建物は次の通り。カラカラ浴場、マクセンティウスのバシリカ、トラヤヌスの市場、ローマ水道の水道橋や導水渠(どうすいきょ)、分水施設(カステルム・アクアエ)、アウレリアヌス城壁(ローマ市街地を取り囲む防御壁)、パンテオン。これらの中には多角形の石積みが見られるものもある。コロッセオにも使用されたこのコンクリートも、これらの建設もニンギシュジッダによるものという結論。

パンテオンもサバジオスの浮き彫りと同じ建築デザイン。


ティトゥス浴場の黄金比

80年、第10代ローマ皇帝ティトゥスの時代のティトゥス浴場。ここも2つの黄金比の比率でできているのでニンギシュジッダ作。また建設がコロッセオと同年。


■90年頃

ローマ帝国のニンギシュジッダの像

ローマ帝国の第11代皇帝ドミティアヌスの時代に作られたアイオーンの像。

アイオーンであるニンギシュジッダと同一神は、1匹の蛇が巻きついた杖を持つローマ神話のメルクリウス(マーキュリー)、2匹の蛇の杖を持つギリシャ神話のヘルメスとエジプトのトート神が融合した錬金術師ヘルメス・トリスメギストスなど。

■192年

ベトナムの象牙の塔

ベトナムのチャンパ王国(192年-1832年)の象牙の塔(Dương Long)にも、多角形の石積みがある。


■212年

ローマのカラカラ浴場の黄金比

カラカラ浴場は、212年から216年にかけてカラカラ帝の治世に造営された。

建物は長さ225m、幅185m、高さ38.5mほど。2000から3000の浴槽を設置できた。カラカラ浴場もローマン・コンクリートで建てられ、黄金比の比率で設計されている。つまりニンギシュジッダ作。

カラカラ浴場は古代ローマのセントラルヒーティングシステム「ハイポコースト」によって加熱されていた。これは床面を柱で持ち上げ空間を作り、炉(ろ)からの熱気と煙を床下や壁に送り込み屋根付近の送管で排気する。現代のセントラルヒーティングの先駆け。つまりこれもニンギシュジッダ由来。


■275年

ローマのアウレリアヌス城壁(じょうへき)

アウレリアヌス城壁(じょうへき)は271年から275年に、ローマ皇帝アウレリアヌスとプロブスの治世にローマに建設された。全周19km。29.6mごとに塔がある。壁はローマン・コンクリートをレンガで覆う形。この城壁のサン・セバスティアーノ門やティブルティーナ門にも、多角形の石積みが見られる。


前方後円墳の誕生

日本に250年から600年頃、前方後円墳が現れ始める。全国に4800基以上ある。大阪府の仁徳天皇陵古墳は、全長約486mで日本最大。

この古墳をよく見ると、台形の部分に腕のような造り出しがある。これと同じ形が、ニンギシュジッダのシンボルのタニト。また前方後円墳が段々に盛り上がっているのも、タニトの枠に見られるシンボル。

京都府の恵解山(いげのやま)古墳にも造り出しが見られる。

次の左の広島県の三ツ城(みつじょう)古墳にも造り出しが見られる。右の奈良県の箸墓(はしはか)古墳のように、造り出しがない場合もある。

四角形の前方後方墳も日本に200基以上存在する。福島県の大安場1号墳は全長約83m。

静岡県の前方後方墳の小銚子塚(こちょうしづか)古墳は全長46mで、前方後円墳と共に並ぶ。
小銚子塚(こちょうしづか)古墳

この前方後方墳の形も、太陽と三日月があるタニトに見られる。また前方後方墳も段々になっているが、それがタニトの枠に見られる。つまり前方後方墳も段々のデザインもニンギシュジッダのシンボル。

前方後円墳の内部には巨石の石室がある。この石室はドルメンのように巨石を天井石として置いている。つまり全てニンギシュジッダ作。

円墳も古墳時代に作られている。

円や二重丸もニンギシュジッダのシンボルとして、エジプトの装飾品などで見られた。

同時代、八角形の八角墳(はっかくふん)も作られている。

八角形のシンボルも、紀元前1120年頃のバビロニアの石の左上に星の形で見られた。

数は少ないながら六角墳も作られている。

六角形のシンボルは、インドのインダス文明の出土品に見られる。各地の女神が両手で蛇などを持つポーズが、次のインドの出土品にも見られる。その上下に六芒星とゾウが彫刻されていて、六角形、六芒星もニンギシュジッダのシンボルということ。

このように日本の古墳は、ニンギシュジッダのシンボルで作られている。他にも帆立貝式(ほたてがいしき)古墳、双円墳(そうえんふん)、双方中円墳、双方中方墳なども見られる。これらも今まで見てきたシンボルの組み合わせで作られている。

720年に編纂された日本書紀では、奈良県の箸墓(はしはか)古墳について、「この墓は、昼は人が造り、夜は神が造った(是人者、日也人作、夜也神作)」とある。つまりこの神とはニンギシュジッダを指す。ただ日本書紀自体もニンギシュジッダ作の作り話ということは後述している。


埴輪

長野県の森将軍塚古墳は全長100メートルの前方後円墳で、これもニンギシュジッダ作という結論だが、こういった古墳には埴輪(はにわ)も見られる。埴輪とは埴(はに)で作った円筒、人形、動物などの像で、墓の周囲に埋められている。

この森将軍塚古墳の合子(ごうす)形埴輪の側面は、ジグザグ模様で囲まれていて、そのため三角形の穴が無数に空いている。ジグザグ模様はトルコのギョベクリ・テペの石柱にも見られた。つまりこの埴輪もニンギシュジッダによるものという結論で、それが古墳全体にいくつも飾られている。

また群馬県で見つかっている「腰かける巫女(みこ)」という埴輪の腰の帯(おび)にも、ジグザグ模様が見られる。

埴輪には色々なデザインがあり、ほとんどの埴輪にニンギシュジッダのシンボルを見ることはできない。しかし上記の合子(ごうす)形埴輪や「腰かける巫女(みこ)」の埴輪のジグザグ模様から判断すると、下の画像の古墳などから出土する埴輪もニンギシュジッダによるものという結論。

中国や日本の銅鏡もニンギシュジッダ作という結論だったが、銅鏡も日本全国の古墳より出土している。下の画像は群馬県の蟹沢(かにさわ)古墳の鏡で、これにも周囲にジグザグ模様が見られる。

このように前方後円墳はタニトのデザインで、ドルメンである巨石の石室があり、埴輪のジグザグ模様や銅鏡が見られ、全てニンギシュジッダのシンボルによって作られている。そしてその建造者もニンギシュジッダという結論。


■315年

コンスタンティヌスの凱旋門の多角形の石積み

コンスタンティヌスの凱旋門はイタリアのローマにあり、コロッセオの隣に位置している。その大きさは黄金比2つ分となっている。

この凱旋門は黄金比で設計され、多角形の石積みもあり、細かな装飾も見られることからニンギシュジッダ作。

このコンスタンティヌスの凱旋門に黄金比が見られ、彼のモザイクには光背のシンボルも見られる。そしてローマ建国者のロームルスはニンギシュジッダだった。つまりここまでのティトゥス、カラカラ、アウレリアヌス、プロブスなどローマ皇帝たちは実在せず、全てニンギシュジッダを表した作り話という結論。


■395年

東ローマ帝国の国章の双頭の鷲(わし)

ローマ帝国が、西ローマ帝国と東ローマ帝国(ビザンツ帝国)に分裂。
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東ローマ帝国の国章は双頭(そうとう)の鷲(わし)となった。双頭の鷲は、紀元前3000年のイランのジーロフト文化より出土しており、ニンギシュジッダの象徴だった。

1800年代にはフリーメイソンの高級結社スコティッシュ・ライトで、双頭の鷲が使用されている。


■400年頃

インドのエローラ石窟群

インドにあるエローラ石窟群は、400年から1000年の間に造られた。仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教の石窟(せっくつ)寺院などがある。34の石窟が垂直な崖に掘られている。ここにもニンギシュジッダのシンボルが数多く見られる。

