3章 紀元前1万年頃〜紀元前2000年頃

 

■紀元前1万500年

エジプトのピラミッド建造

「シュメール神話の粘土板要約」
アヌンナキはアメリカ大陸の金をニビルへ運ぶため、天の戦車場の建設を新たに計画する。エンリルは空から中東付近の距離を測定し、着陸場、戦車場、この2つの中心に宇宙管制センターを作り、道を示す山をモリヤ山と名付けた。宇宙船の離発着の境界線を決めるため、北はアララト山の双子山に決定した。
左が小アララト山、右が大アララト山

さらにもう2つ必要だとエンリルは述べた。1つはシナイ半島にある双子の山に南の境界線を設定した。もう1つの双子山が必要とされる場所には何も無かったので、ニンギシュジッダが人工的な双子山を作ることを提案した。それがエジプトのクフ王とカフラー王の2つのピラミッドで、アヌンナキの(多角形の石積みを作れる)道具で石を切って建造された。ピラミッドの冠石は金と銀の合金エレクトラムでできていた。このピラミッドは天への信号灯で、南米の金をニビルへ運ぶための施設だった。エンキはエンリルに提案した。将来、この素晴らしいピラミッドを誰がいつ作ったのか疑問が起こる可能性があるので、この横に記念碑(スフィンクス)を作ろうと。獅子の時代を宣言し、その顔はピラミッドの設計者であるニンギシュジッダの似姿にしようと提案し、エンリルはそれに同意した。


ニンギシュジッダの顔とスフィンクス

ピラミッドの記念碑として建てられたライオンの顔のスフィンクスは当初、ニンギシュジッダの顔とされている。それは古代ローマ帝国の時代にアイオーンという名の像で残され、頭部が獅子で、人間(男性)の身体を持ち、蛇を全身に巻き付けている。足元に2匹の蛇が絡まった絵が刻まれているが、これがニンギシュジッダを象徴する絵。


オリオン座の並びピラミッドの建造年代は紀元前1万500年

エジプトの三大ピラミッドは、オリオン座の三つ星の配列で並んでいる。作家のロバート・ボーバルは1994年にコンピューターを使って、オリオン座の三つ星が、三大ピラミッドと全く同じ位置に重なる時期を計算した。するとその年代は、紀元前1万500年だった。
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ギザのピラミッドに見られる黄金比

次の左の画像の、3つのピラミッドの大外(おおそと)に合わせて横向きの黄金比を2つ上下に並べると、ちょうど黄金比2つ分の大きさに3つのピラミッドが収まる。また同じ方法で右の画像のように縦に2つの黄金比を並べると、紫の黄金比の中の比率(赤い矢印)にカフラー王のピラミッドの幅が当てはまる。また同時に右の画像の紫の黄金比の中にできる3個目に小さな黄金比の四角形部分と、4個目にできる小さな黄金比の幅に、ピラミッドの間隔が決められている(緑色の黄金比)。これと同じ配置設計は、これより先の世界中の遺跡に見られる。黄金比はニンギシュジッダのシンボルで、つまりピラミッドはニンギシュジッダ作。


エジプトの三大ピラミッドとスフィンクスの多角形の石積み

三大ピラミッドにも、各国の巨石建造物に共通する多角形の石積みが見られ、それらは隙間なく密着している。

クフ王のピラミッドの内部の「王の間」の石畳(いしだたみ)にも、多角形の石が見られる。

メンカウラー王のピラミッドの入口にも、多角形の石積みが見られる。

さらに、ピラミッドのそばにあるスフィンクスの左前足にも多角形の石積みが見られ、耳の曲線には黄金比が見られる。つまり、スフィンクスもニンギシュジッダが作ったということ。

ニンギシュジッダの巨石建造物から見えてくることは、次のようなテクノロジー。

・100トン以上の石を、レーザーのようなもので自在にカットできる。
・100トン以上の石を、自由に運べる技術。
・巨石を隙間なく密着させて組み上げる技術。
・巨石を多角形に切り取って組み上げる技術。
・細かな装飾も可能な技術。
・岸壁をくり抜く技術(多くが玄武岩)。
・黄金比の曲線や比率を取り入れている。


エジプトの巨人

身長も3m以上もある神や人物が壁画などに残されている。ニンギシュジッダは人間の前に巨人として現れていた可能性はあるが、他の神々は作り話。巨人伝説は各国に存在する。


エジプトのミイラ作り

エジプト神話に登場するアヌビスはミイラ作りの神。犬やジャッカルの頭部を持つ半獣か、ジャッカルの姿で描かれた。バチカン美術館のアヌビス像は、ギリシア神話の智慧の神ヘルメスと融合して、ヘルマニビスともいわれる。そこには2匹の蛇のカドゥケウスの杖を持っている。つまりヘルマニビス、アヌビス、またアヌビスが手に持つアンク十字やアウス杖もニンギシュジッダを表すということ。さらにミイラの技術もニンギシュジッダ由来。


ホルス、オシリス、イシス

次の左の画像はエジプトの幼い頃のホルス神で、両手に2匹の蛇とサソリを持っている。右の画像は、左からホルス、オシリス、イシス。ホルスとイシスは授乳する女神像もあり、この2人はニンギシュジッダを表すという結論だった。中央のオシリスがかぶっている冠は、ホルスの目の装飾品の左隣にいる鷲(わし)もかぶっていて、これがニンギシュジッダのシンボルという結論。つまりこの3人はニンギシュジッダを表している。

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■紀元前1万400年頃

大洪水後の復興

「シュメール神話の粘土板要約」
大洪水後の復興は進み、メソポタミアはエンリルとジウスドラの2人の息子シェムとヤフェットに割り当てられた。アフリカはエンキとジウスドラの次男ハムに割り当てられた。エンキは息子マルドゥクをアフリカの主にしたいと提案し、エンリルは了承した。この時、ニンマーの名前はニンフルサグに変わる。こうして人間も生命も数が増やていった。

縄文土器の違いに見るニンギシュジッダと日本の関係

縄文時代は紀元前13000年頃から紀元前800年頃まで続くが、大きく分けて2つの時代が存在する。それはニンギシュジッダが日本で本格的に活動を始める紀元前4000年頃が境目となる。そこからの縄文土偶や火焔(かえん)土器には、黄金比の渦模様など複雑な模様が見られ始める。それまでの縄文土器に複雑性はない。ただ早期の縄文土器もニンギシュジッダ作。理由はジグザグ模様が見られるため。縄文時代の時期区分は次のようになっている。

草創期(紀元前1万3000〜前1万年)、
早期(紀元前1万年〜前5000年)
前期(紀元前5000〜前3500年) 前期後半からニンギシュジッダが日本で活動を本格化する。
中期(紀元前3500〜前2500年)
後期(紀元前2500〜前1300年)
晩期(紀元前1300〜前800年)

縄文土偶や火焔(かえん)土器は、紀元前3500年頃から多く見られ始める。

紀元前3500年頃 火焔土器
紀元前3000年頃 十字形土偶(青森県)
紀元前3000年頃 縄文のビーナス(長野県)
紀元前3000年頃 立像土偶(山形県)
紀元前2000年頃 中空土偶(北海道)
紀元前2000年頃 合掌土偶(青森県)
紀元前2000年頃 仮面の女神(長野県)
紀元前2000年頃 ハート形土偶(群馬県)
紀元前1000年頃 遮光器土偶(青森県)

