6章 1000年〜1800年

■1010年

インドの双頭の鷲(わし)

ニンギシュジッダのシンボルの双頭の鷲(わし)は、ヒンドゥー神話ではガンダベルンダという名で登場する。1010年に完成したブリハディーシュヴァラ寺院では、ガンダベルンダの絵が見られる。ここもピラミッド型ということもありニンギシュジッダ作。

ラーメーシュワラム寺院では彫刻として見られる。


イランの民族叙事詩のシャー・ナーメ(王書)

1010年に編纂(へんさん)されたイラン最大の民族叙事詩のシャー・ナーメ(王書)には、両肩に2匹の蛇を生やしたザッハーク王が登場する。

また英雄フェリドゥーンは、赤子の時に母と共に、暴君(ぼうくん)ザッハークの虐殺から逃れるためエルブルズ山に行き、母はフェリドゥーンを牛飼いに預けた。つまり2匹の蛇や他神話との類似から、イランのシャー・ナーメ(王書)もニンギシュジッダによる作り話という結論。


■1017年

スリランカのポロンナルワの遺跡群

ポロンナルワにも多角形の石積み、獅子像、岸壁をくり抜いた中の仏像が見られる。


■1029年

グルジアのスブティツコベリ大聖堂

スブティツコベリ大聖堂の多角形の石積み、十字、黄金比。

スブティツコベリ大聖堂の立面図や平面図の黄金比。

スブティツコベリ大聖堂のフレスコ画のキリストの磔刑(たっけい)。十字架の左右に、クラゲのような物体が描かれ、中に人の顔。キリストの磔刑の絵は、フリーメイソンのトレーシングボードと同じく、ニンギシュジッダのシンボル図という結論だった。

■1053年

京都の平等院

平等院(びょうどういん)鳳凰堂(ほうおうどう)も立面図では黄金比にならないが、人間目線で見れば黄金比になる。鳳凰もニンギシュジッダという結論だった。

鳳凰堂の中堂(ちゅうどう)の入り口も黄金比でできている。

鳳凰堂の阿弥陀如来坐像(あみだにょらいざぞう)の黄金比の渦模様。また、光背も描かれている。

鳳凰堂の阿弥陀如来坐像(あみだにょらいざぞう)の周囲の壁には、52体の雲中供養菩薩像(うんちゅうくようぼさつぞう)が飾られ、雲部分の渦模様が黄金比になっている。つまりこれらもニンギシュジッダ作。


■1100年代

カンボジアのアンコール・ワット

アンコール・ワットにも、多角形の石積み、獅子(ライオン)像、黄金比が見られる。


■1121年

イランのジャーメ・モスクの黄金比

ジャーメ・モスクにも黄金比が見られる。イスラム教もニンギシュジッダ作という結論だった。

ジャーメ・モスクの中央の広場は黄金比を2つ並べた大きさ。中央の道幅も黄金比の比率。

イーワーンも黄金比の比率。

イスラム教のシンボルマークには三日月も見られる。
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■1200年頃

沖縄県の勝連城

勝連城(かつれんじょう)の多角形の石積み。


ゴシック建築の大聖堂

ドイツのケルン大聖堂は高さ157m。エジプトのピラミッドは高さ146.6m。

このゴシック様式以前のロマネスク様式は壁が厚く、そのため聖堂内は真っ暗だった。この方法でしか高い建物は作れなかった。

しかしゴシック建築は薄い壁、薄いステンドグラスが建物を支えている。通常なら薄い壁はその重さに耐えられない。

この薄い壁を支える技術が、上部が尖(とが)った尖塔(せんとう)アーチと飛び梁(はり)。尖塔アーチが上部からの重さを左右に分散し、それを建物横の飛び梁が支える。この尖塔アーチはインドのクトゥブ・ミナールやタージ・マハルにも見られ、どちらにも多角形の石積みがある。つまりニンギシュジッダ由来の技術。

ヨーロッパ全土にゴシック建築の大聖堂が建設された。それらに飛び梁があり、大聖堂自体が十字架の形をしている。つまり大聖堂を建てたのもニンギシュジッダ。

十字もニンギシュジッダのシンボル。


インドのクトゥブ・ミナール

クトゥブ・ミナールにも、多角形の石積み、16花弁の紋章、尖塔(せんとう)アーチが見られる。

クトゥブ・ミナールの細かな装飾。4907a-225e3258225af25e32583258825e3258225a525e32583259525e32582259925e3258325bb25e32583259f25e32583258a25e3258325bc25e3258325ab25e3258125ae25e3258225a225e3258325