第29窟のデゥマル・レーナの入口の2頭の獅子像。

ここに彫刻されている仏陀もニンギシュジッダという結論だった。

カイラーサナータ寺院の多角形の石畳。

このエローラ石窟群の16花弁、8花弁のシンボル。

獅子とゾウもニンギシュジッダのシンボルという結論だった。

このエローラ石窟群の特徴的な部分は、岩をくり抜く科学技術。


神社仏閣の建築デザイン

中国の莫高窟(ばっこうくつ)は600ほどの洞窟群。断崖(だんがい)に南北1600mに渡って掘られ、355年に作られ始めたとされる。その中に2400余りの仏像が安置されている。ここには岩山をくり抜いた中に巨大な仏陀の石像があり、また同じ遺跡内にニンギシュジッダの多角形の石積みもある。こういった共通点から、莫高窟(ばっこうくつ)もニンギシュジッダ作という結論。

下の左の龍門石窟の仏像は毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)と言い、奈良の大仏と同じ。これもニンギシュジッダという結論だった。右は雲崗石窟(うんこうせっくつ)の仏像。

雲崗石窟(うんこうせっくつ)は如来像で、2つある像の頭の後ろには光背のシンボルが見られる。また小さい像の手のひらを見せるポーズは、タニトの浮き彫り、仏陀の浮き彫り、インドのシヴァにも見られる。また、不動明王は大日如来(だいにちにょらい)の化身とも言われる。如来含め、ここに出てくる全てがニンギシュジダのシンボル。

こちらはスリランカのポロンナルワの、岩山をくり抜いた中の仏陀の石像。中国の龍門石窟と同じ作り方。ポロンナルワにも多角形の石積みがあり、これらがニンギシュジッダ作とわかる。

この莫高窟(ばっこうくつ)の一部には、日本の神社と同じ木組みの建物も見られる。つまり神社と木組みもニンギシュジッダ由来。この第96窟の九層楼(きゅうそうろう)は高さ43m、中に莫高窟最大の33mの仏像が納められている。

神社仏閣の建築や補修を行う宮大工(みやだいく)は、この時代にニンギシュジッダから技術を教わったということ。


神社の狛犬と世界中の獅子像

紀元前710年頃のアッシリアの守護神ラマッソスは、三重冠をかぶっている。

三重冠もニンギシュジッダのシンボルとしてメソポタミアで見られる。


イランのペルセポリスでは、三重冠のラマッソスが2体で入り口に立っている。つまり2体で門の左右に並ぶ形態も、ニンギシュジッダを表す。

ライオン顔のアイオーンはニンギシュジッダのことだった。それが2体1組として、神社の狛犬、沖縄のシーサー、韓国のヘテ、中国の紫禁城の獅子像として見られる。シュメール神話では、エジプトのスフィンクスも始めはニンギシュジッダの獅子顔であったが、マルドゥクが息子の顔に変えたとある。
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トルコのネムルト山にも2体のライオン像があり、山がピラミッドとなっている。神像には、ゼウス-オロマズデス(ゼウスとアフラマズダが同一視された神)、アポロ-ミトラス、ヘラクレス、テュケ(ギリシャ神話の女神でコンマゲネ王国の守護神)などが含まれている。
この山にある神像のゼウス、アポロ(1匹の蛇を持つ)、ミトラス、ヘラクレス、鷲(わし)、ライオンはニンギシュジッダという結論だった。
紀元前1450年頃のギリシャのミケーネ文明にも、2匹の獅子が描かれた獅子門と多角形の石積みが見られる。
インド南東の島国スリランカのポロンナルワの獅子(ライオン)像。
インドネシアのジャワ島のボロブドゥル寺院。ここにも獅子像と多角形の石積み。
カンボジアとタイの国境付近にあるプレアヴィヒア寺院の獅子像。
カンボジアにあるアンコール・ワットの獅子像。

しめ縄

神社で見られるしめ縄は、ニンギシュジッダのシンボルとしてイランの石のハンドバックでも見られ、2匹の蛇の交尾をも表すという結論だった。


しめ飾り

日本の正月のしめ飾りに使われるしめ縄は、2匹の蛇が絡み合ったニンギシュジッダのシンボルという結論だった。しめ縄から垂れ下がる藁(わら)は雨を表し、これらもニンギシュジッダのシンボル。

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白いジグザグの紙垂(しで)はニンギシュジッダの雷のシンボルを表し、トルコのギョベクリ・テペなどでもジグザグのシンボルが見られた。

しめ縄を丸く結び、その上部左右に藁(わら)が横たわっているしめ飾りの形は、他国の宗教でもシンボルとして見られる。

バビロニアの女神の手に、輪と2本のヒモのシンボル。

エジプトのウラエウスの右隣に、輪と2本のヒモのシンボル。

古代ペルシアのゾロアスター教の主神アフラ・アズダーも、王権の象徴の笏(しゃく)と丸い輪に2本のヒモがついた王冠を持っている。つまりしめ飾りの形はニンギシュジッダのシンボル。

日本のしめ飾りの場合、2匹の蛇が絡み合いながら輪を作っていることになる。さらに1匹の蛇や竜が輪を作り、自分の尻尾を加えているウロボロスという図も他国で見られる。エジプトのツタンカーメンの石棺には、1匹の蛇が自分の尻尾をくわえるウロボロスが見られる。

ヒンドゥー教での自分の尾をくわえる竜(もしくは蛇)。ここに見られる亀や像もニンギシュジッダのシンボルという結論だった。
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メキシコのソチカルコ遺跡の神殿にも、ケツァルコアトルのウロボロスが見られる。ケツァルコアトルは羽毛の生えた竜で、これもニンギシュジッダという結論だった。


茅(ち)の輪(わ)

多くの神社では茅の輪潜り(ちのわくぐり)が行われる。茅の輪はチガヤや藁(わら)で作られた大きな輪。チガヤも藁(わら)もイネ科の植物で、しめ縄も稲や麻などの藁(わら)が使用され、2匹の蛇を表していた。つまり茅の輪はしめ縄と同じ植物を使用しているので、1匹の蛇が輪になった日本のウロボロスという結論。また「一なるもの」をも表している。


綱引き

日本の一般的な綱引きとは、2つのチームが1本の綱を引きあって勝敗を決めるもの。その歴史は日本では1500年頃より見られ、神事や占いとして正月などに行われてきた。この場合、藁(わら)やカヤを使った縄を使用した。しめ縄も藁(わら)などを使用し、それはニンギシュジッダの象徴でもあった。


つまり綱引きとはニンギシュジッダを表す蛇を引きあっている構図ということ。この神事の意味はヒンドゥー教に見出せる。ヒンドゥー教のマハーバーラタなどの天地創造神話に、乳海攪拌(にゅうかいかくはん)という話がある。要約は次の通り。「ヴィシュヌは多種多様の植物や種を乳海に入れ、次に化身巨大亀クールマとなって海に入り、その背に大マンダラ山を乗せた。この山に竜王ヴァースキを絡ませて、神々はヴァースキの尾を、アスラはヴァースキの頭を持ち、互いに引っ張りあうことで山を回転させると、海がかき混ぜられた。攪拌(かくはん)は1000年間続き、乳海からは太陽、月、象、馬、女神など様々なものが生まれた。」

神々が引っ張り合ったのは蛇の姿のヴァースキ。ヴァースキは、インド神話に登場する蛇神の諸王ナーガラージャでもあり、ナーガラージャは2匹の蛇が絡み合った姿。つまり日本のしめ縄、綱引きの綱と同じ。つまり綱引きが表しているのは天地創造(ビッグバン)で、ニンギシュジッダ由来の行事。


■477年頃

スリランカのヤーパフアとシーギリア

スリランカのヤーパフアには2体の獅子像、多角形の石積み、巨石の山が見られる。

シーギリアには、ライオン像の前足、巨大な巨石、巨石の山が存在する。これらもニンギシュジッダ作。


■500年頃

熊本県のチブサン古墳

熊本県のチブサン古墳は前方後円墳。後円部分に石室があり、絵が描かれている。

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ここには7つの丸、二重丸、菱形模様が見られる。これらはニンギシュジッダのシンボルだった。よって3本の角のある両手を上げた人物も、ニンギシュジッダを表しているという結論。