次の画像は紀元前1万年〜前5000年の早期の縄文土器。左側の土器の下半分と、右側の土器の上と下部分にニンギシュジッダのジグザグ模様が見られる。



■紀元前1万年頃

西アフリカの巨人像

イタリアの地学者ピットーニ氏は、西アフリカのギニア共和国とマリ共和国の国境に近いところで、紀元前1万年頃の遺物を発見している。

ゾウに座る男性像。顔や肩の縦横のマス目模様とゾウというシンボルから、これもニンギシュジッダを表すという結論。ゾウが4mとするとこの人物は約10mの身長になる。それは各地の巨人伝承とも合致する。

この像の首から上も縦横のマス目模様。

次の2つの像には顔にジグザグ模様がある。ジグザグ模様は、ニンギシュジッダであるシリアの目の女神像の体にも見られる。
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参考文献

イスラエルのシャーマンの墓

紀元前1万年頃のシャーマンの墓が、イスラエル北部のヒラゾン・タクティット洞窟で見つかる。アニミズムやシャーマニズムはニンギシュジダッダ由来。この女性は身長150センチで45歳ほど。亀、イノシシ、鷲(わし)、牛、イタチ科のテンと埋葬されており、ニンギシュジッダのシンボルと埋葬されている。


トルコのギョベクリ・テペ

トルコのギョベクリ・テペの遺跡は、紀元前1万年から紀元前8000年の期間に建てられた。ここにもニンギシュジッダのシンボルが見られる。

ギョベクリ・テペの遺跡には、巨大なT字型の石柱がいくつも円を描くように並べられている。石柱の総数は200本以上、それらの描き出す円が20個確認されている。石柱によっては6メートル以上、重さは20トン。それらが基盤岩に開けられた穴にはめ込まれている。

この遺跡から見つかった像は、イースター島のモアイ像と手の形と置き場所が似ている。イースター島にも多角形の石積みがあり、モアイ像の胸の部分にも黄金比の渦模様があり、共に巨石であることからニンギシュジッダが作ったという結論。つまりギョベクリ・テペのこの像も、ニンギシュジッダが作った。

その像の耳の曲線は黄金比。耳に黄金比がある共通点は、エジプトのスフィンクスにも見られる。

ギョベクリ・テペの別の像は胸を触るポーズをしている。これは世界中の女神像と同じで、ニンギシュジッダを表す。

この像の中段左右に、二匹の蛇の彫刻が見られる。また下の右の画像はギョベクリ・テペの隣にある同じ時代のネヴァリ・コリから出土している像。後頭部に1匹の蛇が見られるが、アイオーンも頭の後ろから蛇が見られる。

ギョベクリ・テペの女神像。胸を触るポーズ、下半身が太いなど、ニンギシュジッダの女神像の共通点が見られる。
トルコのギョベクリ・テペの女神像(紀元前9500年頃)
ギョベクリ・テペからは男根(だんこん)の像も出土している。男根はインドのヒンドゥー教の神シヴァのシンボル。シヴァは頭に三日月、首に1匹の蛇が見られる。つまり男根の像、シヴァはニンギシュジッダを表す。

ギョベクリ・テペの石柱はニンギシュジッタのシンボルを表す

ギョベクリ・テペの石柱には、ハンドバックの彫刻が見られる。これと同じものが、紀元前3000年頃のイランのジーロフト文化に見られる。

ジーロフト文化からは石のハンドバックが出土している。そこにニンギシュジッダを表す2匹の蛇が見られる。

さらに2匹の蛇に挟まれた鷲(わし)の絵と、その鷲(わし)が2羽彫刻されたハンドバックもある。

この鷲(わし)単体の遺物も見つかっており、足は2匹の蛇がからまったデザイン。つまり鷲(わし)もニンギシュジッダのシンボル。この鷲(わし)の羽部分に円形の筒で形どったようなデザインも見られる。これと同じデザインのサソリの遺物も見つかっている。

鷲(わし)の遺物は他にも見つかっている。

ギョベクリ・テペの石柱のハンドバックの左下に鷲(わし)の彫刻が見られ、その下にはサソリも見られる。つまりこの石柱はニンギシュジッダのシンボルが刻まれている。

ジーロフト文化のハンドバックには、サソリやライオンが2体ずつ描かれたものもある。ニンギシュジッダはヨーロッパではアイオーンというライオン顔の神でもある。つまりハンドバックの彫刻もニンギシュジッダのシンボルを描いている。

別のギョベクリ・テペのT字の石柱には、1匹の蛇、2匹の蛇の彫刻も見られる。つまり、この石柱に彫られた絵すべてが、ニンギシュジッタのシンボルということが見えてくる。
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ニンギシュジッダは古代エジプトではアフリカクロトキの頭部をもつトート神でもあるので、この石柱の一番下にいる足の長い鳥はアフリカクロトキと考えられる。同様の鳥は最上部左端のハンドバックの上にも、小さく見られる。

上部右端のハンドバックの右下に、「H」を横にした図柄が見られる。これと同じ図柄が、この時代より後に世界中で作られる多角形の石積みの神殿に見られる。このH字は2つの石の境目に刻まれている。見方によってはT字を2つ繋いだ形にも見えるが、ギョベクリ・テペの石柱自体がT字なので、HとTもシンボルということ。つまりニンギシュジッダが作った石積みに、自分のシンボルを入れた。

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このH型の図柄はギョベクリ・テペの他の石柱でも見られ、蛇の彫刻が刻まれている場合もある。そして南米ボリビアのプマ・プンクにもH型の巨石が見られた。


石柱のハンドバックの上下に、ジグザグの模様が見られる。これと同じものはシリアの目の女神像や、紀元前2000年頃から日本と中国で見つかる銅鏡や銅鐸(どうたく)に見られる。銅鏡や銅鐸(どうたく)には黄金比の曲線や渦模様が見られることから、これもニンギシュジッダによるもの。
ジグザグ


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違う石柱には牙の出たイノシシの彫刻が見られ、それと同じ石像も見つかっている。イノシシは牙が出ているのが特徴で、イノシシもニンギシュジッダのシンボルということ。また反対にわかってくることは、1つ上の銅鐸(どうたく)の画像の黄金比の渦模様の下に彫られている動物もイノシシで、つまりそれはニンギシュジッダのシンボルということ。


石柱の右端のハンドバックの右上に、シッポの長いトカゲが刻まれている。サバジオスの手にもトカゲが見られる。

ギョベクリ・テペの石柱の横には犬のような動物も見られる。

この動物を横から見たような彫刻もいくつかの石柱に見られる。

犬は他の場所のシンボルでも見られる。ミトラスを主神とするイランや古代ローマのミトラ教の浮彫(うきぼり)には、1匹の蛇に向かって2匹の蛇の杖カドゥケウスを向けているミトラス神が見られる。つまりミトラスはニンギシュジッダ。

別の像では、牡牛(おうし)を屠(ほふ)るミトラスが見られる。そこでは、犬と蛇は牡牛の血を飲もうとし、サソリが牡牛(おうし)の睾丸(こうがん)を攻撃する様が見られる。つまりニンギシュジッダのシンボルである蛇やサソリがミトラ教に見られ、そこに犬も見られることから、ギョベクリ・テペの石柱に犬がシンボルとしていてもおかしくない。

牡牛(おうし)は紀元前3000年頃のイランのジーロフト文化のハンドバックにも彫刻されている。つまり牡牛もニンギシュジッダのシンボルの一つ。

また石柱のハンドバックの下にいる鷲(わし)の羽の上に、小さな丸いものが見える。

この丸いものに当てはまるニンギシュジッダのシンボルは、松ぼっくりか太陽か宇宙卵。ニンギシュジッダである古代ローマの神アイオーンの足下には、2匹の蛇のカドゥケウスの杖、ニワトリ、松ぼっくりが描かれている。北アフリカの神タニトの彫刻には三日月と丸い太陽が見られる。宇宙卵は各国に丸い巨石として見られ、「一なるもの」を表しているという結論だった。