イルトゥトゥミシュの廟(びょう)の多角形の石積み、16花弁の紋章、尖塔(せんとう)アーチ。

クトゥブ・ミナール内の「錆びないデリーの鉄柱」は、古代インドの商業都市の毘舎離(びしゃり)にある獅子像が乗った石柱と同じデザイン。そしてクトゥブ・ミナールの敷地内にあることから、この錆びない鉄柱もニンギシュジッダ作。


南米のクスコ王国

クスコ王国はインカ帝国より引き継がれた。インカ神話の創造神ビラコチャはニンギシュジッダという結論だった。ここにも多角形の石積みがある。

■1202年

三重県の新大仏寺

三重県の新大仏寺にも多角形の石積み、黄金比が見られる。

大仏の体部は江戸時代の補作で、頭部は仏師の快慶(かいけい)の作とされる。

大仏の石造基壇(きだん)は造像当時のもので、多角形の石積みが見られる。

大仏殿の裏手にある岩屋不動は岩をくり抜いた場所に立っている。

新大仏寺に祀られている不動の顔の頭部にも、黄金比の渦模様が見られる。

この新大仏寺は、重源(ちょうげん)が創建されたと伝えられる。重源(ちょうげん)は鎌倉時代に東大寺大仏と大仏殿の復興事業を指揮した僧として知られる。つまり重源(ちょうげん)もニンギシュジッダということ。
重源

■1215年頃

アルメニア共和国のゲガルド修道院

ゲガルド修道院にも多角形の石積みがある。

ゲガルド修道院の門のアーチは、奈良県のキトラ古墳の石室の石組みと同じ。キトラ古墳もニンギシュジッダ作だった。
ニンギシュジッダのシンボルの十字架もたくさん彫られている。
フラワーオブライフの彫り込み。これもタニトと共に見られるニンギシュジッダのシンボル。十字架も見られる。

■1225年

フランスのノートルダム大聖堂

ノートルダム大聖堂(アミアン大聖堂)はゴシック建築を代表する建物。ここにも多角形の石積みが見られる。


■1238年

スペインのアルハンブラ宮殿

アルハンブラ宮殿にもニンギシュジッダのシンボルが見られる。。

アラヤネスの中庭のアーチ周辺の装飾には、コーランの章句が彫られている。

このコーランの章句のデザインパターンは、インドのタージ・マハルやクトゥブ・ミナールにも見られる。この2か所はニンギシュジッダが建造した場所だった。

カルロス5世宮殿の多角形の石積み。

カルロス5世宮殿の壁の黄金比の渦巻き模様。


■1248年

ゴシック建築のケルン大聖堂

ドイツのケルン大聖堂にも、多角形の石積み、黄金比の渦模様が見られる。


■1252年

神奈川県の鎌倉の大仏

鎌倉の大仏にも、多角形の石積み、黄金比がある。この大仏は阿弥陀如来(あみだにょらい)で、ニンギシュジッダという結論だった。

大仏の背面側の台座の多角形の石積み。同じパターンはエジプトのメンカウラー王のピラミッドにも見られる。

大仏の頭の渦模様も黄金比。これは中国の楽山大仏(らくさんだいぶつ)と同じ。

大仏の耳の形も黄金比。

大仏の台座は八角形。八芒星はメソポタミアにも見られた。


■1300年頃

中国の紫禁城(しきんじょう)

紫禁城(しきんじょう)は、中国の歴代王朝の明(みん)の1368年から、清(しん)の1912年までの旧王宮。

紫禁城の敷地は2つの黄金比の大きさ。黄金比を縦横に並べたときに現れる線の位置に、建物や橋が配置されている。

正面から見た太和殿(たいわでん)に2つの黄金比を配置すると、前方にある階段の幅と位置が黄金比の比率の位置になる。

多角形の石積みも見られる。

階段の壁や手すりの黄金比の渦模様。

太和門の両側にいる獅子像。その髪の渦模様も黄金比。渦模様の中に、さらに細かい線が見られる。これは手作業ではなく、3Dプリンタのような科学技術で作られたと考えられる。

紫禁城の獅子像は前足で球体を掴んでいる。球体は宇宙卵(うちゅうらん)を表す。

この球体の模様はフラワーオブライフという模様。これは紀元前645年のイラクのアッシュールバニパルの神殿や、エジプトのオシリス神殿でも見られる。

このフラワーオブライフの一部分の6枚花びらの模様も、タニトと共に見られる。つまりフラワーオブライフもニンギシュジッダのシンボル。

 