この人物はタニトにも共通点を見出せる。下の左のタニトも両手を上げている。右側はタニトと両手の手のひらを見せている。

十字もニンギシュジッダのシンボルだったが、下の浮き彫りの人物は手のひらを見せながら両手を上げている。つまりチブサン古墳の人物は、手のひらを見せながら両手を上げるニンギシュジッダのシンボルポーズをしている。

両手を上げるポーズは次の左の画像のバビロニアのイシュタルを表す女神像や、右側の紀元前1800年頃の女神イナンナ(イシュタル)と壺でも見られ、この女神もニンギシュジッダという結論だった。

7つ星はメソポタミアの三日月や有翼円盤がある円筒印章や、ライオンが持つシンボル表の右上に見られた。

菱形模様はギョベクリ・テペや仏陀(ニンギシュジッダ)の浮き彫りに見られた。

エジプトの装飾品の二重丸。

このようにチブサン古墳もニンギシュジッダ作という結論。

熊本県の井寺古墳(いでらこふん)の多角形の石積み

熊本県の井寺古墳(いでらこふん)は円墳。内部に多角形の石積みがある。500年頃の築造と推定され、チブサン古墳とは年代も距離も近い。


熊本県の大戸鼻(おおとはな)古墳群

大戸鼻(おおとはな)古墳群も500年頃で、チブサン古墳や井寺古墳と年代も距離も近い。南一号古墳はドルメン。

南2号古墳の石室も大きな石を積み上げるドルメン型。その内部に描かれている円の周辺には、ジグザグ模様が描かれているが、これも銅鏡やギョベクリ・テペの石柱で見られる。


■538年頃

ユダヤ教、山伏(やまぶし)、雅楽(ががく)、伎楽(ぎがく)、天狗の共通点

538年頃の仏教とともに伝わったものがある。日本の伝説上の生き物とされる天狗が頭に付けている黒い小さな箱は兜巾(ときん)。ユダヤ教徒はヒラクティリーという黒い箱を頭に乗せている。中に戒律(ティフリン)が入っている。日本では山中で修行をする修験道の行者の山伏(やまぶし)が兜巾(ときん)を頭につけ法螺貝(ほらがい)を吹くが、ユダヤの祭事ではヒラクティリー(黒い小箱)を頭につけ、ショーファーという羊の角の楽器を吹く。
ヒンドゥー教の神ヴィシュヌはニンギシュジッダという結論だったが、その手には法螺貝(ほらがい)を持つ。つまりこれもシンボル。ショーファーの羊もサバジオスの手に見られるシンボル。

兜巾(ときん)は天狗(てんぐ)も付けている。一般的に天狗は山伏(やまぶし)の服装で、赤ら顔で鼻が高く、翼があり空中を飛翔するとされる。

さらに山伏(やまぶし)は「虎の巻」を、ユダヤ人は「トーラースクロール(トーラーの巻物)」を持っている。虎の巻は、門外不出の秘伝が書かれている書。トーラースクロールはユダヤ教の唯一神ヤハウェが預言者モーゼに語った天啓の書(モーゼ五書)で、ユダヤ教の根源となる最重要の経典。「虎」とはトーラーのこと。ヤハウェもニンギシュジッダという結論だった。

モーゼ五書は旧約聖書の最初の5つの書。この5つとは創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記。モーゼも1匹の蛇が巻きついた杖を持つことからニンギシュジッダという結論だった。つまり旧約聖書もニンギシュジッダ作。

天狗は鼻が高く描かれることが多い。古事記や日本書紀の天孫降臨で登場する猿田彦(サルタヒコ)も天狗の姿。
兵庫県の大避(おおさけ)神社にある舞楽面(ぶがくめん)も鼻が高い。舞楽面は雅楽(ががく)で使用される。
東京国立博物館に保存されている鎌倉時代の舞楽面(ぶがくめん)も鼻が高く、頭に鳥獣のような生き物が乗っている。

山伏(やまぶし)、ユダヤ教徒、舞楽面(ぶがくめん)、これらに共通する額の上の兜巾(ときん)やヒラクティリーや鳥獣。そして天狗と舞楽面(ぶがくめん)に共通するのは鼻が高いということ。また天狗には羽がある。これらと共通する像が、90年頃の古代ローマのアイオーンの像。アイオーンにも羽があり、額に蛇が乗っていてヒラクティリーの原型。姿は天狗と似ている。旧約聖書の『創世記』のアダムとイヴの話では、エデンの園でイヴに知恵の樹の実を食べさせたのは蛇。つまりニンギシュジッダである蛇=知恵で、兜巾(ときん)やヒラクリティーはアイオーンの額の蛇=ニンギシュジッダ、をシンボルとして表している。

アイオーンの足元には2匹の蛇が描かれているのでニンギシュジッダ。その手には長い杖を手にしている。山伏(やまぶし)も金剛杖(こんごうづえ)という長い棒を手にしている。
金剛杖(こんごうづえ)は金剛杵(こんごうしょ)と同じとされ、これもニンギシュジッダという結論だった執金剛神(しゅこんごうしん)が持っている。金剛杵はアイオーンの胸にも見られた。

古代日本の伎楽面(ぎがくめん)も、天狗のように鼻が高く、顔が赤い。伎楽(ぎがく)は612年に百済人味摩之(みまし)によって中国の呉(ご、222年〜280年)から伝えられたとされる。

また烏天狗(からすてんぐ)という鳥の顔をした天狗もいる。これはインド神話のガルダを前身とする仏教の守護神の迦楼羅天(かるらてん)が由来。
これらをまとめると、ユダヤ教徒、山伏(やまぶし)、伎楽(ぎがく)と伎楽面、雅楽(ががく)、猿田彦、天狗、烏天狗(からすてんぐ)、迦楼羅天(かるらてん)、ガルダはアイオーンにつながり、全てニンギシュジッダを表すシンボルという結論。これらはユダヤ人が日本にやってきて広めたのではなく、ニンギシュジッダが各地で広めたもの。

獅子舞(ししまい)と唐草模様(からくさもよう)

唐草模様の風呂敷をかぶって踊る獅子舞(ししまい)は、伎楽(ぎがく)がルーツ。唐草模様の渦模様も獅子もニンギシュジダのシンボル。

鳥取県には古くから伝わっている麒麟獅子(きりんじし)という獅子舞の一種がある。麒麟(きりん)がモチーフになっているために通常の獅子舞よりも面長な獅子頭で、色は金色、一本角があり、耳が逆立っている。麒麟(きりん)も中国では黄竜(こうりゅう)と同一視され、中国の竜は全てニンギシュジッダのこと。つまり麒麟獅子は、どちらもニンギシュジッダを表す。赤い服の道化役の名は猩々(しょうじょう)。

中国のライオンダンスも日本の獅子舞とルーツは同じだが、中国では200年代に行われていた記録が漢書(かんじょ)に残っており、これが最古の記録ではないかとされている。

漢書 : 象人 若今戲魚蝦師子者也

意味 : 象人(仮面をつけた人)は、今の魚蝦(ぎょか”魚類一般”)・獅子を戯(ぎ”たわむれる”)するがごとき者也

— 礼楽志 巻22

現在演じられるライオンダンスは、1616年の清(しん)の時代に確立された形。

インドネシアのバリ島でも、獅子の姿の聖獣バロンのバロンダンスが行なわれている。つまりバロンもニンギシュジッダ。

インドネシアの聖獣バロンは、村によってイノシシ、トラ、ウシ、イヌなど、異なった動物を象徴している。このイノシシ、ウシ、イヌはニンギシュジッダのシンボルとして、トルコのギョベクリ・テペやミトラス教の遺物にも見られた。トラもニンギシュジッダのシンボルである理由は後述している。