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別のギョベクリ・テペの石柱には菱形の網目模様が見られ、下の部分に重しがついている。これと同じデザインは、イランの古代ペルシアの都市ペルセポリスで見られる。

この乗り物の有翼円盤(ゆうよくえんばん)は古代エジプトでも見られ、そこには2匹の蛇がいることから、このシンボルがニンギシュジッダのシンボルとわかる。

この有翼円盤に人が乗るデザインはメソポタミアでも見られ、そこにはハンドバックを持ったニンギシュジッダである鷲(わし)人間も彫刻されている。


このようにギョベクリ・テペの石柱に描かれた図柄は、全てニンギシュジッダのシンボルとして、後の時代に各国で見られる。


■紀元前7200年頃

ナスカの新たなる“天と地球を結ぶ”施設

「シュメール神話の粘土板要約」
この頃、アヌンナキの子孫は地球人と同じ容姿になっていた。そして初めてアヌンナキの子孫が地球人の間に軍隊を起こした。また南北アメリカにもう一つの新しい「天と地の施設(宇宙船用空港)」が建設される。ニヌルタはそこで金塊(きんかい)が散らばっている山の麓の平地を選び、そこに上昇と下降の印を描いた。ここからニビルへの金の輸送を継続する計画だった。

ナスカの長い直線図は滑走路の可能性がある。また次の右側の図の滑走路の端には、ニンギシュジッダの渦模様が見られる。

猿の地上絵のシッポにも渦模様が見られ、これがニンギシュジッダ作という結論。

ペルーのイカ市の博物館には、後頭部が異常に大きい頭蓋骨が展示されている。イカ市はナスカの地上絵の近くで、この頭蓋骨が発見された。エジプトのメンフィスの墓の壁画には、後頭部が大きい巨人の絵が描かれている。エジプト文明を築いたのもニンギシュジッダ。

南米のエクアドルのチョレラ文明やトゥマコ地方からも、後頭部が大きい像が発掘されている。それはエジプトのファラオの正妃ネフェルティティの大きな後頭部とも同じ。


世界中で見られる黄金比の渦模様

ナスカの地上絵には渦模様が3つほど見られる。渦模様は世界中で見られ、時には黄金比の曲線で描かれている。つまりニンギシュジッダ作。

ペルーのナスカ郊外にあるパレドネス遺跡の水路は、黄金比の渦巻きでできている。中には水が流れており、現在も農業用水として使用している。これも石積みでできており、つまりニンギシュジッダが作ったということ。

コロンビアのシヌー地方で発掘された黄金ジェットにも、黄金比の渦模様が刻まれている。コロンビアとナスカの地上絵のあるペルーは場所が近い。つまり、ナスカの地上絵に描かれている滑走路から黄金ジェットが飛び立っていた。この黄金ジェットが実際に飛ぶということを証明した実験動画を、下記より見ることができる。

南アフリカのカラハリ砂漠のフェールヌークパンにも、黄金比の渦の地上絵が描かれている。直径が約175mもある渦模様を描いたのは、人間でないのは明らか。Google Map(-30° 0′ 21.64″, +21° 6′ 21.69)

オーストラリアのアリススプリングにも渦の地上絵が見られる。これは黄金比ではない。Google Map(-23° 49′ 17.71″, +133° 49′ 58.83)

渦の模様は後の時代にも見られ、地中海のゴゾ島の巨石の渦模様も黄金比。

ギリシャの南東沖のエーゲ海の出土品の渦模様も黄金比。メキシコのマヤ文明の出土品の蛇のナイフの渦模様も黄金比。

このエーゲ海の出土品の4つの渦模様に囲まれた16花弁は、メソポタミアのハンドバックを持つ手首にも見られ、天皇の菊の紋にも見られる。すべてニンギシュジッダでつながる。

マヤ文明のチチェン・イッツァのククルカンの神殿。その蛇の口元にも渦巻き模様。階段を挟んだ2匹の蛇はニンギシュジッダの象徴。

グアテマラ北部、マヤ文明の祭祀センターのサン・バルトロの壁画にも、黄金比の渦模様が見られる。マヤ文明もニンギシュジッダが作った文明。

メキシコのテオティワカンのケツァルコアトルの耳も、黄金比の曲線となっている。ケツァルコアトルはマヤ文明のククルカンと同一神でニンギシュジッダのこと。

日本の縄文土器や縄文土偶でも黄金比の渦模様が見られ、すべてニンギシュジッダ作。

沖縄県の北谷町(ちゃたんちょう)より出土の石板にも、黄金比の渦模様がいくつか描かれている。沖縄では明治の中頃までハジチという入れ墨の習慣があり、その入れ墨と石板の絵文字が同じだった。つまりハジチの入れ墨もニンギシュジッダ由来。

710年の平城京の第一次大極殿にある天皇の即位式を行う高御座(たかみくら)にも、黄金比が見られる。平城京もニンギシュジッダによる都市。


■紀元前6000年頃

古代中国のニンギシュジッダ

興隆窪(こうりゅうわ)文化は中国の遼寧省(りょうねいしょう)周辺で、紀元前6200年頃から紀元前5400年頃に存在した。紀元前6000年頃の胸を触るニンギシュジッダの女神像も、興隆窪(こうりゅうわ)文化より出土している。

この興隆窪(こうりゅうわ)文化の墓地では、死者の男性2人とメスの豚一匹が横並びに埋葬されていた。この死者と豚は崇拝と犠牲の儀式の対象だった。この頃には中国にニンギシュジッダが現れ、文化と生け贄の儀式も教えていたということ。


■紀元前5700年

ヴィンチャ文明

紀元前5700年から紀元前4200年頃まで、ヴィンチャ文明が起こる。

ヴィンチャ文明の土偶と日本の縄文土偶はポーズやデザインが似ていて、どちらもニンギシュジッダを表している。共通点は、胸が出ている、手を広げてT字のポーズ、下半身が太い、脇の下に空洞があるなど。

T字はギョベクリ・テペの石柱でも見られ、ニンギシュジッダのシンボルという結論だった。

左はヴィンチャ文明、右は縄文土偶。

次の4つの像はすべてヴィンチャ文明。一番左の像は授乳しており、エジプトのイシスとホルスの像やインドのクリシュナとヤショーダの像などと同じポーズ。つまりニンギシュジッダを表す。

ヴィンチャ文明


■紀元前5400年頃

メソポタミアのエリドゥの黄金比

この頃、中東に都市が存在した。トルコのチャタル・ヒュユク、パレスチナのエリコのテル・エッ・スルタンの遺丘、メソポタミアのエリドゥなどである。

 エリドゥのテル・アブ・シャハライン遺跡は外枠に若干の歪みがあるが、黄金比の比率を見ることができるので、ニンギシュジッダ作。小部屋の大きさも黄金比で、大外の黄金比の中にできる小さな黄金比の大きさになっている。


古代中国のニンギシュジッダの出土品

紀元前5400年から紀元前4500年頃の趙宝溝(ちょうほうこう)文化の小山遺跡からは、龍と思われる動物文様の土器が発見された。それは鹿と猪(いのしし)、それに鳥の頭を持った龍であった。すべてニンギシュジッダのシンボル。
趙宝溝文化の龍


■紀元前5293年

日本では海底火山の鬼界カルデラが大爆発を起こし、九州は数百年間人が住める土地ではなくなった。


■紀元前4700年頃

中国の紅山(こうさん)文化、仰韶(ぎょうしょう)文化

紀元前4700年頃から紀元前2900年頃まで、紅山文化(こうさんぶんか)が中国に存在した。紅山文化の墳墓のヒスイの出土品には、目が大きな宇宙人を思わせる像も出土している。これは紀元前3000年頃のマヤ文明の胸を触るニンギシュジッダの女神像(下の右の画像)と目が似ている。