紫禁城内の亀の像やその他の建物にも、黄金比の渦模様が彫刻されている。亀もニンギシュジッダのシンボル。

紫禁城を作ったのもニンギシュジッダで、ここまで中国の歴史はずっとニンギシュジッダによるものという結論。

中国神話の竜とはニンギシュジッダのこと

各国の虹蛇はニンギシュジッダを表すという結論だった。それはオーストラリアのアボリジニ、フィジー諸島、西アフリカで見られ、雷雲、雨が象徴。虹は古代中国では竜の化身とされた。虹の虫偏(むしへん)は本来、爬虫類を意味する漢字。虫偏を使った竜には、蛟(みずち)、蛟龍(こうりゅう)、虹蜺(こうげい)などがある。虹蜺(こうげい)は、雄(おす)を虹、雌(めす)を蜺(げい)と呼び、雌雄の蛇、又は竜とした。つまり虹、蛇、竜はニンギシュジッダのこと。

ニンギシュジッダであるインド神話の蛇神ナーガも仏教では竜となり、アステカ神話のケツァルコアトルも空飛ぶ蛇で竜。これはヨーロッパでドラゴンにもつながる。

中国神話には無数の竜が存在する。帝王である黄帝(こうてい)の竜を応竜(おうりゅう)という。応竜は水を蓄えて雨を降らせる能力がある。つまりニンギシュジッダの雷雲と雨と同一。

中国の短編小説集の述異記(じゅついき)には、「泥水で育った蝮(まむし)は五百年にして蛟(みずち”雨竜”)となり、蛟(みずち)は千年にして竜(成竜”せいりゅう”)となり、竜は五百年にして角竜(かくりゅう)となり、角竜は千年にして応竜(おうりゅう)になり、年老いた応竜は黄竜(こうりゅう)と呼ばれる」とある。つまり黄竜と応竜は同じで、どちらもニンギシュジッダ。

黄竜は皇帝の権威を象徴する竜とされたが、後に麒麟(きりん)と置き換えられたり、同一視された。

紫禁城の慈寧門前に二体の麒麟(きりん)が置かれている。ニンギシュジッダである黄竜(こうりゅう)と同一視される麒麟(きりん)が慈寧門前に二体並んでいるということは、ニンギシュジッダが二体いるということ。日本の神社で言えば、二体の獅子像である狛犬(こまいぬ)と同じ。そして紫禁城の太和殿にある獅子像も、当然ニンギシュジッダのこと。


インド、中国、日本の竜

ナーガラージャはインドにおける蛇神(じゃしん)の諸王で、仏教では八大竜王をはじめ様々な竜神として取り入れられた。難陀(ナンダ)、跋難陀(ウパナンダ)、娑伽羅(サーガラ)、和修吉(ヴァースキ)、徳叉迦(タクシャカ)、阿那婆達多(アナヴァタプタ)、摩那斯(マナスヴィン)、優鉢羅(ウッパラカ)といった八大竜王はナーガラージャのこと。

ナーガラージャは下半身が蛇で上半身が人間として描かれていて、それが二体絡まっている。中国の伏羲(ふっき)と女媧(じょか)と同じデザイン。つまりナーガラージャと八大竜王は全てニンギシュジッダを表す。

中国の四海竜王は竜の姿で、海を統治し、雲と雨を操り、竜宮城(りゅうぐうじょう)でエビやカニたちに守られている。つまり日本人が知っている浦島太郎の物語に出てくる竜宮城とは、ニンギシュジッダの住処(すみか)ということ。浦島太郎が乗る亀もニンギシュジッダのシンボルで、サバジオスの手に見られる。

日本各地には八大龍王の神社があり、雨乞いの神様として祀られている。つまりニンギシュジッダを祀っている。例えば、宮崎県の八大竜王水神社や、埼玉県の秩父今宮神社(ちちぶいまみやじんじゃ)は八大龍王宮(はちだいりゅうおうぐう)とも称される。

八大竜王の和修吉(ヴァースキ)は日本へ伝来後、九頭龍大神(くずりゅうおおかみ)となった。密教において九頭竜は雨乞いをつかさどる神で、雷雲の象徴のニンギシュジッダと同一。九頭竜(くずりゅう)信仰は、神社、霊泉、霊水、水神など水にまつわる話が多い。長野県の戸隠山(とがくしやま)の九頭龍(くずりゅう)信仰の源は、戸隠神社の九頭龍大神。神奈川県の箱根には九頭龍神社がある。

石川県、福井県、岐阜県の白山信仰(はくさんしんこう)で、白山開山の起源は十一面観音の化身である九頭竜王が泰澄(たいちょう)の前に現れたことによる。次の画像の両白山地(りょうはくさんち)は、岐阜県、富山県、石川県、福井県及び滋賀県にまたがる山域。

両白山地

室堂から望む白山奥宮と御前峰。

室堂から望む白山奥宮と御前峰

白山(はくさん)は水源とする九頭竜川(くずりゅうがわ)、手取川(てどりがわ)、長良川(ながらがわ)流域を中心に崇められていた。つまり白山信仰はニンギシュジッダを崇めている。