■540年頃

エチオピアのアクスムとラリベラ

100年頃から940年頃までエチオピア東北部では、アクスム王国が栄えた。

アクスムにあるラムハイ王と家族の地下墓の入り口にも、多角形の石積みが見られる。

この多角形の石積みがある上部に、長方形の段々の彫刻が見られる。これはタニトの段々と同じデザイン。

アクスムにはオベリスクがあり、ここでもタニトと同じ段々の彫刻が見られる。つまりこれもニンギシュジッダ作。

重さ500トンもある巨石を、科学技術のない時代の人間が運ぶことは不可能。

カレブ王の地下墳墓にも多角形の石積みが見られる。

アクスムの南の街ラリベラ。ここには石をくり貫いて作ったエチオピア正教会の教会堂群がある。ギオルギス教会の十字の形も、ニンギシュジッダのシンボルのタニトに見られる。

タニトと十字。
この建物の扉周りデザインがアクスムやタニトの段々と同じ。

世界中の巨石遺跡で見られるT字の締(し)め金

アクスムにあるラムハイ王の地下墓には、石と石を連結させるH型(2つのT字)の締(し)め金が見られる。これもトルコのギョベクリ・テペの石柱にシンボルとしてあった。下記の場所はそのT字の締(し)め金が見られる遺跡。

・エチオピアのアクスムのラムハイ王の地下墓とカレブ王の地下墳墓
・チュニジアのドゥッガ
・エジプトのデンデラ神殿、カルナック神殿、ルクソール
・イタリアのサルデーニャ島のタロス
・ギリシャのアテネのアクロポリス、パルテノン神殿
・イランのキュロスの墓
・カンボジアのアンコール遺跡群のタ・プローム
・インドのサーンチーの仏教遺跡
・日本の江戸城の本丸中之門石垣
・ボリビアのティワナク、プマプンク
・ペルーのオリャンタイタンボ

紀元前1万年頃のギョベクリ・テペの石柱に、ニンギシュジッダのH型のシンボル。


■574年頃

飛鳥寺の黄金比

創建時の飛鳥寺の講堂は、ちょうど黄金比の形。つまりニンギシュジッダ作。


■590年頃

イラン西部の遺跡ターク・イ・ブスタン

イランのササン朝ペルシャ時代の遺跡ターク・イ・ブスタンの浮き彫り。

石窟内の中央の人物の頭頂には、三日月と太陽。手には2本のヒモがついた王冠。3人とも太陽が頭頂にあり、全てニンギシュジッダを表した彫刻。

この石窟横に彫刻された植物の曲線は黄金比。石窟上部には三日月のシンボル。つまり全てニンギシュジッダを表す。


■593年頃

チベット初の統一王国を樹立

ソンツェン・ガンポがチベット初の統一王国の吐蕃(とばん)を樹立し、チベットに初めて仏教を導入したとされる。チベット仏教の14世紀の王統明鏡史(おうとうめいきょうし)では、創成神話として「一なるもの」をただ際限のない空虚な空間と表現している。そこに十方(じっぽう)から風が起こり交錯(こうさく)しあって、十字の風といわれる風輪ができ、様々なものができていく。つまり各地の創成神話と同じタイプの話で、ニンギシュジッダによって文化が伝えられた国という結論になる。


曼荼羅(マンダラ)

チベットやインド含め、大乗仏教の中の密教では曼荼羅(まんだら)が描かれている。曼荼羅は本来「本質を得る」という意味。これは最高の悟りを得ることであり、この真理を表現したのが曼荼羅で、円輪(えんりん)のように過不足なく充実した境地であるため、円輪具足(えんりんぐそく)とも訳される。曼荼羅には宇宙の真理を表す方法として、仏、如来、菩薩(ぼさつ)、守護尊(しゅごそん)などを体系的に配列して描いている。また多くの曼荼羅は四角と円で表され、四つのT字型の門が描かれている。

この上の曼荼羅にも見られる向かい合ったT字のシンボルは、ボリビアのプマプンクで見られる。ここでは2つのT字が向かい合わせになってH型になる。

H型のシンボルは同じくプマ・プンクやトルコのギョベクリ・テペで見られるシンボル。

さらにインドのヴィシュヌ、仏、如来、菩薩などは全てニンギシュジッダを表しているという結論でそれは後述もしているが、それが曼荼羅で描かれている。さらに悟りの状態は無心の状態で、それは「一なるもの」として在るという結論だった。つまり曼荼羅というのは「一なるもの」を表したシンボル図ということ。曼荼羅の意味の「本質を得る」の本質というのも「一なるもの」を指している。


須弥山(しゅみせん)

チベット仏教の創成神話では、空虚な空間から世界ができていく様子が述べられている。その中にできる金輪(こんりん)の中央に、様々な宝石からなる須弥山(しゅみせん)が水車の車軸のように自然にできあがったとある。次の図はその説明を表したもの。
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この須弥山を真上から見た模様は、曼荼羅(マンダラ)と同じ構図となっている。

曼荼羅(マンダラ)は「一なるもの」を表したシンボルという結論だった。つまり須弥山も「一なるもの」を表している。仏教寺院では仏像等を置くために一段高く設けられた場所のことを須弥壇(しゅみだん)というが、須弥山に由来する。その上に置かれた仏像はニンギシュジッダという結論だったので、つまり像も台も全てが「一なるもの」をシンボル的に表したものということ。


カイラス山

チベット高原に位置するカイラス山の標高は6656m。
カイラス山(赤字)の地図


この山をヒンドゥー教ではリンガ(男根)として崇拝し、チベット仏教では須弥山(しゅみせん)と同一視される聖地。リンガ(男根)はシヴァ神の象徴で、どちらもニンギシュジッダを表すという結論だった。次の画像では片手をあげるポーズや三日月のシンボルも共通で見られる。

須弥山も「一なるもの」という結論だった。つまり各国に伝わる自然の景観とそれにまつわる伝承の共通点から、カイラス山もニンギシュジッダによって作られた山という結論。


■600年頃

イースター島

モアイ像があるイースター島にも、多角形の石積みが見られる。

イギリスの大英博物館に展示されているイースター島のモアイ像。その胸に黄金比の渦模様。つまりモアイ像もニンギシュジッダ作。このモアイ像は1000年〜1200年の像とされている。

地中にはモアイの胴体が埋もれていた。重量100トンほど。


茨城県大平古墳群

600年頃の茨城県大平(おおだいら)古墳群の中の最大の前方後円墳である黄金塚(こがねづか)古墳からは「乳飲み児を抱く女性埴輪」が出土している。

子供に授乳している女神像のシンボルは、サバジオスの手の下部に見られた。

また各国でも授乳する女神像は出土している。つまり日本の「乳飲み児を抱く女性埴輪」もニンギシュジッダによって作られたという結論。下の画像は左から順に、地中海のキプロス(紀元前1300年頃)、メソポタミアの蛇顔の女神(紀元前5500年頃)、スペインのマラガの女神像、シリア(紀元前4500年頃)。

また同じくこの茨城県ひたちなか市の前方後円墳の虎塚古墳(とらづかこふん)の装飾壁画にも、ニンギシュジッダのシンボルが見られる。次の画像は虎塚古墳(とらづかこふん)の実物大の模型。壁画の上部にはジグザグ模様、正面には2つの二重丸のシンボルが見られる。

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ジグザグ模様はギョベクリ・テペの石柱でも見られるシンボル。

二重丸のシンボルはエジプトの装飾品でも見られた。

虎塚古墳(とらづかこふん)からは武具・馬具の類も出土しており、これら含め大平(おおだいら)古墳群もニンギシュジッダ作という結論。
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600年から1500年頃まで見られる鬼瓦

神社仏閣の屋根の鬼瓦(おにがわら)に黄金比の渦模様。これは800年前後まで続く。つまりこの時代、ニンギシュジッダは日本中で文化を広めていた。

600年〜800年までの鬼瓦は黄金比があり、装飾も細かい。

次の鬼瓦の輪郭にジグザグ模様も見られる。ジグザグ模様はギョベクリ・テペの石柱でも見られたシンボル。

同じ時代、朝鮮半島でも黄金比がある鬼瓦が見られる。次の2つの鬼瓦の周囲には、太陽を表す二重丸も見られる。
エジプトの装飾品の二重丸。

900年代のものには黄金比がなかったり、デザイン性も装飾も質の低いものがある。これらは人間が作った可能性がある。

1400年代の鬼瓦。立体的で作り込まれたものが作られ始める。中には黄金比が見られるものもある。

■607年

奈良県の法隆寺と聖徳太子

法隆寺は607年に聖徳太子によって創建されたとされる。

法隆寺は別名が斑鳩宮(いかるがのみや)と言う。聖徳太子が住んだ斑鳩宮(いかるがのみや)と飛鳥京(あすかきょう)を結ぶ太子道、法隆寺近くの道、若草伽藍(わかくさがらん)は、北から北北西に20度傾いている。これは紀元前520年頃のニンギシュジッダが作った古代ペルシャの都市ペルセポリスと同じ傾き。ペルセポリスにも多角形の石積みがある。