こちらは紅山文化のヒスイの像。

紅山(こうさん)文化やその他の地域からも、ニンギシュジッダを表す胸を触った像や、下半身が太い像が出土している。下記の図の出土位置を見れば、この時代、ニンギシュジダッダは中国各地に現れていたことがわかる。

紀元前5000年から紀元前3000年の中国の仰韶文化(ぎょうしょうぶんか)からは、フクロウの出土品も多数発見されている。フクロウもニンギシュジッダのシンボルで、バビロニアの女神イシュタルの浮き彫りの足下に描かれている。イシュタルもニンギシュジッダという結論だった。

紀元前4400年頃の仰韶(ぎょうしょう)文化の西水坡遺跡(せいすいはいせき)からは、貝殻を埋込んで描かれた龍虎(りゅうこ)が発見されている。下の画像では骸骨の左側に竜、右側に虎。この竜と虎もニンギシュジッダのシンボルであることは後述している。


紀元前4000年頃

メソポタミア文明の人類初のお金

メソポタミア文明で人類初のお金が登場する。お金と言っても、労働者は自分の鉢(はち)に麦を入れてもらい給料としていた。麦のお金が普及したテル・ブラクでは、お金によって争いが起きた。


■紀元前3800年頃

イナンナとマルドゥクの戦争

「シュメール神話の粘土板要約」
イナンナは恋人のドゥムジがマルドゥクの策略によって死ぬ。これによりイナンナとマルドゥクの戦争が始まり、これによってエジプトのピラミッドは破壊され、アフリカを支配していたマルドゥクは、角のある獣の場所へ亡命する。


アヌが地球へやってくる

「シュメール神話の粘土板要約」
惑星ニビルが地球に近づくタイミングで、アヌ王と妻アントゥが地球へやってきた。歓迎会でエンリルとエンキからは、贈り物の牛と子羊が火に焼かれていた。さらに赤い後光に囲まれたニビルが見えてきた時、アヌンナキは手を叩き、踊り歌った。夜がふける前にエディン(メソポタミア)全土に篝火(かがりび)が灯された。


篝火(かがりび)と火祭り

日本でも見られる篝火(かがりび)や火祭りの文化も、シュメール神話ではアヌ王や惑星ニビルが地球へやってくることへの祝いとして描かれていることから、これもニンギシュジッダ由来の文化ということが見えてくる。


アヌとの対談

「シュメール神話の粘土板要約」
後日、エンキはアヌに大洪水の前にガルズのお告げのことを話した。しかしアヌはガルズが一体何者かわからなかった。アヌ、エンリル、エンキ、ニンフルサグはガルズの出来事を考えた。エンキは「全ての創造者の意志は明白だ。アヌンナキは地球と地球人に対して唯一の使者である。地球は地球人に属し、彼らを保護し、進歩させよう。それが我々の使命だ」と言った。こうして地球人に知識を授け、人間の都市を作ることが決定した。人間の都市の中の聖なる領域にアヌンナキの住居を建設し、ニビルのように地球でも王権を確立して、王冠と笏(しゃく)を選ばれた人間に授ける。人間の王を司祭とし、アヌンナキを崇めさせ、アヌンナキの言葉を人々に伝えさせる。

そして第一領域エディン(メソポタミア)はエンリルと彼の息子が、第二領域アフリカはエンキと彼の息子が、第三領域インダス地域はイナンナが、第四領域シナイ半島は宇宙船の基地と決定した。第一領域エディン(メソポタミア)では都市を作るため、泥からレンガを作る方法がアヌンナキから地球人に教えられた。エジプトはエンキからニンギシュジッダへ主権が渡された。

シュメール神話ではこのようにエジプト、メソポタミア、インダスがエンリル、エンキ、イナンナに割り振られたとされているが、すでに見てきたようにこの3人もニンギシュジッダを表すという結論。これらの場所の建築物にはニンギシュジッダの黄金比のデザインが見られ、さらに日本、中国、南北アメリカなどの地域の人間にも、すでにニンギシュジッダ由来の宗教や遺物が見られる。


王冠と笏(しゃく)

シュメール神話に出てくる王権の象徴の王冠と笏(しゃく)は、ゾロアスター教の浮き彫りに見られる。最高神アフラ・マズダーからアルダシール1世とされる人物に授与される場面。結論的にはこの両者もニンギシュジッダを表し、ここに描かれているのは現実にあった場面ではなく作り話。


チグリス川とユーフラテス川

バビロニアの創世神話エヌマ・エリシュには、マルドゥクがティアマトの心臓を弓で射抜いて倒し、ティアマトの死体を天地創造の材料として使うべくその亡骸を解体したとある。亡骸は二つに引き裂かれてそれぞれが天と地に、乳房(ちぶさ)は山に、その眼からはチグリス川とユーフラテス川の二大河川が生じた。こうして母なる神ティアマトは、世界の基となった。
つまりニンギシュジッダという結論だったティアマトから生じたチグリス川とユーフラテス川も、ニンギシュジッダの科学技術で作られたという結論。シュメール神話では、チグリス川はエンキ神が川を流水で満たしたことで作られた。旧約聖書の創世記では、エデンの園から流れ出る川が分岐した4つの川のうちの3番目がチグリス川。エンキもエデンの園もニンギシュジッダをシンボル的に表したものという結論だった。

チグリス川

メソポタミアの印章の右から2人目のエンキとされる人物の肩には、長いヒモが見られる。このヒモはチグリス川とユーフラテス川の象徴とされている。cylinder3


■紀元前3760年頃

シュメールの発展

ニンギシュジッダから人間に文明が与えられ、シュメールの主要都市ウルが都市として拡張を始める。文字、法律、農耕、灌漑(かんがい)工事、航海術、天文学、学校設立、二院制議会、法典の編纂(へんさん)、1分60秒などの60進法、占星術の12星座など高度な文明が花開いた。住居の面積は約8m四方(70m2以下)。人口は34,000人ほど。

楽器のルーツはシュメール

ドゥドゥクはシュメールの楽器。中国では管子(グアンズ)、日本(400年頃)では篳篥(ひちりき)。古代ペルシアではズルナ、西洋ではオーボエ(1600年代)、ファゴット(1500年代〜1800年代)。これらの楽器は時代とともに人間が改良し広まっていった可能性もあるが、ニンギシュジッダは各国に現れていたので、その時に直接広められた可能性もある。


■紀元前3600年

地中海のマルタの巨石神殿

地中海のマルタ島とゴゾ島。紀元前3600年から紀元前2500年ごろに建設されたこの神殿群にも、ニンギシュジッダの多角形の石積みと女神像が見られる。また、巨人がこれらの神殿を建て、礼拝所として使ったという伝承も残っている。

ゴゾ島より出土の巨石の渦模様も黄金比。


■紀元前3380年

バベルの塔

「シュメール神話の粘土板要約」
特赦され亡命先から戻ってきていたマルドゥクは、まだ自分勝手を行っていた。そしてエディン(メソポタミア)に自分のための都市を造るよう、エンリルに要求した。しかし、エンリルは応えなかった。そこでマルドゥクは、彼の信奉者を集め、天に届くバベルの塔を造り始める。しかしエンリルは一族に戦闘機で爆弾の雨を降らさせ、バベルの塔を破壊した。

この後エンリルは、マルドゥクと信奉者たちの国外追放を決定した。地球人はこれまで1つの言語を話していたが、エンリルは反乱者の意思疎通と団結を防ぐため、各地域に異なる言語と文字を与え、お互いを理解できないようにした。