日本神話のヤマタノオロチ(八岐大蛇)もニンギシュジッダのこと。これは8つの頭と8本の尾を持った巨大な怪物で、本来は山神または水神であり、八岐大蛇を祀る民間信仰もある。つまり八大竜王であるニンギシュジッダとつながり、水神であることも共通点。

また、日本武尊(ヤマトタケル)が帯びた剣は草薙剣(くさなぎのつるぎ)といわれる。出雲でスサノオ尊(みこと)がヤマタノオロチを倒した際にその尾から出てきたもので、天照大神(あまてらすおおみかみ)に献上され、天孫降臨(てんそんこうりん)に伴い三種の神器の一つとして、再び地上に戻ってきたもの。天照大神(あまてらすおおみかみ)はニンギシュジッダという結論だったが、スサノオ含めこの両者は、これもニンギシュジッダという結論だったイザナギ、イザナミから生まれた。つまり日本神話すべてがニンギシュジッダを表したもの。

三種の神器には鏡・玉・剣があり、日本の歴代天皇が継承してきた三種の宝物のこととされている。つまり天皇の三種の神器の一つは、ヤマタノオロチであるニンギシュジッダからのものと解釈できるが、実在すればという話。


このようにインド、中国、日本でニンギシュジッダは、様々な竜として崇められている。


 雅楽(ががく)の竜

舞楽面(ぶがくめん)は天狗、烏天狗(からすてんぐ)、アイオーンとつながり、ニンギシュジッダを表すという結論だった。

雅楽(ががく)の曲目の陵王(りょうおう)の装束(しょうぞく)には、胸と腰に丸く竜の刺繍(ししゅう)がされている。つまり、この舞楽面(ぶがくめん)と装束(しょうぞく)もニンギシュジッダを表している。


竜、9、皇帝の権力、四神、烏龍茶

数字の9は中国で天の数。中国の九龍壁(きゅうりゅうへき)は、異なる9つの竜が描写された壁。
紫禁城の九龍壁

9は皇帝の数で、最高位の官吏(かんり)が9つの竜がある上着を着た。1735年から1796年の清の第6代皇帝の乾隆帝(けんりゅうてい)も竜の服を着ていた。竜は清の国旗にも使用された。

また中国神話に四神(しじん)がいる。東の青龍(せいりゅう)・北の玄武(げんぶ)・南の朱雀(すざく)・西の白虎(びゃっこ)。この青龍もニンギシュジッダということ。玄武(げんぶ)は亀と蛇なので、これもニンギシュジッダの象徴。亀と蛇はサバジオスの手にも見られる。

朱雀(すざく)は奈良県の平城京の朱雀門に黄金比のシンボルが見られることから、ニンギシュジッダを表す。

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白狐(びゃっこ)もニンギシュジッダ。中国では青龍と白虎を一対と捉えていた。風水でも外から玄関に入ったとき、右側を青龍の方向、左を白虎の方向とする。入り口の左右に配置する構図は狛犬などと同じで、ニンギシュジッダのシンボルだった。この配置は京都の平安神宮の手水舎(ちょうずや)にも見られる。

またニンギシュジッダである伏犠(ふっき)が生みの親の易経(えききょう)に、「雲従竜風従虎」という言葉が出てくる。この読み方は「雲は竜に従い、風は虎に従う」で、意味は「竜が雲を従え、虎が風を従えるように、天子に徳があれば、必ず賢臣が現れ、互いの能力を発揮できる」というもの。竜はニンギシュジッダだった。南米のアステカ神話のケツァルコアトルも風の神。こういったことから、白虎もニンギシュジッダという結論。つまり四神は全てニンギシュジッダを表す。四神は奈良県のキトラ古墳の壁画や平城京でも見られた。

日本人にも馴染みのある烏龍茶(ウーロンちゃ)の祖は、鳳凰山周辺で生産された鳳凰單欉(ほうおうたんそう)と言われている。鳳凰(ほうおう)も平城京の鬼瓦に見られ、そこに黄金比のシンボルが見られた。烏(からす)という字も、烏天狗はアイオーン由来だった。烏龍茶には龍の字も使われていることから、ニンギシュジッダ山のニンギシュジッダ茶という意味になる。

このように中国の文学や神話では多くの竜が語られ、100以上の竜が登場するが、全てニンギシュジッダという結論。中国文明はニンギシュジッダが生みの親。日本の竜もまた同じ。


中国の古代の竜

竜はニンギシュジッダという結論で、紀元前5000年頃の土器に描かれた龍もニンギシュジッダ由来とわかる。ここの鹿、猪(いのしし)、鳥の頭を持った龍も、ニンギシュジッダのシンボル。
趙宝溝文化の龍