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下の右側がペルセポリス。

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法隆寺の若草伽藍(わかくさがらん)などからは、黄金比の装飾がある軒平瓦(のきひらがわら)も出土している。

 法隆寺の金堂の縦横の比率は黄金比。五重塔の塔身(とうしん)も断面図では黄金比となっている。また金堂の屋根の高さや幅が、2つの黄金比を重ねた時にできる比率に設計されている。

法隆寺の金堂や中門(ちゅうもん)は、人間目線で見れば黄金比の比率。その位置から見える黄金比に屋根の高さが設定されている。しかし立面図では黄金比ではない。つまり人間の目の高さから見れば黄金比に見えるように設計されている。

  

 法隆寺の中門(ちゅうもん)の内側の柱は、下の方が太く、上に行くにしたがって細くなっている。これはエンタシスの柱と呼ばれ、ギリシャのパルテノン神殿でも見られる。

パルテノン神殿もサバジオスの浮き彫りと同じ建築デザイン。つまりエンタシスの柱もニンギシュジッダ作。

法隆寺敷地内にも多角形の石積みが見られる。

法隆寺の金堂には、釈迦三尊像(しゃかさんぞんぞう)、薬師如来像(やくしにょらいぞう)、阿弥陀三尊像(あみださんぞんぞう)の3組が安置されている。これらにも黄金比、光背、手のひらを見せるポーズが見られ、ニンギシュジッダのシンボルという結論だった。これらは人間の手作業ではなく、ニンギシュジッダによって地球外の3Dプリンタのような技術で作られたという結論。

タニトなどの手のひらを見せるシンボル。

東院伽藍(とういんがらん)の夢殿(ゆめどの)は八角堂。八芒星もシンボルとしてメソポタミアで見られる。

夢殿(ゆめどの)の救世観音(くせかんのん)立像の渦模様も黄金比となっており、その数は膨大。
この救世観音(くせかんのん)や、金堂の釈迦三尊の左右にいる脇侍(きょうじ)の頭上には、三日月と太陽のシンボルが見られる。これはタニトにも見られた。
法隆寺の四騎獅子狩文錦(しきししかりもんきん)は、ペルシャ風の四人の騎士が有翼(ゆうよく)の馬に乗り、飛びかかる獅子を射ようとしている。獅子も弓矢もニンギシュジッダのシンボルだった。また騎士の頭上にも三日月と太陽が見られる。周囲の植物も黄金比の曲線。つまりニンギシュジッダ作。

法隆寺の五重塔には、侍者像(じしゃぞう)という像があり、馬頭形(ばとうぎょう)、鳥頭形(ちょうとうぎょう)、鼠頭形(そとうぎょう)という3つの像がある。顔がシュメールの爬虫類人に似ているが、細かく見比べるとくちばしや服装のパターンが奈良県の興福寺(こうふくじ)の迦楼羅像(かるらぞう)と同じ。楼羅(かるら)も烏(からす)天狗やアイオーンと共通点があり、ニンギシュジッダを表すという結論だった。興福寺の迦楼羅像(かるらぞう)にも黄金比の装飾が施されている。奈良県の興福寺の創建は669年、法隆寺の創建は607年とされ、年代も場所もほぼ同じ。

迦楼羅像

ニンギシュジッダのシンボルが溢れている法隆寺を作ったのは聖徳太子。つまり聖徳太子とはニンギシュジッダのこと。そして如来像、木組み、石積みなどもニンギシュジッダ作。他にも共通点がある。これまでクリシュナ、キリスト、仏陀はニンギシュジッダという結論だった。その物語と聖徳太子には類似点がある。

「誕生場所」
・クリシュナは牢獄で生まれた。
・イエス・キリストは家畜小屋で生まれた。
・聖徳太子は家畜を飼う厩戸(きゅうしゃ)前で生まれた。別名は厩戸皇子(うまやどのおうじ)。

「妊娠」
・釈迦(仏陀)の生母マーヤーは、ヴァイシャーカ月に6本の牙を持つ白い象が胎内に入る夢を見てシッダッタを懐妊した。
・聖徳太子の母の間人皇女(はしひとのひめみこ)は、西方の救世観音菩薩が皇女の口から胎内に入り、厩戸(うまやど)を身籠(みご)もった。

このように聖徳太子はニンギシュジッダのことで、その歴史もニンギシュジッダによる作り話。


 秦河勝(はたのかわかつ)

秦河勝(はたのかわかつ)は聖徳太子の側近として働いたとされる人物。聖徳太子はニンギシュジッダという結論だったが、秦河勝もニンギシュジッダという結論で実在しなかった。秦河勝が赤子時代に壺の中に入れられ川に流された話は、他国の神話でも見られる。たとえばモーゼ、ゼウス、ローマのロームルス、始皇帝はニンギシュジッダという結論だったが、これらも川に流される話に登場し、話が類似している。
秦河勝(前賢故実)

・日本神話の秦河勝
欽明(きんめい)天皇の時代、奈良県の大和川(やまとがわ)の上流部の泊瀬川(はせがわ)が洪水になった。そのとき川上から一つの壷が流れ下ってきたのを、三輪神社の鳥居のあたりで拾う者があった。壷の中には玉のように美しい幼児がいた。これは天から降ってきた人だということでさっそく内裏にこのことを報告しておいたところ、その夜の天皇の夢に、
「私は秦の始皇帝の再誕である」というお告げがあった。そこでその幼児を内裏に迎え、殿上人として育てることにした。成長するにつれて大変な才能を発揮するようになったために、十五歳になったとき「秦」姓を与えてこれを「ハダ」と読ませ、秦河勝と呼んで重用することになった。

・旧約聖書のモーゼ
モーゼは出生後しばらく隠して育てられたが、やがて隠し切れなくなり、パピルスのかごに乗せてナイル川に流された。たまたま水浴びしていたファラオの王女が彼を拾い、水からひきあげたのでマーシャー(ヘブライ語で「引き上げる」)にちなんで「モーゼ」と名づけた。そして宮廷で王家の子として育てられた。

・ギリシャ神話のペルセウス
ゼウスが黄金の雨に身を変えて忍び込み、ダナエーはペルセウスを産んだ。これを知った夫でアルゴス王アクリシオスは、娘とその子を手にかけることができず、二人を箱に閉じこめて川に流した。ダナエー親子はセリーポス島に流れ着き、漁師ディクテュスによって救出された。

・アッカド神話のサルゴン
サルゴンを生んだ母親は、秘密裏にサルゴンを籠(かご)もしくは灯心草(とうしんそう)の船に入れて川に流した。運良く灌漑(かんがい)者アッキに拾われ、庭師として育てられる。やがてイシュタルに愛され、覇道(はどう)を歩み、ディルムンを征服した。

・ローマ神話のロームルス(王政ローマ建国の初代王)
神殿に軟禁されたシルウィアと軍神マールスに、双子の子供ロームルスとレムスが生まれる。しかし叔父アムーリウスは、王位を継ぎうる双子の子を殺すように兵士に命じる。だが兵士は幼い双子を哀れんで、彼らを籠に入れて密かに川へと流す。ティベリス川の精霊ティベリーヌスは川を流れる双子を救い上げ、川の畔(ほとり)に住む雌狼(めすおおかみ)に預ける。やがて羊飼いファウストゥルスが双子を見つけると、妻アッカ・ラーレンティアと相談して引き取ることにした。彼の妻であるアッカ・ラーレンティアの正体は女神ケレースだった。