結論としては、このバベルの塔は実在せず、世界各地の言語を作ったのはニンギシュジッダとなる。

■紀元前3150年頃

エジプトのファラオとしてのニンギシュジッダ

エジプト第一王朝のファラオであるナルメル王が上下エジプトを統一したことを示す「ナルメルのパレット」が、都市ネケンのホルスの神殿で出土している。次の画像右側の2頭のライオンの首が絡み合う構図は、2匹の蛇が絡み合う杖カドゥケウスとも似た構図。ライオンも2匹の蛇もニンギシュジッダのシンボル。またこのパレットには角のある牛や鷹(たか)が見られる。鷹(たか)は比較的大きいものを鷲(わし)、小さめのものを鷹(たか)と呼び分ける。
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また小人(こびと)と巨人も描かれている。小人が持つ棒の先端には鷹(たか)と犬がいる。

このナルメルと同一人物であるとされている前ファラオのスコルピオン2世(紀元前3150年頃から前3125年頃)の顔の横に、サソリが描かれた出土品が見つかっている。

サソリ、首が絡み合うライオン、角と牛、犬、鷲(わし)と同じ種類の鷹(たか)はすべてニンギシュジッダのシンボル。つまりナルメルとスコルピオン2世というファラオはニンギシュジッダ。同様のシンボルはギョベクリ・テペの石柱やイランの石のハンドバックにも見られる。


この紀元前3000年頃のエジプト第1王朝は、初めて上エジプトと下エジプトを統一。この王朝の創設者メネスは、ナルメルと同一と見なされている。またメネスは特定の人物ではなく、カア、スコルピオン2世、ナルメル等、複数のファラオを表しているという説もある。これら含め、出土品のシンボルから答えを導けば、エジプト第1王朝を創設したのはニンギシュジッダという結論。

上下エジプト統一時に首都メンフィスで信仰された神プタハも、手に十字のアンクやジェド柱を持っている。アンクやジェド柱は蛇の紀章ウラエウスとも一緒に見られるので、プタハもニンギシュジッダということ。

都市メンフィスで信仰された聖なる牛アピスはプタハの化身。またオシリスの牡牛(おうし)とも呼ばれた。どちらにしてもニンギシュジッダを表す。つまりエジプト神話と登場人物も作り話。


■紀元前3113年

ニンギシュジッダがアメリカ大陸へ

「シュメール神話の粘土板要約」
エンリルにバベルの塔を破壊されたマルドゥクはエジプトに戻るが、そこはニンギシュジッダが主権を握り、マルドゥクの計画通りになっていなかった。そこでマルドゥクはニンギシュジッダをアメリカ大陸に追放した。こうしてエジプトでマルドゥクは自身を新しい宗教の最高神ラーとし、独裁国家となる。マルドゥクはスフィンクスの顔をニンギシュジッダのライオン顔から息子アサルの顔に変えた。そしてエンキはプタハ、ニンギシュジッダはテフティと呼ばれた。


メキシコのアステカ神話のケツァルコアトル

メキシコでニンギシュジッダは、ケツァルコアトルと呼ばれる。

ケツァルコアトルは農耕神、トウモロコシの提供者、死と復活の象徴、風の神、金星の神、明けの明星などの象徴で、処女である母チマルマンから生まれた。ケツァルコアトルにも黄金比が見られる。
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またアステカ神話の神エエカトルは風の神で、ケツァルコアトルの一側面。さらに神ショロトルはケツァルコアトルの双子。犬の姿をしたマヤ族の雷獣、死と嵐と稲妻と火の神。また螺旋状の風の神、巻貝などを身につけ、骸骨(がいこつ)の姿としても描かれた。

神トナティウは太陽神で、手に有翼円盤を持ち、鷲の羽根飾りを身にまとっている。つまりこれらはすべてアステカ神話は、ニンギシュジッダの象徴で作られている。


メキシコのマヤ文明

マヤ文明の遺跡チチェン・イッツァでも、ニンギシュジッダのシンボルが見られる。ボールコートと戦士の神殿には、多角形の石積みと蛇の頭像がある。

ククルカンの神殿には2匹の蛇の頭像。

戦士の神殿もニンギシュジッダの黄金比の比率で設計。

グアテマラ北部、マヤ文明の祭祀センターのサン・バルトロの壁画にも、黄金比の渦模様が見られる。

こういったことから、マヤ文明にある無数のピラミッドもニンギシュジッダ作という結論。


マヤ文明の出土品

マヤ文明の出土品にも、ニンギシュジッダのシンボルが見られる。例えば胸を触る女神像。

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次の左の画像は、マヤ文明の子供を前向きに抱く女神像。同じものは北アメリカのトーテムポールやトルコのギョベクリ・テペでも見られる。これらはニンギシュジッダのシンボルという結論だった。

マヤ文明の八芒星や渦模様。

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メソポタミアのニンギシュジッダのシンボル表。左上に八芒星。

マヤ文明の1匹の蛇と渦模様。背面の八芒星。
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マヤ文明の宇宙船。
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■紀元前3000年頃

縄文時代の日本にニンギシュジッダが都市を作り始める

紀元前3000年頃の縄文時代中期から、縄文土偶や火焔(かえん)土器が盛んに見られる。これらには黄金比の渦模様も含まれ、つまりニンギシュジッダ作。縄文時代は紀元前13000年頃から紀元前800年頃まで続くが、大きく分けて2つの時代が存在した。この紀元前3000年頃がその節目で、ニンギシュジッダが日本で本格的に都市を作り出す時期。それまでの土器は簡素なデザインだった。

紀元前3000年頃 火焔土器
紀元前3000年頃 十字形土偶(青森県)
紀元前3000年頃 縄文のビーナス(長野県)
紀元前3000年頃 立像土偶(山形県)
紀元前2000年頃 中空土偶(北海道)
紀元前2000年頃 合掌土偶(青森県)
紀元前2000年頃 仮面の女神(長野県)
紀元前2000年頃 ハート形土偶(群馬県)
紀元前1000年頃 遮光器土偶(青森県)

紀元前7000年頃のニンギシュジッダ作のジグザグ模様がある縄文土器。

ここからは縄文時代前期後半の紀元前3500年頃からの縄文土器。ニンギシュジッダの黄金比や渦模様が見られる。

縄文時代の遮光器(しゃこうき)土偶にも黄金比や渦模様が見られ、すべてニンギシュジッダを表す。


縄文時代の王冠と笏(しゃく)

シュメール神話に出てくるアヌンナキの王権の象徴の王冠と笏(しゃく)が、縄文土偶に見られる。王冠は輪から2本のヒモが垂れ下がっている。
この土器にも、2本の纓(えい)と輪の王冠が描かれている。ここにも黄金比の渦模様があるのでニンギシュジッダを指す。
この王冠は現代にも続き、天皇の即位の礼でも見られる。平安時代までの纓(えい)は、左右の肩に垂れ下げるなど二枚だった。平安末期からは二枚をまとめて一枚になった。ニンギシュジッダであるゾロアスター教のアフラ・マズダにも類似の王冠と笏が見られる。


日本各地の巨人伝説とニンギシュジッダ

日本各地にも巨人伝承が残されている。地域によって呼び名も違い、ダイダラボッチ、オオヒト、ダイラボウ、アマンチュウなどがある。伝説としては「山や川、湖などを作った」「人間の暮らしを支えた」「足あとや手型を残した」など。日本各地からニンギシュジッダの女神像が出土していることも考えると、ダイダラボッチであるニンギシュジッダが、日本を地形を作ったという結論。ここにあげるのは一例。

◯富士山を作るため、甲州(山梨県北東部)の土を取って土盛りした。そのため甲州は盆地になった。

◯富士山を作るため近江(滋賀県)の土を掘り、その掘った跡地が琵琶湖となった。(上記の話も併せると、富士山は少なくとも琵琶湖と甲州の土を盛って造られた。またピラミッドでもある。)