紀元前4400年頃の西水坡遺跡(せいすいはいせき)の、龍虎(りゅうこ)のレリーフ。四神に見られたこの龍と虎もニンギシュジッダのシンボルということ。

紀元前4700年頃から紀元前2900年頃の紅山(こうさん)文化の、竜を象った玉竜。これもニンギシュジッダを表す物という結論。中国では紀元前6000年頃に胸を触るニンギシュジッダの女神像が出土していたが、その時よりニンギシュジッダが中国の人々に文明を与えていた。


中国の三皇五帝

三皇について

中国で紀元前1900年頃からの夏(か)王朝より以前に存在した三皇五帝(さんこうごてい)の神話がある。三皇は神、五帝は聖人としての性格を持つとされ、理想の君主とされた。三皇については諸説あるが、以下のような5説がよく知られている。

①伏羲・神農・女媧
②伏羲・神農・燧人(すいじん)
③伏羲・神農・祝融(しゅくゆう)
④伏羲・神農・黄帝
⑤天皇・地皇・人皇(泰皇)

①春秋緯運斗枢
②礼緯含文嘉
③後漢(ごかん)・班固(はんこ)『白虎通(びゃっこつうぎ)』号篇
④西晋(せいしん)・皇甫謐(こうほひつ)『帝王世紀』
⑤前漢・司馬遷(しばせん)『史記』秦始皇本紀

伏羲(ふっき)と女媧(じょか)は二匹の蛇なので、ニンギシュジッダを表すという結論だった。

神農(しんのう)は紀元前200年頃の漢代に五行説が流行するとともに、南の方角を示す炎帝(えんてい)と同一視されるようになる。五行説の南には、火、紅(赤)、朱雀(すざく)が要素としてあるのでニンギシュジッダになる。また神農は、人々に医療と農耕の術を教えた医薬と農業を司る神ともされている。ギリシャ神話のアスクレピオスは医神で、手に持つ杖は1匹の蛇が絡まったアスクレピオスの杖。これもニンギシュジッダという結論だった。つまり神農(しんのう)と炎帝(えんてい)はニンギシュジッダ。

燧人(すいじん)は火打石で火を得て、食物を調理することを人々に教えたとある。五行説の火で判断すればニンギシュジッダ。

祝融(しゅくゆう)は中国神話の火の神で、南の神でもあり、その姿は獣面人身とされている。五行説の火と南の神なのでニンギシュジッダ。

黄帝(こうてい)と伏羲(ふっき)は龍体を持つと言われているので、黄帝(こうてい)もニンギシュジッダとなる。

1607年の三才図会(さんさいずえ)の想像図で、天皇(てんこう)は人間で、体は魚の鱗(うろこ)のよう。地皇(ちこう)は手は鳥、人皇(じんこう)は画像がないが蛇として描かれるとされている。魚、鳥、蛇はニンギシュジッダのシンボルなので、この3人もニンギシュジッダと考えられる。

こういったことからもう一度、三皇にアヌンナキを当てはめてみると、次のようになる。
①伏羲(ニンギシュジッダ)・神農(ニンギシュジッダ)・女媧(ニンギシュジッダ)
②伏羲(ニンギシュジッダ)・神農(ニンギシュジッダ)・燧人(ニンギシュジッダ)
③伏羲(ニンギシュジッダ)・神農(ニンギシュジッダ)・祝融(ニンギシュジッダ)
④伏羲(ニンギシュジッダ)・神農(ニンギシュジッダ)・黄帝(ニンギシュジッダ)
⑤天皇(ニンギシュジッダ)・地皇(ニンギシュジッダ)・人皇(ニンギシュジッダ)

①春秋緯運斗枢
②礼緯含文嘉
③後漢(ごかん)・班固(はんこ)『白虎通(びゃっこつうぎ)』号篇
④西晋(せいしん)・皇甫謐(こうほひつ)『帝王世紀』
⑤前漢・司馬遷(しばせん)『史記』秦始皇本紀

五帝について

三皇五帝(さんこうごてい)のうち、誰をもって五帝となすかは下の表に示してあるように様々であり、その話の内容に付いても様々な前後矛盾がある。しかしこれらの多くがニンギシュジッダという結論。

伏羲
ニンギシュジッダ
神農
ニンギシュジッダ
太昊
ニンギシュジッダ
炎帝
ニンギシュジッダ
黄帝
ニンギシュジッダ
少昊
ニンギシュジッダ
顓頊
不明

不明

不明

不明

ニンギシュジッダ

不明
出典
1 2 3 4 5
大載礼記・史記
1 2 3 4 5
戦国策・易経
1 2 3 4 5
礼記・淮南子
1 2 3 4 5
世経
1 2 3 4 5
三統経
1 2 3 4 5
資治通鑑外記