・ギリシア神話のアドニス(これは川に流された話ではないが類似した話。木と猪はニンギシュジッダのシンボル。)
神々は、ミュラーをミルラ(没薬)の木に変えた。やがて、その木に猪(いのしし)がぶつかり、木は裂け、その中からアドニスが生まれた。そのアドニスにアプロディーテーが恋をした。やがてアプロディーテーは赤ん坊のアドニスを箱の中に入れると、冥府の女王のペルセポネーの所に預けた。こうしてアドニスはしばらくペルセポネーが養育することになった。

秦河勝は猿楽(さるがく)の始祖とされる。猿楽が発展したものが明治以降は、能楽(のうがく)や狂言(きょうげん)となる。つまり雅楽(ががく)も含め、猿楽、能楽、狂言もニンギシュジッダ由来ということ。これらは中国由来ではなく、日本にいたニンギシュジッダによって直接広められた。


大避(おおさけ)神社、秦河勝、ダビデ

秦河勝を祀っているのが兵庫県の大避神社(おおさけじんじゃ)。

この大避(おおさけ)の避と闢(びゃく)が類字であることなどから、大避神社は旧約聖書に登場するダビデ王も祀った神社とされている。ダビデ王は漢訳で大闢(たいびゃく)と書く。旧約聖書はニンギシュジッダによる創作で、そこに登場するアブラハム、ソロモン王、1匹の蛇が絡みついた十字架を持つモーゼもニンギシュジッダという結論だった。ダビデも旧約聖書に登場し、ニンギシュジッダである秦河勝を祀る大避神社の漢字と類似している。ダビデ王の頭の後ろにも光背が見られるものもあり、光背もニンギシュジッダのシンボルという結論だった。つまりダビデもニンギシュジッダということ。

この兵庫県の大避(おおさけ)神社には、秦河勝が弓月国(ゆづきのくに)から持ち帰ったという天使ケルビム(智天使)の像とされる舞楽面(ぶがくめん)があり、日本で現存する最古の雅楽の面として伝えられている。舞楽面もニンギシュジッダのシンボルという結論だった。つまり大避神社、秦河勝、ダビデ、雅楽、舞楽面、ケルビムと、全てニンギシュジッダを表している。


■650年頃

埼玉県の八幡山古墳の多角形の石積み

八幡山古墳の石室にも多角形の石積みがあり、ニンギシュジッダ作。奈良県の石舞台古墳に似ている。


奈良県明日香村

明日香村の石舞台古墳は700年頃の遺跡。多角形の石積みも見られる。

明日香村の岩屋山古墳にも多角形の石積みが見られる。ここの石積みも隙間なく密着している。

ここにある酒船石は生命の樹の構図。

明日香村のキトラ古墳と高松塚古墳の多角形の石積み。

この二つの石室内に描かれた中国の神話の四神、玄武(げんぶ)・青龍(せいりゅう)・朱雀(すざく)・白虎(びゃっこ)も、ニンギシュジッダのシンボル。それについては後述している。

例えば一例をあげると、玄武の亀と蛇はニンギシュジッダのシンボルだった。

また明日香村には、爬虫類人の姿をした像が見られる。メソポタミアのシュメールでも、よく似た爬虫類の姿の女神像が発見され、授乳する女神像はニンギシュジッダという結論だった。つまり明日香村の像もニンギシュジッダという結論。

メソポタミアで発見された像と同じような手を組んで座る像も、明日香村より見つかっている。

明日香村には亀石が存在するが、亀もニンギシュジッダのシンボル。
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■680年

奈良県の薬師寺

680年創建の南都七大寺のひとつ、薬師寺にも黄金比が見られる。
人間目線で見た場合、薬師寺の金堂も黄金比の比率。その位置から見た場合の黄金比の比率に、柱の間隔などが設定されている。立面図で見た場合は黄金比にならないが、左右の幅合わせで黄金比を置くと、左右の階段位置が黄金比の比率になる。

薬師寺の金堂の平面図はちょうど黄金比の大きさ。その中にできる4個目の黄金比の大きさに階段幅が設定されている。

薬師寺の大講堂にも2つの黄金比の比率に収まる位置がある。その黄金比にあわせて屋根の高さが設定されている。

金堂の日光菩薩の光背(こうはい)にも、黄金比の渦模様が見られる。

薬師寺創建当初の700年代の鬼瓦。そこに黄金比の渦模様。

1336年の室町時代から1868年の江戸時代末までの鬼瓦。精度も下がり、黄金比も見られない。人間による鬼瓦と推察できる。

薬師如来の台座に描かれている人物の頭部の装飾は、細かい渦模様となっている。人間の手作業ではなく、3Dプリンタのような科学技術で彫られたと考えられる。


■681年

奈良県の大野寺(おおのでら)の弥勒磨崖仏(みろくまがいぶつ)

大野寺(おおのでら)は役小角(えん の おづの)が建立したと伝えられている。

ここには、岩壁に弥勒仏立像(みろくぶつりゅうぞう)を線で表した弥勒磨崖仏(みろくまがいぶつ)がある。この顔の右側部分と腰部分に、多角形の石の彫り込みがある。また頭は松ぼっくりのデザインになっている。松ぼっくりもメソポタミアなどで見られた。つまりニンギシュジッダ作。

また、大野寺の近くの室生龍穴神社(むろうりゅうけつじんじゃ)にも、多角形の石積みが見られる。

つまり大野寺を建立した役小角(えん の おづの)はニンギシュジッダで、多角形の石の切れ込みがある弥勒磨崖仏(みろくまがいぶつ)を作った。役小角(えん の おづの)の出生についても、ニンギシュジッダである釈迦(仏陀)や聖徳太子と共通点が見られる。
「妊娠」
・釈迦(仏陀)の生母マーヤーは、ヴァイシャーカ月に6本の牙を持つ白い象が胎内に入る夢を見てシッダッタを懐妊した。
・聖徳太子の母の間人皇女(はしひとのひめみこ)は、西方の救世観音菩薩が皇女の口から胎内に入り、厩戸(うまやど)を身籠(みご)もった。

・役小角(えん の おづの)の母がある夜、天空に金色に輝く金剛杵(こんごうしょ)が浮かんでおり、これが静かに降りてきて口に入ってしまうという不思議な夢を見た。そして役小角を授かった。幼名は金杵麿(こんじょまろ)という。

金剛杵(こんごうしょ)もニンギシュジッダのシンボルだった。役小角(えん の おづの)の伝説は他にもある。

・役小角の別名である役行者(えんのぎょうじゃ)は毎晩、流刑先の伊豆大島から海上を歩いて富士山の麓まで行き、霊山に登っていた。
・仙人になった役小角は、空を飛べる能力も具えていた。
・飛んで大陸に渡り、虎に変身した。
・修験道(しゅげんどう)の祖とされた。


■705年

シリアのウマイヤド・モスク

ウマイヤド・モスクは、シリアの首都ダマスカスに建築された現存する世界最古のモスク。ここにも黄金比が見られる。つまりニンギシュジッダ作。


■710年

奈良県の平城宮

710年に平城京が日本の首都になる。

平城京の中にある平城宮(へいじょうきゅう)にも、黄金比の鬼瓦がある。平城宮とは大内裏(だいだいり)のことで、天皇の住まいである内裏(だいり)即ち内廷(ないてい)と、儀式を行う朝堂院(ちょうどういん)などからなる。つまり天皇の住居はニンギシュジッダが作ったということ。また平城宮(へいじょうきゅう)東端には東院庭園がおかれ、宴などが催された。つまり日本庭園もニンギシュジッダ由来。

次の鳳凰の鬼瓦にも黄金比がある。つまり鳳凰もニンギシュジッダのシンボルの鳥。欧米ではフェニックスという名。

平城京の朱雀門(すざくもん)の朱雀とは、中国の神獣の鳥。その朱雀門(すざくもん)にも黄金比が見られるということは、朱雀もニンギシュジッダのシンボル。朱雀門の縦横の比率も、人間目線で黄金比になる。太極殿の場合は人間目線で2つの黄金比を大外合わせで重ねると、真ん中に階段の幅の比率が見えてくる。