◯上州(じょうしゅう:群馬県)の榛名富士(はるなふじ)を土盛りして作り、掘った後は榛名湖(はるなこ)となった。この榛名富士(はるなふじ)もピラミッド。

◯長野県大町市北部の青木湖、中綱湖(なかつなこ)、木崎湖(きざきこ)からなる仁科三湖(にしなさんこ)はいずれもダイダラボッチの足あとである。

◯茨城県水戸市中央部の千波湖(せんばこ)は、かなり大きいがダイダラボッチ(この地方ではダイダラボウと呼称)の足跡である。

◯遠州(えんしゅう:静岡県)の山奥に住んでいたダイダラボッチが子供たちを手にのせて歩いている時に、腰くらいの高さの山をまたいだ拍子に子供たちを手から投げ出してしまった。びっくりした子供たちとダイダラボッチは泣き出してしまい、手をついてできた窪みに涙が流れ込んで浜名湖となった。

◯小便をしようと飯野山(いいのやま:香川県中部)に足をかけた際に山頂付近に足跡が付いた。その小便の際に出来たのが大束川(だいそくがわ)といわれる。飯野山もピラミッド。

◯秋田県の横手盆地(よこてぼんち)が湖であったので干拓事業を行った際、ダイダラボッチが現れて水をかき、泥をすくったため工事がはかどった

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参考文献

日本のピラミッド

日本の地形はダイダラボッチ、つまりニンギシュジッダが作ったという結論だった。日本には自然の山の姿をしたピラミッドも存在し、ニンギシュジッダが作ったという結論。


ニュージーランドのザ・ピラミッド

ニュージーランドのチャタム諸島から9kmほど南に、ザ・ピラミッドと呼ばれる島がある。これは、エジプトのギザのピラミッドとメキシコのテオティワカンのピラミッドとの線上にある。これができるのは人間ではなく、高度な科学技術で位置設計ができるニンギシュジッダ。ザ・ピラミッドのグーグルマップは(-44.4324824,-176.2404601)。


南極のピラミッド

南極にも自然の山の形をしたピラミッドが、少なくとも2つ存在する。

2つのピラミッドは比較的近い位置に立っている。衛星画像を拡大して見れば、影がピラミッド型になっていることがわかる。グーグルマップ(81°57’41.15″W 79°58’38.32″S)


イタリア周辺のピラミッド

ヨーロッパにも自然の山でできたピラミッドが存在する。イタリアには、少なくとも4つのピラミッドがある。カッコ内はグーグルマップ。

1.モンテヴェッキア (45°43’40.19″N   9°22’12.21″E)(45°43’26.60″N  9°22’26.88″E)
2.ポンタッシエーヴェ (43°46’11.99″N  11°24’23.41″E)
3.ピエディルコ (42°31’48.47″N  12°45’32.59″E)(42°32’16.57″N  12°45’29.76″E)
4.サンタ·アガタ·デ·ゴチ (41° 5’50.32″N  14°31’22.16″E)

フランス、ギリシャ、スロベニア、ボスニア・ヘルツェゴビナにも、ピラミッドが存在する。ギリシャのピラミッドには多角形の石積みが見られることから、ニンギシュジッダ作とわかる。

1.フランスのファリコンピラミッド (43°44’59.65″N   7°15’37.33″E)
2.ギリシャのピラミッド (37°35’14.15″N  22°40’16.97″E)
3.スロベニアのピラミッドヒル (46°34’5.34″N 15°39’8.51″E)
4.ボスニアンピラミッド (43°58’42.00″N 18°10’40.00″E)(43°58’21.20″N 18°12’2.15″E)


世界中で見られる石球

ボスニアンピラミッドも、そこにあった石球もニンギシュジッダが作った宇宙卵(うちゅうらん)という結論だった。その石球も世界中で見られる。「一なるもの」を表す宇宙卵は、その一なるものの代理人であるニンギシュジッダのシンボルでもある。


科学では説明できない自然の芸術とされる風景

次は自然にできたとされる岩の芸術。これらは自然にできたとされているが、そのプロセスを解明した説明は存在しない。それらのほとんどが隙間なく密着させて形成されている。

北海道の根室車石(ねむろくるまいし)。

兵庫県豊岡市赤石の玄武洞公園の青龍洞。この玄武(げんぶ)と青龍(せいりゅう)は中国の四神からの名称だが、四神もニンギシュジッダを表すことは後述している。

カナダのブリティッシュコロンビア州の玄武岩の滝。

アメリカ・ワシントンのクラークストンの玄武岩の列柱。

アメリカ・カリフォルニアのデビルス・ポストパイル国定公園。

スコットランドのフィンガルの洞窟。

アイスランドのビークの玄武岩の崖。

ポルトガルのポルト・サント島の玄武岩の列柱。

オーストラリアのフィンガル・ヘッドの玄武岩。

台湾の澎湖県(ほうこけん)の玄武岩。

次の写真は、西ジャワ州のグヌン・パダン遺跡の多角形の石積み。上記の岩の芸術と作り方が似ている。つまりこれら岩の芸術もニンギシュジッダ作という結論。


神籠石(こうごいし)の多角形の石積み

日本には建造時代が不明な神籠石(こうごいし)がある。多角形の石積みがあるのでニンギシュジッダ作とわかる。


佐賀県の巨石パークとバールベックの巨石

佐賀県の巨石パークにも綺麗な形とは言えないが、ニンギシュジッダの多角形の石積みや密着した石積みなどがある。

中東レバノンの東部のバールベックには、この巨石パークの御座石とよく似た「バールベックの巨石」が横たわっている。重さは最大2000トンと見積もられている。


鹿児島県の屋久島の巨石

屋久島にもニンギシュジッダの多角形の巨石などが見られる。


茨城県の竪破山(たつわれさん)の巨石

竪破山(たつわれさん)にある巨石も隙間なく密着している。また太刀割石(たちわりいし)は、レーザーで切られたようになっている。さらに、丸い巨石は宇宙卵を表しているという結論だった。各神話にいくつか見られるパターンとして、宇宙卵(うちゅうらん)が2つに分かれて天地ができたとされている。他にも宇宙卵から空と大地、天と海と陸、太陽と月などが見られる。つまり丸い巨石の宇宙卵(うちゅうらん)が2つに分かれている場合は、天地創造を表している。


オーストラリアのデビルズ・マーブルズの巨石

デビルズ・マーブルズには茨城県の竪破山(たつわれさん)と同じレーザーで切られたような丸い巨石がある。これも宇宙卵と天地創造を表している。他にも隙間なく密着した巨石群や、絶妙なバランスで立つ石球も存在する。つまりこれらもニンギシュジッダ作。



ミャンマーのチャイティーヨー・パゴダ

ミャンマーのチャイティーヨー山の頂上に、大きな岩とパゴダ(仏塔)がある。オーストラリアのデヴィルズ・マーブルズと見比べると同じ石の形とバランスが見られる。つまりこのチャイティーヨー・パゴダもニンギシュジッダ作で、宇宙卵を表す。


広島県の弥山の巨石

広島県の宮島・弥山には1500トン前後と見積もられる巨石もある。いくつかが隙間なく密着した共通点を持っている。


福岡県の沖ノ島の巨石

九州本土から約60キロ離れた沖ノ島神社の背後に、高さ20m以上の巨石がある。これはイギリスのストーンヘンジのような石の積み方となっている。


イギリスのストーンヘンジ

ストーンヘンジにも、多角形の石積みと隙間のない石積みが見られる。つまりニンギシュジッダ作。考古学者はすでにストーンヘンジの地中から、4000人以上の人骨を発見している。つまりニンギシュジッダへの捧げ物の儀式が行われた。