表の左から順に見ると、伏羲(ふっき)も神農もニンギシュジッダだった。太昊(たいこう)は伏羲(ふっき)とも呼ばれるのでニンギシュジッダ。炎帝(えんてい)は神農(しんのう)と同一なのでニンギシュジッダ。黄帝(おうてい)は龍体を持つのでニンギシュジッダ。少昊(しょうこう)は鳳鳥(ほうおう)氏とも称されるのでニンギシュジッダ。顓頊(せんぎょく)、嚳(こく)、堯(ぎょう)、舜(しゅん)は不明。禹(う)も竜の象形文字なのでニンギシュジッダという結論。湯(とう)は不明。

このように、古代中国の神話伝説時代の8人の帝王とは、ほとんどがニンギシュジッダのことを指す。


風神、雷神、イザナギ、イザナミ

雷も風もニンギシュジッダのシンボルだった。つまり日本神話の風神(ふうじん)、雷神(らいじん)はニンギシュジッダ。
風神雷神図(建仁寺蔵)

京都の三十三間堂(1165年創建)の木造の風神・雷神像は鎌倉時代の作で国宝。

雷鳴を神鳴(かみな)りと言うが、雷を神(ニンギシュジッダ)の力とされた。稲妻(いなずま)の字の通り、雷は稲と関連づけられている。雷は田に水を与え天に帰る神。雷は漢字で「雨」と「田」と書き、関連性が見られる。つまり雷とはニンギシュジッダを表す文字であり、こういった深い意味がある漢字も、ニンギシュジッダが作り出したということ。

雷神は古事記の中でも見られる。イザナミが火の神であるカグツチを産んだことで陰部に火傷を負い、亡くなる。イザナギは、イザナミを追って黄泉国(よみのくに=死後の世界)まで逢いに行く。そこで「覗いてはいけない」と言ったイザナミとの約束を破り見てしまう。するとイザナミは腐敗して蛆(うじ)がわき、八雷神(やくさのいかづちがみ)である火雷大神(ほのいかづちのおおかみ)に囲まれていた。その姿に恐れ、イザナギは地上へ逃げ出した。地上に戻ったイザナギは黄泉国の穢れを落とすために禊を行なうと、様々な神が生まれた。最後に、左眼からアマテラス(天照大神)、右眼からツクヨミ(月夜見尊月読命)、鼻からスサノオ(建素戔嗚尊速)の三貴子が生まれた。イザナギはそれぞれ高天原・夜・海原の統治を委任した。

つまりイザナミに雷神である火雷大神(ほのいかづちのおおかみ)が生じていたということは、イザナミはニンギシュジッダということになる。また火雷大神(ほのいかづちのおおかみ)は雷神、水の神、雨乞(あまご)い、稲作の守護神なので、これもニンギシュジッダのシンボルと共通する。また中国の伏犠(ふっき)と女媧(じょか)、インドのナーガラージャは男女で一対だが、イザナミとイザナギもともに生まれた。イザナギが死後の世界である黄泉国(よみのくに)に行って帰ってくる「死と再生」の話も、ニンギシュジッダであるオシリス、ヒラム・アビフ、バアル、ペルセポネ、ケツァルコアトルとショロトル、キリストでも見られた。そしてイザナギ、イザナミは日本列島を生み、山・海など森羅万象の神々を生んだが、万物に神が宿るアニミズムの思想もニンギシュジッダ由来という結論だった。つまりイザナギ、イザナミはニンギシュジッダを表す。そこから生まれた天照大神も大日如来と同一しされるのでニンギシュジッダ。つまり日本神話もニンギシュジッダが主神で、日本書紀や古事記もニンギシュジッダが創作したという結論。


アイオーン、天狗、烏天狗、ガルダ、雷公、迦楼羅天、雷神の共通点

風神は日本以外でも見られる。
・左、ギリシャの風神、ガンダーラ美術、ハッダ、100年代
・中、中国のキジル石窟の風神、タリム盆地、600年代
・右、日本の風神、1600年代
WindGods

北西インドで風袋を掲げる風神を描いたコインが作られている。左の人物はカニシカ王、右が風神と周囲はマント。

中国の莫高窟(ばっこうくつ)の壁画では、右上に風袋を掲げた風神、左上にリング状に太鼓を並べた雷神の姿形が見える。岩山をくり抜いた莫高窟(ばっこうくつ)もニンギシュジッダ作。

中国では雷神を雷公(らいこう)、雷師、雷祖などとも呼ばれ、羽やクチバシがある。下の画像の雷公は片手にハンマーを持っている。ニンギシュジッダであるアイオーンもハンマーのシンボルが足元に描かれている。

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ニンギシュジッダのシンボルで表されたフリーメイソンのトレーシングボードでも、ハンマーが見られる。