しかし朱雀門も太極殿も立面図では黄金比にならない。

朱雀門と太極殿の屋根と地面の高さにあわせて黄金比を重ねてみる。左の朱雀門の黄金比の中3個目に小さな黄金比の幅に、階段幅が設計されている。また柱の間隔も、その黄金比の幅になっていて、それが5つ並んでいる。朱雀門と太極殿の石の土台の高さも、この黄金比の中の比率になっている。

中国神話の四神である朱雀(すざく)はニンギシュジッダのこと。平城京にあった12の門のうち、最も重要な門であった朱雀門とはニンギシュジッダ門である。朱雀門の正面にあった朱雀大路(すざくおおじ)も、ニンギシュジッダ大通りということ。平城京は中国の長安城にも似ており、長安城にも朱雀門がある。その長安は現在は西安と呼ばれ、少なくとも29個のピラミッドが存在している。長安も中国文明もニンギシュジッダが作ったもの。

また、平城京の第一次大極殿には、天皇の即位式を行う高御座(たかみくら)が飾られている。この高御座上部の黄金の渦巻きも黄金比。その上には鳳凰(ほうおう)であるニンギシュジッダが乗っている。

高御座
高御座

香川県の善通寺

善通寺は空海の父が創建し、東院と空海生誕地とされる西院に分かれている。善通寺にも多角形の石積みが見られる。

空海誕生の地である善通寺に多角形の石積みが見られ、空海の人物画では手に金剛杵(こんごうしょ)を手に持っている。つまり空海もニンギシュジッダという結論。

共通点は他にもある。空海は修行中、明けの明星が大きくなって彼の口に飛び込んでくるような神秘体験をした。キリスト、ルシファー、ケツァルコアトルも明けの明星のこと。釈迦(しゃか)は明けの明星が輝く頃に悟りを開いた。イスラム教のアラーの娘アル・ウッザーは、シリアで明けの明星と同一視された。明けの明星はニンギシュジッダのシンボル。

また空海(弘法大師)の伝説は、各地に数え切れないほどある。
・弘法大師が杖をつくと泉が湧き井戸や池となった。
・空海が平仮名を創作した。
・いろは歌は空海の作。
・各地の温泉を発見した。
・よく決壊していた香川県の満濃池(まんのういけ)の治水工事を行った。これは日本最大の農業用ため池。


■713年

中国の楽山大仏(らくさんだいぶつ)

中国の楽山大仏(らくさんだいぶつ)は高さ60m。岩山を71mもくり抜いた中にある。この大仏の頭の渦模様は黄金比。この大仏もニンギシュジッダのことで、作ったのも本人。


■720年

日本書紀と鏡

日本に伝存する最古の正史(せいし)で、六国史(りっこくし)の第一にあたる日本書紀が完成する。

日本書紀での創成神話では「一なるもの」を鶏(にわとり)の卵のような混沌と表していた。その時天地の中に一つの神、国常立尊(くにのとこたちのみこと)が生まれる。他国の創成神話との類似から、日本書紀もニンギシュジッダ作という結論だった。

この日本書紀では八咫鏡(やたのかがみ)が登場する。これは天孫降臨(てんそんこうりん)の際、天照大御神(あまてらすおおみかみ)から邇邇芸命(ににぎのみこと)に授けられ、この鏡を天照大御神自身だと思って祀るようにとの神勅(しんちょく)が下されたとある。これは宝鏡奉斎(ほうきょうほうさい)の神勅と呼ばれている。そして八咫鏡(やたのかがみ)は神宮と皇居で保管され、皇居のものは神宮の物の複製とされている。こういったこともあり、日本の神社や神棚でも神鏡として祀るなど鏡を神聖なものとして扱ってきた。

一般公開されず誰も見たことのない八咫鏡(やたのかがみ)は、銅鏡と同じようなデザインで考えられている。中国や日本の銅鏡にはジグザグ模様や黄金比の渦模様が見られ、ニンギシュジッダによって作られたという結論だった。次の銅鏡は方格規矩四神鏡(ほうかくきくししんきょう)と呼ばれ、T字のデザインが4つ見られる。これは曼荼羅(マンダラ)と同じデザイン。曼荼羅は「一なるもの」を表したものという結論だった。つまり銅鏡もニンギシュジッダのシンボルでデザインされた「一なるもの」を表した鏡ということ。そして鏡自体が「一なるもの」を表している。日本書紀で天照大御神(あまてらすおおみかみ)が、「この鏡を天照大御神自身だと思って祀るように」と言った記述も、天照大御神が「一なるもの」を表したシンボル的存在だからというのが結論。

次の前漢の1世紀の時代の方格規矩四神鏡(ほうかくきくししんきょう)には、鏡架(きょうか)という鏡を置く台があり、神社の神鏡と似たデザインとなっている。このように天照大御神、八咫鏡(やたのかがみ)、神鏡、銅鏡、鏡架(きょうか)、鏡は、「一なるもの」を表しているという結論で、そしてこれらも日本書紀もニンギシュジッダ作ということ。


日本庭園

日本書紀には庭園と須弥山(しゅみせん)に関する記事がいくつかみられる。古墳時代の庭園は、古代から仏教世界の中心とされてきた須弥山を表す石の山のまわりに営まれているとされる。600年代前半の推古天皇も宮の南に須弥山と呉橋(くれはし、屋根と欄干”らんかん”付きの橋)のある庭を持っていたこと(日本書紀では「仍りて須弥山の形及び呉橋を南庭に構けと令す」)や、600年代後半の斉明(さいめい)天皇も池の畔(ほとり)に須弥山と呉橋(くれはし)を築いたとされる。こうして日本庭園には、須弥山形式や九山八海(くせんはっかい)を表したものが見られる。この2つは同じもので、どちらも須弥山となる石を中心とし、その周りに8つの山を模した岩が並べられる。

次の山口県の漢陽寺と島根県の万福寺の庭園で、山の頂上の岩が須弥山。その周りに8つの岩が置かれる九山八海(くせんはっかい)。

京都の龍源院(りょうげんいん)の龍吟庭(りょうぎんてい)。真ん中の縦に長い岩が須弥山。

日本書紀はニンギシュジッダ作で、曼荼羅(マンダラ)と同じ構図の須弥山は「一なるもの」を表すという結論だった。つまりニンギシュジッダ由来の日本庭園の須弥山形式や九山八海(くせんはっかい)も、「一なるもの」を表したものという結論。


スメラミコトの意味

日本書紀では欽明(きんめい)天皇のことを、天国排開広庭天皇(あめくにおしはらきひろにわのすめらみこと)という。皇極(こうぎょく)天皇と同一人物の斉明(さいめい)天皇のことは、天豐財重日足姬天皇(あめとよたからいかしひたらしひめのすめらみこと)と呼ぶ。どちらの天皇にも、スメラミコトという名称がついている。日本書紀はニンギシュジッダ由来の作り話で、これにも他国の神話と同じでたくさんの神が登場し、こういった歴史書の神はニンギシュジッダをシンボル的に表したものという結論だった。天皇も現人神(あらひとがみ)であったり、皇室の祖とされる皇祖神(こうそしん)と一体化した存在として認識されている。

スメラミコトのスメラと似た言葉があり、それはヒンドゥー教や仏教に出てくる須弥山(しゅみせん)で、別名スメル山とも呼ばれている。須弥山は「一なるもの」を表すという結論だった。つまりスメラミコトも日本書紀に見られるということもあり、ニンギシュジッダと「一なるもの」を表す名称という結論。ただ由来が仏教やヒンドゥー教にあるのではなく、日本書紀自体がニンギシュジッダ作なので、スメラミコトはスメルから訛(なま)ったものではない。これは各国の神話に類似の物語が見られるように、少し表現を変えたものの一種と考えられる。例えばキリスト、クリシュナ、モーゼ、ビラコチャ、ロームルス、アブラハムなど各地の神話の神が、赤子時代に虐殺者から逃れるため様々な名称の川に流されたが、人物名、川の名前は違っても物語の根幹パターンは類似しているように。 