ドルメン、ストーンサークル、生贄

ドルイドは、ケルト人社会の祭司のこと。

ドルイドの持つ絵には、ピラミッドと天秤が見られる。

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天秤もサバジオスの手で見られる。つまりストーンヘンジ、ピラミッド、天秤と、ドルイドも全てニンギシュジッダ由来で、ニンギシュジッダを崇めている。

ストーンヘンジのように箱型に並べた石を柱とし、その上に天井石を置く形をドルメン(支石墓)という。ここでドルイドはニンギシュジッダへの儀式を行っている。ストーンヘンジのように、ドルメンは神への捧げ物の祭壇。なかには人力で運べない巨大な石や絶妙なバランスのものもある。つまりニンギシュジッダが各地に祭壇としてドルメンを作り、現地人に崇拝させた。これも世界各地で見られる。


柱状の巨石メンヒル

イギリスにも巨石がたくさんある。

ストーンサークルと柱状巨石メンヒルは密接な関係。代表的なメンヒルはイングランド、フランス、ドイツ、ポルトガル、スカンジナビアなどに存在する。


イランのジーロフト文化とメソポタミアのニンギシュジッダ

紀元前3000年頃から紀元前2000年頃まで栄えたイランのジーロフト文化。ここより出土の石のハンドバックはニンギシュジッダのシンボルという結論だった。

そのハンドバックにニンギシュジッダを表す2匹の蛇が見られる。

このハンドバックを持つ絵は、メソポタミアで数多く見られる。つまりこれらがメソポタミアでのニンギシュジッダ。

そしてハンドバックの反対の手には、松ぼっくりを持っている。

ニンギシュジッダであるアイオーンの足下には、2匹の蛇のカドゥケウスの杖、ニワトリ、松ぼっくりが描かれている。つまり松ぼっくりもニンギシュジッダの象徴。

松ぼっくりを持った魚人アプカルルもニンギシュジッダのこと。この魚の服はシュメール神話ではニビルの服とされている。アプカルルはオアンネスともされ、エンキの場合もある。つまりエンキもニンギシュジッダのこと。浮き彫りには、ハンドバックを持ったアプカルルが二人向かい合わせで出てくる。これは実際の出来事を描いているのではなく、獅子像やスフィンクスが二体あるのと同じで、ニンギシュジッダのシンボルで描かれたデザイン。


イラン、インド、ローマ帝国のミトラ教

フリジア帽をかぶったミトラスを主神とするミトラ教の浮彫(うきぼり)には、1匹の蛇に向かって2匹の蛇の杖カドゥケウスを向けているミトラスが見られる。つまりミトラスはニンギシュジッダ。

このミトラスの別の像では、牡牛(おうし)を屠(ほふ)るミトラスが見られる。そこでは、犬と蛇は牡牛の血を飲もうとし、サソリが牡牛(おうし)の睾丸(こうがん)を攻撃している。犬、蛇、サソリはニンギシュジッダのシンボルで、彼のシンボルを描いたギョベクリ・テペの石柱にも見られる。

ミトラ教では獅子頭と翼を持った神像も、40体ほど発見されている。これは2匹の蛇の絵が足下にあるアイオーンで、ニンギシュジッダのこと。この像の右太ももにサソリが彫刻されている。つまりミトラ教もニンギシュジッダを表した宗教。

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牡牛は、紀元前3000年頃のイランのジーロフト文化のハンドバックにも彫刻されている。つまり牡牛もニンギシュジッダの象徴の一つ。


アンズー、グリフォン、ヒッポグリフ、麒麟(きりん)とは

メソポタミア神話の怪物ズーもしくはアンズーは、ライオンの頭と鷲(わし)の体で表される。ライオンも鷲(わし)もニンギシュジッダのシンボル。これはシュメール神話のエンリルの随獣とされ、つまりエンリルもニンギシュジッダということ。

伝説上の生物グリフォンもアンズーと似ており、鷲(わし)の上半身と翼、ライオンの下半身と、ニンギシュジッダのシンボルを持つ。

グリフォンと雌馬(めすうま)の間に生まれたというヒッポグリフは、身体の前が鷲(わし)、後ろが馬。

足が馬というヒッポグリフに似た動物は、中国神話の麒麟(きりん)。背丈は5m、顔は龍に似て、牛の尾と馬の蹄(ひづめ)をもつ。

オーストラリアやアフリカの虹蛇はニンギシュジッダだったが、中国では虹が竜の一種とみなされていたので、中国の竜は全てニンギシュジッダのこととなる。麒麟(きりん)は、中国の黄竜(こうりゅう)と同一視されている。つまりニンギシュジッダ=竜=麒麟。中国の紫禁城には獅子像が二体置かれているが、紫禁城の慈寧門前には二体の麒麟(きりん)も置かれている。つまり獅子像も麒麟(きりん)もニンギシュジッダを表している。

このようにアンズー、グリフォン、ヒッポグリフ、麒麟(きりん)は容姿が似ているだけでなく、これらはニンギシュジッダのシンボルという結論。


ニンギシュジッダの稲妻、三叉槍(さんさそう)、金剛杵(こんごうしょ)、ヴァジュラ

次のメソポタミアの浮き彫りの左の動物は、ライオン頭でワシの体のアンズー。これはニンギシュジッダという結論だった。そしてこのアンズーと戦っている人物もニンギシュジッダとなる。理由としては、両手に持っている稲妻の道具をニンギシュジッダであるアイオーンも胸に垂れ下げている。

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アイオーンの胸の稲妻。

メソポタミアのアッカドの気象神アダド(シリアではハダド)の手にも稲妻が見られるので、ニンギシュジッダと同一。アダドは雨風によって肥沃をもたらす豊穣神と、暴風雨、雷、洪水によって自然を破壊し、暗黒と死をもたらす性格があり、頭には牛の角が見られる。これらもニンギシュジッダの象徴。右の地図の緑色が紀元前2300年頃のアッカド帝国。

アダドが彼のシンボルの牡牛(おうし)に乗る姿の浮彫もあり、手に稲妻を持っている。紀元前3000年頃からのイランのジーロフト文化では、ニンギシュジッダのシンボルのハンドバックに牡牛が2匹描かれている。

左はアダドと有翼円盤。右側のアダドは斧(おの)も持っている。つまりこれもニンギシュジッダのシンボル。

また別の牡牛に乗ったアダドの浮き彫りでは、稲妻が先端にありながら下側が長い三叉槍(さんさそう)に形が変化している。三叉槍(さんさそう)はギリシア神話の海と地震を司る神ポセイドンや、ローマ神話の海の神ネプチューン(ネプトゥーヌス)も持っている。つまりこれらはニンギシュジッダと同一の神。

インド神話におけるシヴァの武器も三叉槍(さんさそう)で、シヴァもニンギシュジッダのこと。

さらに三叉槍(さんさそう)は、中国三大宗教の儒教・仏教・道教のうち、道教の最高神格の三清(さんせい)をも表す。つまり太元(たいげん)を神格化した元始天尊(げんしてんそん)、道(タオ)を神格化した霊宝天尊(れいほうてんそん)、老子(ろうし)を神格化した道徳天尊(どうとくてんそん)の三柱はニンギシュジッダのことで、道教もニンギシュジッダ由来。

ギリシア神話の主神で全知全能の神ゼウスも、手に稲妻を持っている。ゼウスは天空神として、全宇宙や雲・雨・雪・雷などの気象を支配していたので、ここでもニンギシュジッダのシンボルと共通。ゼウスはローマ神話ではジュピター(ユーピテル)と呼ばれている。