1542年の明(みん)の時代に描かれた雷公の左手には、デザイン的には少し異なるがメソポタミアやジーロフト文化で見られるようなハンドバックを持っている。つまり雷神=雷公=ニンギシュジッダ=ハンドバックというシンボルでつながる。

羽やクチバシがある雷公は、烏天狗(からすてんぐ)と似ている。烏天狗、インドのガルダ、仏教の迦楼羅天(かるらてん)はアイオーンという結論だった。つまりアイオーン、天狗、烏天狗(からすてんぐ)、ガルダ、迦楼羅天(かるらてん)、雷公、雷神はすべてニンギシュジッダを表している。
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中国の洪水伝説では、雷公が洪水を起こして攻めたために伏羲(ふっき)と女媧(じょか)の兄弟2人を残して人類は滅亡したとある。兄妹は雷公を助けた時に彼からもらった種を植えて、そこから生った巨大な瓢箪(ひょうたん)の中に避難して助かり、その後、陸地に降り立った2人は結婚した。

類似の洪水伝説は旧約聖書のノアの箱舟など世界中で見られ、そこに見られる神は全てニンギシュジッダという結論だった。


■1386年

イタリアのミラノ大聖堂

ミラノ大聖堂にも多角形の石積み、黄金比が見られる。


■1429年

琉球王国成立と首里城

尚巴志(しょうはし)が琉球王国を成立させ、首里城を王家の居城とした。首里城の正殿も人間目線で黄金比の比率に設計されている。また多角形の石積みも見られる。

首里城に見られる石垣は復元されたものもあるが、多角形の石積みが見られる。
琉球神話の創生神アマミキヨや、その他の呼び名のアマミク、アマミコ、アマンチュなどはニンギシュジッダのことを指している。はるか昔、天から下界に降りてきたアマミキヨは太陽神に命じられ、何もなかった大海原に島を生み、ウタキをこしらえ、人を作り、五穀と稲をもたらし、そうして人々の世を作り上げたとされる。稲妻、雷、稲、雨、田もニンギシュジッダを表す。
琉球王国は1429年から1879年の450年間、琉球諸島を中心に存在した。つまり国王の居城の首里城を建てたニンギシュジッダより沖縄統治を任されたのが、初代の琉球国王の尚巴志(しょうはし)辺りの王で、そこから最後の琉球国王の尚泰王(しょうたいおう)まで続いたということになる。


■1438年

マチュ・ピチュ

マチュ・ピチュはインカ帝国の遺跡で標高2430mにある。ここにも多角形の石積みが見られる。

インカ帝国(クスコ、マチュピチュ、サクサイワマン、マルカワシ高原など)の国旗も、2匹の蛇の絵柄となっている。つまりニンギシュジッダを表している。


■1475年

イングランドのウィンザー城内の聖ジョージ礼拝堂

聖ジョージ礼拝堂にも黄金比、尖塔(せんとう)アーチが見られる。

聖ジョージ礼拝堂もゴシック建築。平面図には黄金比の比率も見られる。
聖ジョージ礼拝堂はイギリス王室のウィンザー城の場内にあり、イングランドの都市ウィンザーに位置する。ウィンザー城は、女王エリザベス2世が週末に過ごす場所でもある。

■1536年

南米ペルーのオリャンタイタンボ遺跡

ペルーのオリャンタイタンボ遺跡にも、多角形の石積みがある。


■1546年

金沢城

金沢城にも多角形の石積み、黄金比が見られる。

巨石の石垣。

■1557年

トルコのスレイマニエ・モスク

スレイマニエ・モスクにも、黄金比、多角形の石積みが見られる。


■1583年

大坂城

大坂城は豊臣秀吉によって1583年に築城されたとされる。

1583年の豊臣秀吉の大坂城と、1626年頃の徳川家康による大坂城にも黄金比の比率を見ることができる。これらは少なくとも2つの大きさの黄金比が組み合わされて設計されている。

この大坂城には2種類の石積みが見られる。

大坂城の石垣の中でも比較的新しい白っぽい石は、形はそのままに現代に入り修復された部分。多角形の石積みが見られる。

桜門枡形の蛸石(さくらもんますがた のたこいし)は大坂城内第1位の巨石で、重量は約130トンと推定されている。

1 約130トン 桜門枡形の蛸石
2 約120トン 京橋門枡形の肥後石
3 約120トン 桜門枡形の振袖石


■1591年

インドのチャール・ミナール

4つの光塔をもつチャール・ミナールも黄金比、尖頭(せんとう)アーチがある。


■1609年

名古屋城

名古屋城にも黄金比の比率が見られる。


■1626年

バチカンのサン・ピエトロ大聖堂

1626年にバチカン市国にあるカトリック教会の総本山、サン・ピエトロ大聖堂が完成する。このデザイン的要素もサバジオスの浮き彫りと同じで、三角屋根と柱。

バチカン美術館の松ぼっくりのシンボル。左右には孔雀(くじゃく)。中国の紫禁城には鳳凰(ほうおう)がいるが、鳳凰の尾は孔雀。さらにその下の左右にはライオンがいる。キリストもニンギシュジッダという結論だった。つまりこれら全てはニンギシュジッダのシンボルでつながっている。