■752年

奈良の東大寺

奈良県の東大寺でもニンギシュジッダのシンボルが見られる。

人間目線で東大寺の屋根と床に黄金比をあわせた時、3個目にできる小さな黄金比の幅に階段の幅が設計されている。

この東大寺の前の左右の敷地は黄金比の形。
東大寺の転害門(てがいもん)も階段幅も、人間目線で黄金比を2つ重ねた時にできる比率で設計されている。
中門(ちゅうもん)も人間目線で黄金比を2つ重ねた時にできる幅に、階段幅や両端の柱の間隔が設計されている。
東大寺の鬼瓦の黄金比の曲線。下の鬼瓦には額にジグザグ模様のシンボルも見られる。

奈良の大仏。光背(こうはい)、黄金比の渦模様、手のひらを見せるポーズが見られる。この大仏もニンギシュジッダを表すという結論だった。

大仏の頭の渦模様も耳の形も黄金比。

奈良の大仏の隣にある虚空蔵菩薩像(こくうぞうぼさつぞう)。ここにも光背(こうはい)、黄金比の渦模様、手のひらを見せるポーズ。

この虚空蔵菩薩像(こくうぞうぼさつぞう)と中央の大仏の下に多角形の石積みがある。エジプトのメンカウラー王のピラミッドの石積みと同じ。

東大寺の金堂の多聞天像(たもんてんぞう)や広目天像(こうもくてんぞう)にも、黄金比の渦模様が見られる。入り口の両側に立ち、黄金比があり、三叉槍(さんさそう)を持つこの像も、ニンギシュジッダを表す。

大仏殿の前にある金銅八角燈籠(こんどうはっかくとうろう)にも、黄金比が見られる。


奈良の大仏、大日如来、天照大神

鎌倉の大仏は阿弥陀如来(あみだにょらい)で、仏教の五大明王の一角を占める大威徳明王(だいいとくみょうおう)と同一神。金剛杵(こんごうしょ)を持つ。金剛杵(こんごうしょ)はニンギシュジッダであるアイオーンの胸に垂れ下がっている。つまり鎌倉の大仏はニンギシュジッダということであった。

奈良の大仏は毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)と言い、密教では大日如来(だいにちにょらい)と同じ。大日如来の化身の不動明王も金剛杵(こんごうしょ)を持っている。つまり鎌倉も奈良も、どちらの大仏もニンギシュジッダを表すということ。

大日如来(だいにちにょらい)は一切の諸仏菩薩(しょぶつぼさつ)の本体とされ、天照大神(あまてらすおおみかみ)と同一視される。つまりあらゆる仏教の神はニンギシュジッダのことを指す。天照大神は日本神話に登場する神。皇室が神として祭る神で、日本国民が共同で祀る神道の神。神社としては伊勢神宮が有名。つまり天照大神(あまてらすおおみかみ)もニンギシュジッダのことを指し、それを祀っているのが天皇であり、神社にお参りする日本人。

考古学者クラウス・ドナ氏が紀元前1万年以前のエクアドルで発見した像はどちらも足を組んで座り、頭に突起物のついた被り物をしている。左側は口に1匹の蛇をくわえ、右側の被り物の額にはカエルの彫刻が見られる。1匹の蛇もカエルもニンギシュジッダのシンボル。つまり中国の楽山大仏(らくさんだいぶつ)、奈良や鎌倉に見られる大仏の髪型は、このニンギシュジッダの被り物由来のシンボル。
エクアドル出土品

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■759年

奈良県の唐招提寺(とうしょうだいじ)

唐招提寺(とうしょうだいじ)は、鑑真(がんじん)によって創建されるとされる。

唐招提寺の金堂(こんどう)も2つの黄金比の比率。特に屋根の高さと階段幅が。金堂の立面図には黄金比の比率は見られない。

金堂を上から見た平面図は、ちょうど黄金比の形。その黄金比の中にできる3個目と4個目に小さな黄金比のサイズに階段幅が設定されている。この金堂の木組みは複雑な構造になっている。

唐招提寺の鬼瓦の黄金比。

唐招提寺の金堂の柱も、ギリシャのパルテノン神殿と同じエンタシスの柱。

唐招提寺の礼堂(らいどう)の多角形の石積み。
唐招提寺の木造の四天王像。そこにも黄金比の渦模様。
唐招提寺には黄金比、多角形の石積み、エンタシスの柱、鬼瓦など、ニンギシュジッダである聖徳太子が創建した法隆寺と同じシンボルが見られる。唐招提寺の創建は鑑真(がんじん)。つまり日本の仏教の律宗の開祖である鑑真もニンギシュジッダという結論。唐招提寺に安置されている国宝「鑑真和上像(がんじんわじょうぞう)」の台座にも、黄金比の渦模様が描かれている。

万葉集

万葉集は大伴家持(718年頃~785年)により完成した和歌集で、約4500首の歌が収められている。万葉集の巻1、1番には第21代天皇の雄略(ゆうりゃく)天皇の歌が、巻1、28番には第41代天皇の持統(じとう)天皇の歌が収められている。日本書紀も持統(じとう)天皇までが登場し、それは架空の人物という結論だったので、万葉集も作り話でニンギシュジッダによってまとめられたものという結論。


古事記の高天原と国生み

万葉集の撰者(せんじゃ)は太安万侶(おおのやすまろ)で、万葉集、日本書紀、古事記の全部に関わっているとされる。古事記は712年に40代の天武天皇の命令で、太安万侶(おおのやすまろ)がまとめたもので、33代の推古天皇までの話が収められている。つまり太安万侶(おおのやすまろ)は実在せず、古事記もニンギシュジッダによる作り話という結論。

また古事記の上巻には天地開闢(てんちかいびゃく)について、原文で次のように記されている。「天地初發之時。於高天原成神名。天之御中主神。次高御產巢日神。次神產巢日神。」これの現代訳は「天と地が初めて現れた時に、高天原(たかあまはら)に成った神の名は、天之御中主(あめのみなかぬし)の神、次に高御産巣日(たかみむすび)の神、次に神産巣日(かみむすび)の神」。

高天原(たかあまはら)とは、天と地の始めに神々が生まれ出る場所としてその名が登場する。つまり天地が現れた時から存在し、神が生まれ出てくる高天原(たかあまはら)とは「一なるもの」のことで、これも他国の創世神話と同じパターン。こういった側面から古事記も実際にあった話ではなく、ニンギシュジッダによる作り話という結論。

また古事記ではイザナギとイザナミの国生みの記述があり、天の橋に立ち、矛(ほこ)で混沌をかき混ぜ島をつくる。初めに生んだのが淡路島、次に生んだのが四国、三番目に生んだのが隠岐(おき)、そして九州、壱岐(いき)、対馬(つしま)、佐渡(さど)と生み、ついに本州を生む。この八つの島を大八島国(おおやしまぐに)といい、日本国の異称。
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つまり島国日本を作ったのもニンギシュジッダという結論。また日本各地にはダイダラボッチ、オオヒト、アマンチュウなど巨人伝説があり、山、川、湖を作ったこの存在もニンギシュジッダという結論だった。


古事記に見られる西日本の地名

古事記には西日本の地名が数多く登場する。つまり日本という島国を形作り、山や川を作り、地名を名付けたのもニンギシュジッダということ。次の地名は左が古事記での名称。

胸形(むなかた)/福岡県宗像郡(むなかたぐん)
木國(きのくに)、紀國(きのくに)/紀伊の国(和歌山県)、現在でも紀伊半島と呼ばれている
三諸山(みもろやま)/奈良県の三輪山(みわやま)の別名
美濃国(みののくに)/岐阜県南部
御大(みほ)の前(さき)/島根県の美保(みほ)の岬
科野國(しなぬのくに)の州羽(すは)の海/長野県の諏訪湖(すわこ)
五十鈴の宮(いすずのみや)/伊勢神宮の内宮(皇大神宮)の別称
阿邪訶(あざか)/三重県一志郡(いちしぐん)阿坂村(あさかむら)➡︎松阪市
神阿多都比売(かむあたつひめ)/鹿児島県(薩摩国)にあった阿多郡(あたぐん)
筑紫(つくし)/後の筑前と筑後、福岡県の西部と南部
豊(とよ)國の宇佐/大分県宇佐郡宇佐
吉備(きび)/吉備国(きびの