別のゼウスの像には2羽の鷲(わし)が見られ、上の画像のジュピターの隣にも鷲(わし)がいる。鷲もニンギシュジッダのシンボル。イランのジーロフト文化にも鷲(わし)が見られる。

稲妻の道具は金剛杵(こんごうしょ)やヴァジュラとなど呼ばれ、インド神話ではインドラ(帝釈天)の武器。つまりインドラもニンギシュジッダ。

また806年に中国より日本へ真言密教をもたらした空海(弘法大師)も、ニンギシュジッダの稲妻を手に持っている。空海がニンギシュジッダであるという理由は他にもあり、それは後述している。

仏教の金剛力士(こんごうりきし)も、金剛杵(こんごうしょ)を持つ。口の阿形(あぎょう)像と、口を結んだ吽形(うんぎょう)像の2体を一対とし、寺院の表門などに立っている。阿呍(あうん)は神社の狛犬とも同じで、獅子像でもあるのでニンギシュジッダだが、つまり金剛力士(こんごうりきし)もニンギシュジッダということ。一般には仁王(におう)の名で親しまれている。阿吽(あうん)は密教では、この2字が万有の始原と究極を象徴するとされる。「阿(あ、a)」はサンスクリット語のアルファベットの最初の文字で、「吽(うん、huum」は最後の文字。つまり始まりと終わりで、万物の初めと終わりを表す。それを漢字で表現したものが阿吽(あうん)。つまり「一なるもの」とその代理人ニンギシュジッダを表す言葉でもある。さらにサンスクリット語もニンギシュジッダ由来ということも見えてくる。

執金剛神(しゅこんごうしん)も金剛杵(こんごうしょ)を持ち、インドではヴァジュラパーニと呼ばれる。これは金剛力士(こんごうりきし)と同じ。ただ金剛力士は2人の裸姿だが、執金剛神(しゅこんごうしん)は1人の武将姿。これはギリシア神話の英雄ヘラクレスが起源とされている。ヘラクレスは「獅子の毛皮を身にまとい、手に棍棒を持つ髭面の男性」。ローマ・カピトリーノ美術館にあるヘラクレスの像では、両手に2匹の蛇をつかんでいる。大英博物館にはネメアーの獅子を絞め殺すヘラクレスの壺がある。つまり2匹の蛇と獅子のシンボルでヘラクレスはニンギシュジッダを表し、手に持つ棍棒は金剛杵(こんごうしょ)ということ。

仏教の金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)も金剛杵(こんごうしょ)を持ち、さらに蛇1匹も持つ。これはインド神話のヴァジュラヤクシャ神でもある。

仏教の金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)がいる五大明王の中心となる不動明王(ふどうみょうおう)も、ヒモ状の金剛杵(こんごうしょ)を持っている。また剣の持つ部分が金剛杵(こんごうしょ)になっているので、ニンギシュジッダと同一。不動明王は大日如来(だいにちにょらい)の化身とも言われる。

他の五大明王の降三世明王(ごうざんぜみょうおう)、軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)、大威徳明王(だいいとくみょうおう)も金剛杵(こんごうしょ)を持ち、蛇が体に巻き付いている場合もある。つまり五大明王とはニンギシュジッダを表したもの。

この軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)の軍荼利(ぐんだり)は、サンスクリットのクンダリーの音写語。クンダリーはヒンドゥー教の女神。ヒンドゥー教のハタ・ヨーガでは、人間には3回半巻きついた蛇として表されるクンダリー、もしくはクンダリニーというエネルギーが宿っているとされる。クンダリニーはシヴァ神の力能(=シャクティ)としての女神でもある。これを目覚めさせて中央脈管を上昇させ、シヴァ神のいる頭頂部に至らしめた時に解脱が得られるとされ、これを目指すヨーガを特にクンダリニー・ヨーガという。こういったことから、インドのヨガもニンギシュジッダが由来ということが見えてくる。シヴァも頭に三日月、首に蛇1匹、三叉槍(さんさそう)を持つのでニンギシュジッダのこと。また悟り、解脱もニンギシュジッダ由来。

仏教の五大明王の大威徳明王(だいいとくみょうおう)は、阿弥陀如来(あみだにょらい)と文殊菩薩(もんじゅぼさつ)のこと。阿弥陀如来(あみだにょらい)で有名なものは鎌倉の大仏。奈良の大仏は毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)と呼び、密教では大日如来(だいにちによらい)と同じで、その化身が仏教の不動明王。つまり鎌倉も奈良も、どちらの大仏もニンギシュジッダを表す。奈良の大仏はゴータマ・シッダールタを超えた宇宙仏で、宇宙の真理を全ての人に照らし、悟りに導く仏とされている。

このようにメソポタミアのアッカド神話、ギリシャ神話、ローマ神話、インド神話、ヒンドゥー教、仏教、密教はつながっていて、すべてニンギシュジッダが作り、「一なるもの」とその代理人ニンギシュジッダを神として崇めているという結論。


ニンギシュジッダのシンボルの松ぼっくりを持つ神

古代ローマの神アイオーンの足下には2匹の蛇、ニワトリ、松ぼっくりが見られ、これがニンギシュジッダの象徴という結論だった。その松ぼっくりを持つ神も様々な場所や宗教で見られる。

メソポタミアでも、ハンドバックを持つ人物の反対の手に松ぼっくりも見られた。ハンドバックも松ぼっくりもニンギシュジッダの象徴。

ギリシア神話では、テュルソスという松ぼっくりを先端につけた杖が登場する。古代ギリシアの宗教においてこの杖は、ディオニュソスとその信者が持っていた。ローマ神話ではバックスと呼ばれ、ローマ神話のワインの神。

杖テュルソスとブドウのシンボルが描かれた浮彫りがある。ここにはタニト、三日月、太陽などもあり、ニンギシュジッダのシンボルをまとまっている。

杖テュルソスは時に、壺(つぼ=カンタロ)と呼ばれるワインを飲むための陶器とも関連付けられ、これもニンギシュジッダの象徴ということ。壺は日本で言えば飲み物を入れる容器のピッチャー。ディオニュソスもこの壺(カンタロ)とともに描かれている。

ギリシアのアテナイのアクロポリスには、ディオニュソス劇場がある。1万5千人以上を収容でき、紀元前6世紀頃の建造物とされる。紀元前4世紀(ローマ時代)に改築された当時のものが現在でも残っており、ディオニュソスの生涯をモチーフとした浮き彫りなども見ることができる。この劇場は、毎年春の大ディオニュシア祭において、ディオニュソスに捧げる悲劇(ギリシア悲劇)を上演するために用いられた。つまり、ニンギシュジッダ劇場でニンギシュジッダ大祭りが開かれているということ。

ギリシア神話、ローマ神話のマイナスは、ディオニュソス、バックスの女性信奉者。彼女も松ぼっくりのついた杖テュルソスを持ち運んでいる。

イタリア・ローマのナヴォーナ広場には、ライオンが松ぼっくりを加えた彫刻が見られる。どちらのシンボルもニンギシュジッダを表している。

サバジオスはフリギアやトラキアの神で、ギリシアのディオニュソスやその前身のザグレウスと同一視され、ゼウス、アッティスとも同一視された。サバジオスの像には松ぼっくり、鷲(わし)、アスクレピオスの杖が見られ、すべてニンギシュジッダのシンボル。


サバジオスの手の無数のシンボル

「サバジオスの手」の像はいくつか種類があり、無数のニンギシュジッダのシンボルが装飾がされている。サバジオスの手00

目立つものに、1匹の蛇、松ぼっくり、鷲(わし)。

2匹の蛇が絡まった杖のカドゥケウス。


ニンギシュジッダと同一神ディオニュソスが持つ壺(カンタロ)。