バチカン美術館の1932年に作られた二重らせん階段。上りと下りの専用になっている。これに渦模様も加わり、ニンギシュジッダのシンボルと共通する。


■1627年

江戸城

江戸城にも黄金比、隙間なく密着して積まれた巨石、多角形の石積みが見られる。

江戸城内には石室もあり、そこでも多角形の石積みが見られる。

またニンギシュジッダのシンボルのH型(2つのT字)の締め金も、江戸城の中之門で見られる。

ギョベクリ・テペの石柱の上部右端のハンドバックの右下の「H」を横にした図柄。


■1640年

パキスタンのマクリの丘

マクリの丘の遺跡にも、黄金比や多角形の石積みが見られる。

ジャム・ニザムディン廟(びょう)の細かな彫刻。

■1648年

フランスの代用貨幣(だいようかへい)の宇宙船

1648年〜1680年のフランスの代用貨幣(だいようかへい)に、宇宙船の絵が見られる。フランスでの代用貨幣は民間企業、団体あるいは個人により発行される場合と、地方銀行が発行する場合があった。この代用貨幣の宇宙船の下部の花弁模様の数がそれぞれ異なることから、3種類の宇宙船を見ることができる。

この代用貨幣の宇宙船の中心からは、尖ったものが少し出ている。これは1523年頃のシギショアラの教会の壁に描かれた宇宙船と似たデザイン。

この宇宙船の絵を盾(たて)を描いたものとする意見もあるが、この代用貨幣にもニンギシュジッダの共通点を見ることができる。次の画像の代用貨幣の宇宙船の花弁模様は16枚となっている。裏側にはシュメールの円筒印章の生命の樹を思わせる植物が描かれている。その上の雨雲と雨もニンギシュジッダのシンボル。


■1653年

インドのタージ・マハル

タージ・マハルにも黄金比と渦模様、多角形の石積み、尖塔(せんとう)アーチが見られる。また壁にコーランの章句が刻まれていることが、ニンギシュジッダが作ったクトゥブ・ミナールのデザインと同じ。

タージ・マハルを正面から見た場合、黄金比の比率でデザインされている。

タージ・マハルのメインの敷地は3つの黄金比を並べた大きさとなっており、建物や道は黄金比の比率を取り入れた配置となっている。

ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンの皇妃(こうひ)ムムターズ・マハル(1595年〜1631年)の肖像画にも黄金比の模様が見られ、8芒星のシンボルも描かれている。つまりムムターズ・マハルもニンギシュジッダということ。

この皇妃(こうひ)ムムターズ・マハルの夫で、ムガル帝国の第5代君主シャー・ジャハーンの絵には光背が見られる。つまりシャー・ジャハーンもニンギシュジッダで、これらの歴史は作り話という結論。


■1673年

パキスタンのバードシャーヒー・モスク

バードシャーヒー・モスクは、ムガル帝国の第6代君主アウラングゼーブの命によってラホールに建設されたモスク。この敷地にも黄金比の比率が見られる。

この時代以降、黄金比、多角形の石積みなど、ニンギシュジッダのシンボルのある建築物は見られなくなる。

■1717年頃

ロンドン・グランド・ロッジの設立

フリーメーソンは長い地下組織の歴史に終止符を打ち、近代フリーメイソンの歴史が始まる。


フリーメイソンのロッジ

世界中にあるフリーメイソンのメソニック・ロッジのデザインはニンギシュジッダ由来。三角屋根と柱のサバジオスの浮き彫りと同じ。


イスラエルのフリーメイソンの紋章

イスラエルのフリーメイソン・グランドロッジの、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教、フリーメイソンが合わさった特殊な紋章。直角定規とコンパス、六芒星、三日月、十字架は全てニンギシュジッダのシンボル。
グランドロッジ


■1776年頃

産業革命が起こる

イギリスの発明家ジェームズ・ワットが蒸気機関を改良し、能力を大幅に増大させた。それが革命的な動力源となる。その後、工場制機械工業の成立、蒸気船や鉄道に使用され交通革命も起こる。


■あとがき

ここまで黄金比や多角形の石積みなど、物的証拠とともにニンギシュジッダの足取りを追ってきた。すると古代から1700年頃まで、地球外生命体ニンギシュジッダは地球の全ての大陸にいた。


【地球人のルーツ】
Kubota Hiloyuki (著) www.kubotahiloyuki.com